しかし、信仰は宗教論から始まるのではなく、自分の惨めさ、弱さ、みにくさからはじまるのである。ーー

一人の隣り人を愛し得ない自分が問題にならないで、世界の悪、社会の罪をことあげても、所詮犬の遠吠えである。主は言われた、「偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい」と大事な事は、いつも本当の自分の姿をもって神の前にでることであり、そこから和解の使者として生きる力が与えられるのである。

「なぜ、他人を装うのですか」、この偽装を脱ぐことから信仰は始まる。

                                                          

                                                   榎本保郎著  旧約聖書一日一章より抜粋

 

「❌子さん、実はあなたも罪人なんですよ。」

 

って初めてこの言葉を牧師さんから聞いた時、わたしは、人の物を盗んだこともないし、暴力で人を傷つけたこともないし、当時15歳のわたしは、

 

何でわたしが罪人なのよ💢●●とか、✖︎✖︎とか、あんな奴等よりよっぽどマシ!

と心の中で猛反発‼️

 

でも、(−_−;)

「罪というのは法律で言われてる様な、例えば逮捕されたりする様な事をしたという      事ではなくて、心の中のもので、人を憎んだり、嘘をついたり、人を傷つけたり、

  そういうものを指すんですよ。

  1番の罪は、神様を神様と認めず、自分が中心で神様の様に振舞う事。

  罪を赦すことが 出来るのは神様だけなんですよ。」

と聞いた時、

 

え?((((;゚Д゚)))))))じゃあわたし、罪人だ‼️

 

と、すんなり思ってしまいました。今までどれほど人を傷つけてきた事か!

 

幼稚園の頃、姉ばかりヒイキする祖母に

「婆ちゃんなんか大嫌い!婆ちゃんなんか死んでしまえ‼️」

って言ったこと。

 

姉が気にしてた事を軽くみて、気にもしなかった事、頭の中でいろんな事がグルグル🌀回って、これは大変な事をしてきた。どうしたらいいの⁉️

本当に どうしよう😰どうしよう(;゜0゜)って思いました。

 

素直に受け入れる事ができたのは、きっと父のおかげだと思います。

わたしの父は昔から目には見えないけど、神様や、仏様がいて、わたし達を守っていてくれてると、度々話してくれていました。大嫌いで、赦す事がいまだに出来ない父ですが、これを教えてくれた事については、本当に感謝しています。

 

主よ憐れみたまえ‼️