こんばんは、コロナウイルスの影響で多くのイベントが中止に成っていますね、母の日に絵を展示する未来だったはずの子供達の事を思うと俺胸が痛いです、だってそうですよあんな事無かったら絵の展示は出来たはずの未来だったと思います。そうですね、俺子供達の中にこれ駄目だったと我儘言いたい人仮にいたのならば俺その我儘分かる気がします、俺だって今回の岡崎市民展は来月5月23日(月曜日の休館日を除く)~5月31日の約一週間は絵の展示に明け暮れた日々だった様に思います、でも岡崎市からの電話でイベントは悔しくも辞退と言う運びです。まあそうですよ、この状況はイベント主催者の関係のある場所に「辞退してください」と言われますからね、コロナウイルスは人の短所から絶交させる未来も作っている様にも思います。コロナウイルスで恐らく付き合っている人と別れたり離婚以外にも仲の良かった友人同士での関係も何等かの形で縁が切れてしまう未来も無きにしも非ずに思います、コロナ破局とかコロナ離婚のみならずコロナ絶交も有るのかも知れませんね。
本当だったら、今頃子供達のアイデアも俺は参考にして新たなる作品を描いていたと思います、っがしかし文句言っても仕方ないのでやれる中で絵を描いています。今日もキャンバスを消費しました、絵は描いている途上なので、公開は描き終わったらにして下さい、そしたらいずれ載せます、不要不急の外出は何をどう線引きするか難しいですね、俺だって外出は極力しない様に心掛けていますよ、でもコロナウイルスかどうかなの問題は、議論の中に隠れていたりそうで無かったりの綯交ぜな現在の状況です。
外出の自粛の中で俺は、思います。外出の頻度は半分の人よりも多過ぎる様に自覚しています、でも俺はそんな自分をどう工面して行けば良いのか分からないですが、正直生き物を販売するお店の場合はコロナウイルスの影響で熱帯魚も爬虫類もその他色々な奴等も買えなく成ってしまって、それで俺は考えました。もういつ販売が再開するのかを思いました、でもです俺そんな事納得行きませんし、無理を言いたい気持ち有りますよ、でも無理を言いたい気持ち我慢するかそれとも押すかで、我儘のボーダーラインははみ出すかどうかが決まるのだと思います。特に我儘言えるが、コロナウイルスの脅威の無かった時代だった様に思います、何もかも自分勝手に振舞えた薔薇色な人生だったと俺思いました。
コロナウイルスの影響で色々な人の対面の規制の忠告を親に受けました、本来ならば大手を振って買い物したいです、でも俺が元気に買い物しなかったらお店の人も笑えないと思います。外の世界で俺はそれを考えると人前で不安を言うのではなく残念な事有ったとしても、それを次に進む希望も残して、言っているのですがつもりに成っているだけなのかも知れませんが、本当に周囲に言いたいのは俺は絵が残念な思いしただからやれない事にくよくよするなが一番言いたい事なのですが、それ分って貰うの難しいかも知れません。
思い通りに行かないで絶望する自分の発言では、何も始まらないと思います。暗い話自分の中に有っても良いです、だからそれをどう未来に繋げた自分を見て貰うかを委ねるのは自分だと思います。俺そのつもりですけどね、でもそれやれてないかも知れませんね。
まあ、職場でも色々と有りますし、他所でも色々有りますが、外で元気でいる姿をより多くの人に振りまきたいです。外出の制約の中、不要不急の条件満たしている上でを思い、その行動を心掛ける来週にしたいです。楽しいゴールデンウィークが魔のゴールデンウィークに成ってしまった様な感覚も有りますし、自粛の期間が終わった時に俺はどう関わった人から印象を受けるかですね。
また外出の自粛が5月6日を以て解除された場合には、長距離のウォーキングしたいなと思いました。5月7日はそれを出来ると良いです、しかしそう思いつつ気掛かりな人の事も、本格的に見守れたらと思います。何度も会う人に気掛かり感持つ癖有って、それより多くの場所でより多くの面識有る人の無事を5月7日に本格的に確かめたいです。