こんばんは一昨昨日から、まあそうですね盗撮や痴漢疑惑の知り合いの逮捕劇の鵜沢が右往左往して、まあ兎に角あいつ逮捕されたんだってさ的な事が俺の知り合いの間で噂に成っています。まあそうですね、溢れている情報の中で何がどう事実かは俺は分かりませんが、もし裁判をする結果ならば俺はこう思います。あいつは何て馬鹿な事をしたんだと俺思いますよ、っで裁判の流れ見るとキーワードは事件から約40日の間に行われる見たいです、っで俺が知り合いのツイッターの事で気付いた事は8月の週末から情報更新が無いという事は8月が終わるまでに1週間切った時かそれともそうでないかの間に起きたのでしょうね、そうですねもし俺の考えが正しく裁判も決まった事ならば恐らく10月10日前後に遅くとも裁判が執り行われる事でしょう。正直に言うと俺何か悪い胸騒ぎがします、ネットで調べて見た結果、逮捕から40日程度が裁判の日程を決める基準の様です。

それにしてもです、もしも逮捕された事実が本当ならば、第三者の人の勇気かそれとも被害者の勇気かどころか、事実は何かも具体的に分かりません。まあそうですね、知り合いだからこそ思うの有りますね。まああの人の盗撮をした事の逮捕もしくは痴漢での逮捕の事件がもしも本当だったら、俺のせいも事実であるのでだから正直に今まで知り合いの知っている事話すのも大事かなと思います。あの時多くの知り合いと縁を切るのを何処かで止められたら、こんな事起きなかったのかも知れませんね、だから誰か止める問題考えると俺のせいでもある話ですからね、だから正直に話す事も大事に思います。俺は少なくともその人と大学生の時から付き合いが有るから、本当の事知りたい気持ちですよ。まあそうですね、大学二年生の時に暴力的な短所の一面性は有りましたが、本来の姿は温厚な優しい性格だったと俺は信じています。

だから大学一年から、今まで関わって来た過去話しましょう。初対面の時は律儀で、温和な性格である印象でした、でも思い通りに行かないと汚い言葉をネットや相手に直接という形で発言する悪い点が目立っている事に大学一年の終わりか大学二年に成かどうかなで気付きました、それで大学二年の半分が過ぎた辺りからこんな事言って申し訳ございませんが、知らない人が多くすれ違う状況で性的な用語や排泄物の用語を連呼する事が何度もあり、知り合い内でこの様な行為を俺を始め多くの人に叱られました、でも一向にこの様な言葉を公の場でやめて欲しい旨の気持ちは皆で伝えても蔑ろに成った最後です。それで前に2015年に人のなりすまししたというの言いましたよね、まあそれはその時に始まった事では無くずっと何度もあったのですが、その前に話す事は大学三年生になっても相変わらず言葉の暴力を直す課題はそのままの状態で、大きくも小さくも内輪揉めも有りましたその度に注意はされていたものの、大学三年生の7月に知り合いのなりすましをして何かの予約する問題で本人から厳重に注意されているエピソードが有りました、その時もうこんなことは無いと信じていたのですが大学の卒業式を終えて間もない時に又同じ人の名前を不当に利用して何かの予約をして同じ事での注意を受け、流石にもう今後この様な事は一切無いだろうと思ったら2015年8月(約十年後)に別の知り合いの名前を使って周りが金銭的に損害を被るかも知れない事態が起きました、流石にこの様な行為についての厳罰を受ける結果と成りました、あの時周りの人も堪忍袋の緒が切れる状況だったのかも知れません人の騙りはいけない事なのでしっかりもう二度としてはいけない事を伝えたかったのだと俺は思います。っで少し前の過去の話をしますが、相手にネットや本人に直接暴言を吐くは知り合いの輪から外れる中で相変わらず終わらない状況でした、大学生の生活の間色々な人にネットで暴言を吐く事も有り、一度大学三年生の時に「彼が怒ったのは俺にも至らない所が有ったから直接あいつに謝りたい」とネットでの暴言を受けた人は言っていまして謝っていいよで終わりでめでたしに俺はしたんです。大学四年生は、まあ暴力を行うという問題はまあ、目立った情報は無かったのですが、大学を卒業して何年か経過してその人が社会人に成った辺りから、ネットでの暴言は終わっていない事実が密かに情報として流れました。それで時々お世話になった人に対して脅迫したり誰かが結婚する場合に結婚式を台無しにする構想を練ったりした情報と、やってはいけない事をやるという事の激しさは学校生活を送る状況を終えた時に過激さを増した様に感じます。やはりそういった情報を聞いても実際に俺は見た聞いたの第三者では無かった事から、考える事が情報を向き合わなさ過ぎた事も甘かった事に気付きました。誹謗中傷を見ないまま見た証拠のみに焦点を当てたので、そんな時に起きたのが水の入った手榴弾を投げて小学生時代の付き合いの人に当ててしまったという事が俺の知らない時に起きて水の入った手榴弾を投げた一部始終を見た物のそれが何処に転がっているかも分からず、気付いたら俺のいた場所間一髪でした。2011年10月にこの様な事が起きて、水の手榴弾を当てた本人に取り敢えずの謝罪で後に発言する内容は、「俺の考えた事を壊した事誠意を持って謝って欲しい」という旨の内容の発言でした。それでまあ度々トラブルを俺は目の当たりにする様に成り、水の入った手榴弾を投げた一年後位には知り合いを曲解しても可笑しく無い様な情報を流して、それは本人に流した情報はデマでこう思う原因は卑猥な発言をして人に暴力を今まで振るってきたからだから俺はそれを改めるように注意しているだけと発言して、それで素直に謝って自分の行為を悔い改めると思って長年信じ続けていたら、相手の名前使って嘘の情報を流す事が2015年に起きたという訳です。2015年8月に嘘の情報を知り合いを利用して流した事で、周囲の輪の中に居辛くなっていた時に、誰かに「お前来いよ、誰だって過ちはある」という様な旨の言葉送ったのですが、今年の3月からその言葉が虚しい物に成ってしまいましたね。そうです、あんな些細なすれ違いが有った時、知り合いの輪から縁を切る事に成ったのです。その人の親も、自分の気持ちが思い通りに行かない事も関係有るのですが、昨年5月が三分の一しかない状況の中、カップル盗撮を行って「ウルサイバカップル迷惑だ」の文章と盗撮した画像を公場で公開される状況にして、周りから呆れられたり顰蹙を買う事にも繋がりましたが、まあそう発言した事についての問題はどうなのか分からず事実はこうと物は言えませんが、あの後夜自分の憤慨する気持ちをネットで様々な場所にぶつけてその約一週間後にまた同じ文章を載せて、あれから自分の意見を言ってもう今後今度こそ暴力を行わない未来だと信じましたが、しかし約三ヶ月後に8月中旬が過ぎた辺りだろう状況と推測する中で不適切な行為の話も飛び交い尚且つ9月に又同じ憤慨の言葉が執拗に流される事と成りました。それでそれ限りその人と会うことなく、俺は自分の気持ち折り合ったら俺達の所戻ってこいと必死に叫びましたが、俺達の輪から縁を切る結果となったのです。

