ネットニュースで、ノートルダム大聖堂
の再建の寄付について、フランスでも
色々論議されてるようで、おー、わた
しが思ってる事を思う人もやっぱりお
られたんだと、嬉しくなりました。
でも、これはフランス国内だけの問題ではないような気がするのです。何でノートルダム大聖堂が焼けてしまったのか。神様は、これで何を伝えたいと思っておられるのか。神様の御心は何❓
単純頭のわたしは、ノートルダム大聖堂が焼けた事で、多くのお金がある所にはあるって事。
金額的に多額の寄付が出来るのに、多額でなくてもノートルダム大聖堂のためには出せて、人のためには出せないって事。
レプタを捧げた女性のように、神様の目で見られたら、何億出そうが、切り詰めた中の500円?には勝てないかも。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
上野千鶴子さん東大祝辞の中から抜粋
たまたま見つけたこの祝辞、東大教授の中にはこういう頭の柔らかいというか、人を思いやる事を、単純頭のわたしにも分かるように、教える事が出来る人がいるんだなぁと、感心しました。さすがに、人生の先輩。この方も恵まれた環境にあったのでしょうが、人を貶めたり、バカにしたりする人ではない。聴くところによるとこれは、イエズス会学校のモットーだそうです。
同じ◯◯◯ ◯の中には、やれ、留学、やれ◯◯大学、この世の資格をひけらかし、心から出てるとは思えない敬語を使い、理性、客観という言葉を使って論理的に?書けばなーんかそうかなぁ?と思わせるような書き方する人もいるけれど、自分自身が神様になってる事にも気付かない。かわいそうな人。そのくせプライドだけは高い。同じ考え方の人が集まってるから、それに誰も気付かない。
そういう考えもありますね。
という、相手を尊重し、受け入れようとする姿勢もない。そういえば、「バカの壁」に書いてたなぁ。a=0聴く耳がないってことだろうなぁ。
人はぞれぞれ自分の正論を持ち、自分の感情持ってる。それをこうでなければならない!って、上から目線で、さも、自分が集まりのトップのように決めつける。そして人を否定する。あなたは、こうなんだよ、間違ってると。そのくせ自分が書いてる事と同じ事を言われれば、攻撃してくる。何か病的。
イエス様は、この世の貧しい人、虐げられた人を救うために来られた。心のない人には分からないだろうなぁ。
主よ憐れみたまえ‼