こんばんは、今日の朝から首が痛くて曲り難いです。首が痛くて痛くて、何だか色々な事をするのに支障をきたしています。
多分寝違えたのでしょうか、首の痛みとの奮闘の日々が始まりました。
12月は、何かと良い事が無い年末です。小さな幸せが有っても、大きな不幸を感じてしまう俺です。それはちょっとプライベートなので具体的な事は控えておきますが、思い通りに行かない十二月です。色々な物を抱えて、生きているんですよ。
ホウシャガメバンクを、これだけ貯金という計画を立てたのですが、計画通りに成らなかったりする事も有るのですが、しかし何よりも悲しいのがペットが餌食いが落ちる事と、必ず死の宣告を受けるという問題を抱えているんです。梨鈴の治療の資金は、目途が立たずそれに、ダトニオも死ぬという悲しい出来事が十二月の一齣に有りました。
今年はプライベートで言えない悲しい出来事が、重ね重ねに起きる年と成りました。オーバーフロー装置の水槽の失敗から、プライベートの為伏せて置く事まで、有ったんです。
VTSそれは、3月に楽しみにしていたのですが、祖母のインフルエンザの発症によって家族で祖母の様子を見る日と成りました。どうしても、VTSに行きたい気持ちは有りましたが、しかし家族の突然の問題で有った為どこか心残りを抱えていても、それを優先しました。この複雑な心境はブログでどう語れば良いのか分かりませんが、非常に悲しいエピソードと成りました。3月29日日曜日、どんな言葉を使えば良いのか分かりませんが、どうしても非常に残念過ぎる日と成りました。あれは3月28日土曜日の朝、父に「おばあちゃんが大変だ、至急来てくれ」と言われました。その時は冗談だと思ったのですが、祖母の病気との闘いは始まったのです。朝近くの病院へ行ったのですが、異常なしとの診断は序章に過ぎませんでした。そこから更なる病状の悪化が始まりました、このまま最悪のケースを待つのだろうかと思い、救急車を昼頃に呼ぼうと自分自身検討して、母に相談すればきっと「そんな事駄目だ」と言われると思い何も出来ませんでした。あの時の祖母は病院を忌み嫌う形相で、「病院へは行かない」とか病状が悪化する傾向でも「安静にすれば治る」と言ったりまたしそれに「今日死ぬのが定めならば死なせて欲しい」という様な事を呟いていたので、家族一眼と成って病気が治るのを見守るのが必要でした。自分の考えを伝えられず夜に成って、母が妹に知り合いの医師を通じてどうすれば良いかを決断してもらう様に頼みました。あの時祖母が亡くなっていても可笑しく無かった日でも有りました、それはそっとしておけば一日の内にして急激に体調を崩してしまったからです。家族がやっぱりインフルエンザで入院してしまって、私は今すぐにでも救急車を呼ぼうと考えてしまった事なので、一人暮らしをしても祖母の病状を案じていても可笑しくは無かったエピソードも存在しています。
2015年は色々な、思い通りに行かない事の寄せ集めに成ってしまったので、2016年はそうならないで欲しいです。
多分寝違えたのでしょうか、首の痛みとの奮闘の日々が始まりました。
12月は、何かと良い事が無い年末です。小さな幸せが有っても、大きな不幸を感じてしまう俺です。それはちょっとプライベートなので具体的な事は控えておきますが、思い通りに行かない十二月です。色々な物を抱えて、生きているんですよ。
ホウシャガメバンクを、これだけ貯金という計画を立てたのですが、計画通りに成らなかったりする事も有るのですが、しかし何よりも悲しいのがペットが餌食いが落ちる事と、必ず死の宣告を受けるという問題を抱えているんです。梨鈴の治療の資金は、目途が立たずそれに、ダトニオも死ぬという悲しい出来事が十二月の一齣に有りました。
今年はプライベートで言えない悲しい出来事が、重ね重ねに起きる年と成りました。オーバーフロー装置の水槽の失敗から、プライベートの為伏せて置く事まで、有ったんです。
VTSそれは、3月に楽しみにしていたのですが、祖母のインフルエンザの発症によって家族で祖母の様子を見る日と成りました。どうしても、VTSに行きたい気持ちは有りましたが、しかし家族の突然の問題で有った為どこか心残りを抱えていても、それを優先しました。この複雑な心境はブログでどう語れば良いのか分かりませんが、非常に悲しいエピソードと成りました。3月29日日曜日、どんな言葉を使えば良いのか分かりませんが、どうしても非常に残念過ぎる日と成りました。あれは3月28日土曜日の朝、父に「おばあちゃんが大変だ、至急来てくれ」と言われました。その時は冗談だと思ったのですが、祖母の病気との闘いは始まったのです。朝近くの病院へ行ったのですが、異常なしとの診断は序章に過ぎませんでした。そこから更なる病状の悪化が始まりました、このまま最悪のケースを待つのだろうかと思い、救急車を昼頃に呼ぼうと自分自身検討して、母に相談すればきっと「そんな事駄目だ」と言われると思い何も出来ませんでした。あの時の祖母は病院を忌み嫌う形相で、「病院へは行かない」とか病状が悪化する傾向でも「安静にすれば治る」と言ったりまたしそれに「今日死ぬのが定めならば死なせて欲しい」という様な事を呟いていたので、家族一眼と成って病気が治るのを見守るのが必要でした。自分の考えを伝えられず夜に成って、母が妹に知り合いの医師を通じてどうすれば良いかを決断してもらう様に頼みました。あの時祖母が亡くなっていても可笑しく無かった日でも有りました、それはそっとしておけば一日の内にして急激に体調を崩してしまったからです。家族がやっぱりインフルエンザで入院してしまって、私は今すぐにでも救急車を呼ぼうと考えてしまった事なので、一人暮らしをしても祖母の病状を案じていても可笑しくは無かったエピソードも存在しています。
2015年は色々な、思い通りに行かない事の寄せ集めに成ってしまったので、2016年はそうならないで欲しいです。