おはようございます、今日は投稿が多いですね、三回目の投稿です、夏休みだからでしょうか。

8月22日にニコプチの付録として添付されているペンケースをオオアタマガメの攻撃防御用とヘビの攻撃防御用に利用出来るか確かめようと思います、俺のやる事は研究に成っていないと思う学者も数多くいるのは重々承知ですし俺もそれは自覚しています。正直俺は大学院を通して研究に着手していませんから、だからそこで研究スキルを磨けるのは20XX年に成る事やらという話に成ってしまいました、っておい俺ロックマンの年号表記してるじゃねーと今一瞬思いました。

俺の開拓した物は、というよりも開発した技術と謳っていると言われても仕方無いのですが、ニコプチの付録を使った理系概念の実験方法は俺のオリジナルです。電子情報工学の概念がというよりもある大学工学部電子情報工学科(この学科一つだけの固有の学科ではなかった)卒ですから、電子情報工学の概念利用してある日突然生まれた俺のオリジナル技術です。しかし(俺も)人がこの技術を触れるのは、幼過ぎている様に感じます。この様な発言に成ってしまいますが一度生まれてしまったら膨張の様な現象が有って尚実態も無く人為的に成長を続ける性質が有るのではと考えているので、多くの学問の世界の中で一つでも結び付く何かを見付けなくてはいけません、環境工学で廃棄物こそ資源が眠っているのにそのままにしている廃棄物の問題を聴講生で聞いたら結び付く事としては俺の技術を自分自身が塵として片付けたのならばそこにある可能性を閉ざしてしまう事にも成るという事と、生態学の分野で結び付けて考えられる事は生物の種が多様ならばそれから新薬開発・食料・生活等のあらゆる人間活動に貢献するがそうで無くては人間活動を遮る話からニコプチの付録を利用した研究の積極化は大きく社会貢献する可能性を秘めていてもしかしそれを俺の妄想やこじつけとして片付けられたのならば、新しい発見が闇に葬り去られたまま多くの学問の分野の成長を遅らせる事になる事も考えられる事として言える事です。

生態学や生物の分野は理系の概念だけでは片付けられない学問なのです、特に生態学と成ると場合によっては社会学的な要素と生物学的な要素が織り成す事も有るのです。特に生物多様性の問題についての話は倫理的問題が半分と理科の分野の生物が半分という話に成っていました。確かに95%前後が生態学は理系の話ですが、しかし僅かに文系の思考の求められる話も織り成しているのです。

まだ放送大学で、何を拾うか分かりませんが、しかし俺が上記の事を思っている以上は拾えるだけ多くの欠片やガラクタを拾い集めようと思います。これは水を差す話に成ってしまう面もあり申し訳ありませんがアイシュタインを知っていますか、あの人は相対性理論の疑問を大学時代課題に学校の課題を無視してでも証明するという道に進みました、そして自分の興味ある分野しか積極的に勉強しなかったという逸話があります。当時は博士号に拘らなくても今よりも容易く科学の分野のメスが入れられたと感じています、しかしこの逸話を例にしてしまい申し訳ございませんが、大学や専門学校等で課題をこなして卒業する忠誠心を持つことは大事です。アインシュタインは、課題を無視した実験を繰り返した事が引き金で多くの教授の人とトラブルに成ったという話もあります、それは一歩間違えれば大きな事故さえ発展し兼ねない危険な実験だったからです。そういった点を他人事であっても自分事の様に反省し、そして俺の場合は興味ある興味ないに関わらず学問の殻を広げ俺のオリジナルの開発物に結び付く欠片やガラクタを集める事にしようと思いました、勿論放送大学のルールは守る忠誠心は持つつもりです。

あれから俺は、多くの課題の叱咤激励の意図を別の事にも応用する力を磨いています。ニコプチ等の付録からニシキヘビを飼うとか熱帯魚を飼う技術は、妄想の話として終わらせたくないからです。