信仰の交わり
同じような生き方をする人が、集って同志的交わりを作り、
それが固いものであればあるほど排他的になるのは、
自然な成り行きですが、
このことを断じて許してはならない交わりがあります。
信仰の交わりです。
信仰においては区別をもたらすようないっさいの基準は手放され、
神ご自身が基準になりたもうのですから、
信仰が、信じるものと信じないものとを区別する基準になるなら、
それは誤りです。
信仰の交わりは、
同じ信仰において結束することではなく、
あらゆる排他性をやぶってゆく点において、
志を同じくすることなのです。
(藤木正三著「神の風景」ヨルダン社)
工藤信夫「人生を支え、導くもの」いのちのことば社 より引用。
上記は、ブロ友さんの記事からコピーさせて頂いたものです。
プロテスタントの教会(カトリックから言わせれば教会でなく共同体)も、カトリックの教会も、問題のない教会はない。
神様がおられるはずの教会に神様がおられるのかなと感じたり、神様を信じた?
お互いの中におられるはずのイエス様を感じる事が出来ないのは なぜ?
排他的になれるはずがないのになぁ。