こんばんは、深夜に失礼します。

雨が三日間降り続いている日々です、本当に雨がしつこいと思う俺です。結構都合の良い話ですが、雨が節度ある接し方をすると思えたらと思う最近です。

ホウシャガメの手に、鱗的なものを加えました。甲羅も満足行かない中、リスクヘッジの思想で、手にも手を加えています。ホウシャガメ、小学生時代に登録された登録年月日が何時も記載されていて、何故平成3年の登録票交付を示唆しているのか事実を確かな物にしたい俺ですが、無理だと分かっていたも真実知りたいですね。

という事で、真実キーワードに何か言いましょう。動画や写真は相手の動作通りに何かを映します。動画は、自分の恥ずかしい物を映す事にも時として成る訳です。しかし映ったものをその通りに見て良いのでしょうか、それにはフィクションも確かに存在します、フィクションをフィクション通りに見てしまう事は当たり前です。だからフィクションはそれなりの責任が伴うのです、番組は台本で成り立つと言いますが、全てが台本通りのシナリオで裁判に成った場合は後の祭りだと思います。番組制作には、それなりの責任を持つべきなのです。漫画の制作もそうです、著作権と著作物の保護を人は注目していますが、著作物にも責任を要する義務を国際的に議論しなくてはいけないと思います。例えばグロテスクな描写の著作物等は、何か有ったのならば裁判で賠償を受ける事も覚悟の上で制作するという事も視野に入れなくてはいけないと考えています。著作権と声高に言うのではなく著作物で被害者が出た場合の刑罰も視野に入れないと、著作物の分野が滅茶苦茶に成ってしまうと思います。そういっている自分も何を制限してやりくりすれば良いのか分かりませんが、しかし著作物はどんなにオリジナリティが有ったとしても何等かの責任は著作者には義務と成っているのです。それで裁判を行う事を検討された場合どんな事であれ、著作物に対する損に対してのどんなトラブルであっても賠償金や慰謝料や示談金を支払う姿勢を持たなくては漫画家としても小説家としても番組の制作スタッフとしても一人前と言えないのではないでしょうか。現に著作物は、人を時として貶めてしまう恐ろしい凶器なのです、それを弁えた上で何かを制作するのです。

行とし生ける者全ては完全では有りません、皆何等かの形で一人前に生きて行くという事は出来ないのです。一人前ではない世の中の中、人が一人前と決めても自分は一人前ではない精神が大事です。

自分自身絵のモデルにした人全てに幸福を運べるとは思えません、自分のしたことは毀誉褒貶の渦に巻き込まれていると思っているからです。動物は直接相手に伝えられない分、気軽に描けますが、人であればそれはもっと複雑な物が絡みます。知らないまま白黒付く物を良くも悪くも経験して、成長するのです。毀誉褒貶であっても、曲げずに自分の進む道を進まなくてはいけない事も有ります、悪く言われる事と良く言われる事が綯交ぜの事を毀誉褒貶と言い、その二つがぶつかるのを承知でなくては何かを制作する事は出来ません。俺の描くホウシャガメをモデルにした絵も毀誉褒貶かも知れません、悪評とそうで無い物の綯交ぜにさらされながら、それでも歩む事を選んだのです。

世の中仕事は時と場合には裁判沙汰に成るかならないかは様々で、毀誉褒貶な物なのです、だからそれとどう向き合うかです。