こんにちは、あれは丁度約20年前から始まった話です。中学と高校の混ざった時期の中で親から叱責を受けました、それが車のミラーに指をぶつけて謝らない行為についての咎める行為で、親に日を置いて極最近の状況と判断する中何度もこの事を俺に謝って欲しい旨伝えましたが、しかしそれを潔しとせず俺への指導方針の強化が進められる状況へと変貌した絶望が始まったのです。高校生からその日を境に、生活と考えの色々なあれこれを厳重に親に指導され続けて、その車のを置いた人が自分のやり方を蔑ろにされて人権を侵害された様な苦しい思いをいつの間にか突き止めてしまう様な気持ちが走って最初は消化するのに必死だったのが、昨年のバレンタインにより激しく体調を崩して徐々に徐々に気持ちが生きる希望を遮った様な感覚でした。

これって本当に生き地獄でしたね、苦しい20年の間小さなこの件の話し合いを親としたのですが、しかし当時指をミラーにぶつけた時は本当に声が出ない位痛くて指も一時的に動かない状態だったのです、それをどうにかしろは本当に何らかの無理が有ると俺思いますよ。その無理を押されて不条理に親に扱われそれを更に加速したのがその出来事が出発点に成り、学校の先生も親も皆不条理に扱う苦しい毎日が始まったと思う根拠さえ見つかって、それが20年後に未だ嘗てない精神の苦痛と言える程心が崩壊して、二進も三進も行かなかった過去が有りました。でも正直言ってこれ恥ずかしがったり怖かったりして相手に直接伝わる様にしないは俺的に駄目な事だと思います、そうしなかったことが徐々に体が壊れる様な感覚に進んでより即座に落ち着いて対処する対応が俺はあの時大事だったようにも感じました。正直に言うとあの時は何もかも見失って、20年前の過去との闘病生活の中好きな人で来たのですが、その人にも前を向けられない状況でした。だってそうですよ、あの時事件の被害者に成ったかの様に苦しんで、何をどうすれば良いかも分からなく相手を恨めば心が憔悴して疲れてしまってより自分の気持ちがぎくしゃくしてしまう状況でした。20年前のバレンタインから始まった病気の途中で好きな人が出来て、プライベートに前向きに悩む事さえも希望持てずに、ただ只管どうにもならない苦しみとの闘いでした。

これ申し開きに聞こえるかも知れません、でもプライベートに一人の相手に悩む事が始まる中で、俺には体の問題も有ったのです。あれは昨年の夏休み辺りに一人の女性に動悸を起こす様に成りました、でもそれでもやはりそれを伝える以前に心の中の病気の治療の何かを見付けることが大事だったのです。あれから2ヶ月後9月の彼岸に、その特効薬となる相手の気持ちを見付け出して、どうにか苦しい闘病生活は終わったのです。やはり、何をされても俺はこの瞬間に思う事は相手を分け隔てなく接する気持ちが大事に思いますね、怒りを怒りのままに進めるのではなく事件の被害者に成ったらやっぱり直接的なものと間接的なものも直接自分の気持ち伝わる様にして、何処かで折り合わせないといけないと思いますよ。怒るのは簡単です、でも怒りをコントロールして消すのは難しいと感じています。

まあ内情的な恋愛感情なのですがいつか伝えるは、大事に思いますね俺は昨年激しく調子を崩して、二進も三進も行かずに苦しかったことが有り、それが又再発しないとも限らないかも知れないからです。そんな状況だった中で思う事は好きな人に、誠心誠意の伝わる何か探したいと思います。