こんばんは、明日まで後に時間を過ぎました。

放送大学大学院修了奮闘記を近々更新したいと考えていましたが、昨日の残念な話をしようと思います。あれは放送大学の愛知学習センター付近のショッピングモールで、一匹の猫を巡る問題です。

昨日一匹の捨て猫が、ショッピングモールの入り口に居ました。その猫は警備員に徒党を組んで虐待されたそうです、何を聞いたか記憶が曖昧ですが曖昧な記憶の中に石を投げられたり更に死んでも可笑しくない様な事をされたりしたことを聞きました。そもそも始まりは、飼い主が飼い切れなくなった事によって捨てられた事が発端です。そこから支える人は多くいるのですが、しかし心無い警備員はその猫が居なくなる為なら手段を選ばないという卑劣な行為を一人ではなく二人以上で行っていました。猫を徒党を組んでいじめた警備員は、もういないけれどもしかし猫は人間不信に成っている気持ちが捨てられないままです。

俺はこの様な昨日の出来事から思います、人間社会が都合が良い物に成るのならば、他者が死んでも構わない考えは良いのか、動物も人間に人権が有る様に動物の権利に関する法律は無くても苦しい思いをしないで生きる権利が有るのです。その猫は、子供がいます。その猫の息子や娘は、誰かに引き取られたのですが、しかし残った親の猫は花屋の人達等の多くの方々に支えられていると聞きます。

この話を聞くと人にも動物にも、迷惑だとか公害だという気持ちを持って物を言ったり・苦しめたり・排除したり・居場所を無くしたりしても良いのでしょうか、はっきり言って警備員人達のしている一匹の猫にしている仕打ちは、障害者の方々に迷惑だとか公害だという気持ちを持ってはいけないのに持ってしまって差別して排除する事と大して変わらない考えだと思います。介助犬と付き添いの人に対して「犬は汚いから、飲食店に来ることも電車に乗るこ等も禁止するべきだ」とか車椅子の人に対して「あいつは場所を取り過ぎて迷惑だ」と、声高に叫ぶ人達と変わらない最低な行為と同程度の事を猫に対して警備員の方々はしたのだと思います。猫を排除するためなら、どんなことでもする警備員の方々は人の弱さを差別するネタにするかもしれません、あの人達に障害のある人をボランティア精神で理解するという気持ちは毛頭無いのかも知れません。

鉄道会社の人も飲食店の人等も、皆障害者に配慮した暮らしを築こうと努力している姿が有るのです、猫を排除した警備員の方々は障害者の人を平気で差別出来るのでしょうか、動物を排除する精神は人間も排除する思想へとエスカレートするものかもしれません。猫いじめをしていた警備員の方の心の中の悪魔は、人にも危害を加える事を唆す可能性だって否定できません。猫が死んででもいなくするという考えは、人がしんでもいなくする考えと密接に結びついていると良くニュースで聞きます。

警備員の方々のやっている事は、立派な動物の権利を蔑ろにした法律に該当する犯罪です。それが人間にも危害を及ぶものに成ってしまわないか、心配です。