こんばんは、今日三回目の投稿で最近描いたアロワナのマークを添えた絵の件で具体的な話をすると、知らない人同士だからだけでは語れない物が有ります。これは暗い話になりますが、愛知県と愛知県全域の市区町村が目を逸らしてはいけない問題だと考えています。

これは、遡る事二年前の話です。ある多くの人々の人生を破滅に追い込もうとしているツイッターが、大学生である事を名乗っている人によって今愛知県内の様々な学校の変な噂が有る事無い事流れている事や様々な学校の人を犯罪に利用する事が背景に有ります。それを自分は止めようとしましたが、しかし止められませんでした。

絵のモデルにした人の学校が今特定の人物によって、学校を中傷する様な書き込みを執拗に行っている事が背景に有ります(その学校の生徒を俺に紹介しろという旨を伝えた人もいた)。その様な事をしている学校は、一校のみならず複数存在していた事も、私は見てきました。

人の心の闇より生まれ人の心を喰らう者(大学生を名乗った人物のツイッター)に、打ち勝とうと立ち向かいましたが、人よりも恐ろしいツイッターはどうしても勝てませんでした。8年前東京都の学校裏サイトに勝った事が有り、「それに差し違えても勝つ」つもりで立ち向かったのですが勝てたのは相当運が良かった事という事を長い年月の中分かりました。その愛知県に蔓延る人の心の闇より生まれ人の心を喰らう者は(人を悪者にする事は出来ません)、未成年のみならず大人さえも犯罪の道に導いて生きる道を遮っているのです。自分の力は無力ですが、その社会悪であるツイッターにどうしても勝ちたい気持ちが有っても、それでも勝てないというのが現状です(昔はルーチン作業で出来ると思った事が長い年月で違っていた事が分かった)。

この様な醜い犯罪を止めたいです、大学生を名乗っている人物は愛知県内の様々な高校をそっとはしませんし、人々の笑い合える暮らしも壊しています。その大学生を名乗っている人も、本当は心に葛藤を抱えていて様々な高校を中傷したりその様々な高校の問題視する触法行為の問題を様々な高校が検討する様な問題を手助けする様な、様々な高校の名誉や信用を害する情報を罪の意識を見せる事無く今も続けているのです。その問題について、私は様々な高校と分かり合うのは難しい様に思っています。それでも、人の心の闇より生まれ人の心を喰らうツイッターが無くなる未来を信じたいです。

本当は法に反さなくても誰かが傷付く姿を見たく有りませんが、もしそのツイッターの様々な高校の変な噂の情報掲載が終わっても邪な考えで、人の心を玩具にするツイッターと関わって触法行為を行った人に罪を償わせる結果に成るのだと思います。

あれは心に傷を抱えた女子高生が人を玩具にする悪魔を生み出して、その悪魔が悪魔を生み出した女子高生も多くの大人と未成年を犯罪の道に唆していると感じています。その悪魔を退治しないといけません、人間を悪魔だという気持ちは誰かを排除する行為です。悪魔はシステムであり、命の有る者では有りません。悪魔の正体は社会のシステムと結びつくきっかけは、大学時代の卒業研究前の卒業研究に着手する段階に行う授業で、社会のシステムに悪魔が存在する理論を立てました。大学三年生の後半で卒業研究の前の段階の授業を担当している教授の人から一枚のプリントを配られ色々と耳に痛い事を書き連ねられていました、そんな中「勇気が無い」という言葉から長い年月は経ちましたが、一枚のプリントをきっかけに人の心の闇より生まれ人の心を喰らう者は実在しそれは、霊能力者やエクソシストの力で退治するのではなく、社会システムの悪い要素を無くしてそれと縁を切る様にしなくてはいけないと思いました。その教授の意図とズレているかも知れませんが、しかし人の心の傷から悪魔が生まれる理論を立てるきっかけと成ったのです。

あのツイッターは、邪悪な心しか無い人の心を悪の道に操る存在です。20代の私は恥ずかしい事なのですが、人の心を生み出した企業に巣食う悪魔に心を間接的に苦しめられても、抗う事も出来なかった程です。その事を、知って社会に巣食う悪魔を退治する力を強めないといけないと思いました。社会に生きる人ではなく社会に巣食う悪魔に目を向けないといけません、その悪魔は誰にでも感じたり見たりする能力を身に着ける事は可能かも知れません。

今日の書き込みを遡って、理解して欲しい物が有ります。大学生を名乗ってツイッターで、大人に犯罪を嗾ける悪魔を退治する武器をいつかは私は見付けないといけないのかも知れませんが、それまでの間に自分なりの答えを見付けないといけません。私のモデルにした人の同じ学校の人が、一人の人の心の傷から生み出した悪魔のせいで学校の名誉と信用を傷つけるツイッターで色々な形で傷つけられた結果が有ったとするのならば、その過去は修正できないけれども同じ学校の人の笑顔から明るい未来を築けるかも知れないと思ったからです。

