強いか弱いか、多いか少ないかが問題なのではない。

人間には優劣ではなく、ただ差異があるだけだ。だから

「自分と違う欲望で生きている人間がいる」ことをそのまま受け入れ、認めることが大切だろう。そうすることによって初めて私たちは単純な人間観を脱し、本当の意味で多様性に満ちた世界が可能になるだろう。

 

        令和の知をひらく3  哲学者    千葉 雅也 氏  他者の性と欲望認める   より抜粋

 

ここの、「自分と違う欲望で生きている人間がいる」の、欲望を信仰に置き換えて読んでも、通じるものがあるのではないでしょうか。

 

これこそ、エキュメニカルに対するお互いの目指すべき姿勢ではないかと思います。

 

自分と同じ教派だけが正しい。こういうやり方、決められた教えでなければならないとか、同じ宗教でなければならないとか。

 

人が信じているものを、上から目線で間違っていると決めつけ、対話するふりはしても、心の中では拒否。分かりあおうという姿勢がない。

 

こういった排他的な考え方が最終的に宗教戦争に結びつき、現にテロなどに発展してしまう。みんな平和に暮らしたいだけなのに。

 

以下はG神父様のメッセージで、心に残ったもの。

 

命は神様がひとりひとりに与えられたもの。

 

神が与えられたかかわり、愛は意志的。

 

神の声を受信する。

 

自分なりの理由で人を排除している。

 

神様が喜ばれることは何か。

 

神とつながる時間を持つ。

 

律法は人を解放するもの。

 

I  am  ok.  You are ok.

 

と書いていた。なかなかメモを取る事がないわたしにしては珍しい。

 

わたしは、幸運な事に、若い時に神様を知ることが出来ました。

 

神様は人を、それぞれ違った導かれ方をされる。

 

体験や学び、違った歩みをしてるからと言って、それは違うということは出来ないはず。

 

そこは神の領域。

 

凝り固まった自分の考えを押し付ける事なく、

 

I  am ok. You are ok.

 

そういう考え方で信仰生活を過ごしていきたいと思います。