この様に俺は人に自分の意見をこうと思っても説得出来ませんでした、水の入った手榴弾はやった事を全部悪いと片付けてはいけないことは俺は思っていましたでも世間的にそれは絶対駄目でやったからには奥の気持ちの内容を汲み取るのはいけないのが常識に成っていますが、それでも俺それは曲げられない状況でも通る意見を言えない状況でした。他にもその人の気持ち汲み取った事を形に出来ずに、まあ常識的には汲み取るの駄目と型に嵌っていても、彼の譲れない気持ち誰もが納得する意見を何処かで言えたらあの事件は起きなかったと俺は感じています。そうですね、万が一盗撮もしくは痴漢の事件であの人が逮捕されたのならばを考えると、その人の心の中に乱暴な心が有る事を気付く事よりもっと重要だったのがやってしまった事はやってしまった事で片付けられる中で、彼の気持ちを汲み取ったと思えてやられた方も納得する結末も答えが無いまま探しても無い状況のままの相変わらずな自分も悪いのかも知れませんね。俺の言っている知り合いの関連の中に盗撮もしくは痴漢の被害者がいたのならば、それは全てが全てあの人が悪いで無く大学時代から付き合いが十数年有るにも関わらず、傷付いた気持ちをどんな事が有っても皆が汲み取って言葉を適切に掛けられる状況にするのが大事に思いました。水の入った缶を投げるは暴行罪に成ってしまうことも後から分かりましたが、それでもやはりあの時は怒りの矛先を本人と話し合うべきだったは本当に大事な事だった様に思いますが、お互いの気持ちを天秤で釣り合う状況作りを何処かでするのが大事だと俺は思っていたのですが、しかしやった本人には耳に痛い事ばかりで、それ以外の方法を探し続けても見付けては世間的に納得行かないか現実離れな物ばかりで、それでもそれをもっと貫く力が俺に有ったらとも思う面有りますね。

そうですね、水の入った缶を投げて人に当てた事は、その人が言っていた「俺の考えた事を壊した事誠意を持って謝って欲しい」という気持ちもやられた人も水の入った缶を投げた人も納得する何かを見付ける事が出来てもそれを話し合って形に出来なかったエピソードが俺にも有り、他にも誰かのなりすましの時に厳罰についての問題の意見を自分と同じだったり似た様な意見の周囲を見付ける事も出来ていれば心を救えるのは無きにしも非ずだったと思いました。

もしもその人の盗撮か痴漢の事で逮捕された事が事実なら、どうにかその人の心を救いたいと俺は思っています、でも思った事言うしか出来ません。裁判がもしも彼に差し迫っていたら、懲役なのかそれともより軽い処遇なのか分かりませんが、しかし一つ言える事は何時でも俺の場所に戻って来いですね。

確かにあの人の暴力や暴言に色々な場面で辟易した事は有ります、でも今苦しんでるのではと思う状況の中で、今度こそあの人を見失わない周りの目が大事なのでは無いでしょうか。言い訳を言い訳にするのが、恐らく相手の気持ちを逆なでする結末なのかも知れません。やってしまった事は言い訳でなく、言い訳を正当に周囲に扱われる状況にするが俺は大事だと思います。俺の知り合いの逮捕から裁判に発展する状況がもし本当ならば、こう言いたいです警察や裁判所の皆さんどうか15年以上の付き合いのある友人を世の中には親切な人が沢山溢れている事を分かる様に教えてくれる様に宜しくお願いしますと伝える事しか出来ません。

今後の結果は分かりませんが、しかしどうしたら見失わないかを考える事ですね。っという事で10月20日にアスナル金山へ、レッツゴーの朝にします。