まだ途中経過の作品ですがいつも同じ画像ばかりで申し訳ございまんが、人物画は描く時はいつも笑顔が一番をテーマに、描き続けていますがしかしそれを精密に表現するのが私にとっては難関な問題です。

女性は私の第一印象は男性よりも同性同士で争い水と油の関係を時として生み出す様な事が、全くと言って良い程無いと小学校から見て来ました。女性は同性同士で、一つの輪を作っているのを見て来ています。女性は異性との間では水と油に成ってしまう事は珍しくなくても、同性同士は不思議な事に結束力が男性よりもかなり優れていました。それに賭けて見ようと思い、またその子と同じ学校の人をモデルに作品を完成させたいと思いました。

私は人を時と場合によっては勇気付けられないのだという事が分かっています、万が一勇気を与えられるとするのならば具体的な背景がこうだと考えられる物もしくはそうであろう物にしか力を貸す事しか出来ません。人の心の解決策を生み出すしか出来ないのです、だからその道で悲しい気持ちを声に出さない様な事に繋げられる様にしようと思いました。

人を歌で勇気付ける人を見て来て思うのですが、絵では直接的な要素でしか勇気付けられないのです。個人を癒してそれを多くの人に分ける物に成ってしまうと、人物画を描き続けた人生で感じています。その反面音楽の世界は不思議な事に、歌で多くの人に元気と勇気を分ける位の物でなく皆平等に歌を聞いただけで、一歩前へ進めた人がいる事を高校一年生の時のスピードがテーマに成った話で知り、エイベックスのレッスン生の人もウィッシュという愛知県のボーカルスクールのスクール生の人も同じ事をしている姿だと目に映る様に成りました。

50号のキャンバスで私は作品制作を、今日検討して思ったのです。過去の感じた事だけで言ってしまい申し訳ございませんがモデルにした人にポジティブな感情を持たせて、他の人は見て楽しむ物に成ってしまうけれども、それでも自分のやれる事をやるしか無いです。人の直接抱えている物に、私は直接ぶつかる事しか出来ません。一人の人をモデルにして、ポジティブな気持ちを周りに共有できる物にする事から始めたいと思いました。

一人の大学生だと言っている人物が生み出した薄汚い、悪い要素しか存在しないあるツイッターという名の悪魔が、退治される(退治されるまでに着手するには私が関係するのかどうか分かりませんが)までの間、何をするかが自問自答です。

それまでは「俺にはこれしかできないけど、自分の気持ち少し重たいかも知れないけど、そこから一歩傷付いた誰かに進める糧と成って欲しい」と、願うしかありません。

それから今私がしている事は、本音は人が傷付く本音を極力持ち歩かない様にしています。平たく言ってしまえば人が傷つく本音の気持ちは極力捨てて、良い事ばかりの本音に変える様にしています。これも自分自身の立てた心の修業ですから、その修業を重ねて何が有るか分かりませんが良い結果を生み出す糧としたいです。

絵は美術の世界は、人との関わり合いが隔てられている孤独な世界です。その孤独な世界から人のポジティブな気持ちを、自分のありのままの力で表現するのです。高校時代の美術の先生(三年の時の先生)は「心を込めて作品作りをしろ」と言いました、人の言葉は何をどう切り開けば良いか分かりませんが、しかし特に人物画はモデルにした本人の心に届く作品にしなくてはいけない誠意ある世界を表現した物にする事が大切に思ったのです。

今日描いた事を又言って澄みませんが、高校時代美術部で高校入学とほぼ同時にほぼ卒業間際まで、絵を描き続けました。あの日一人後輩の人が、様々な事情が重なった事によって絵の展示を辞退してしまった結果は、自分の説得力と人に気持ちと誠意を分かって貰う能力が弱い事が一番遣る瀬無い気持ちでした。顧問の先生は、その子には「良くやった」と褒めて貰える様に成って欲しく、美術部の部長の候補であったため嫌いだという感情では無く、例え表面では「部活動に問題が発生する」という言葉遣いをしていてもそれでも、その子の努力が何らかの形で報われる事が諦められなかったのだと思いました。今に成って思うのですが、高校時代の三年時の美術部の先生も一年~二年まで面倒を見てくれた顧問の先生もタイプは違っていても、先生を続ける事が相応しい人だと改めて思いました。学校の先生は他の先生の批評は鵜呑みには出来ないもので、長所と短所を理解して分かり合う事が重要だと長年の間に気付きました。

長い旅は、始まったばかりです。