yahooブログで掲載した、消したくないものを載せました。

 

 

ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、    彼は兄のところへ行 き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えた が、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さ ん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。(新共同訳)

 

ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。兄は答えて『行きます。お父さん』と言ったが、行かなかった。それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。(新改訳 3 版)

 

 

上記の聖書箇所の兄と弟が入れ替わってる事について、神父様にお尋ねすると、

 

「聖書は、いろんな人の手が入り訳もそれぞれ、時代によっても

   違う。

   兄、弟であろうと、他にも、丘と山々.紫と緋色.いろんな訳が

   あるけれど

   それが信仰と何の関わりがありますか?

   大事なのは、聖書が何を伝えようとしているのか、その本質を

   見極める事です。」

 

さすが神父様‼即、納得!返す言葉がない。👏

 

そう言えば、聖書研究会の時、いろんな訳の聖書があって良いから、自分の聖書を読んで下さいとの事で輪読した時に、わたしが読んでる聖書にはイナゴと訳してるのに、バルバロ訳を持ってる方がカマキリって読まれたので驚いたんだ。

 

「翻訳に拘っても、時間の無駄。もっと大事な事に目を向けるべき

    なんだけれども、学者バカって言うのかなあ。」

 

って、何かの時にもおっしゃってたな。神父様も、学者なのに、自戒を込めておられるのかな。

 

主よ憐れみたまえ‼️