関係代名詞節の考え方は、先行詞があって後ろからその名詞を修飾している形容詞の働きをしている、と言うことだ。だから先行詞は何か、関係代名詞節はどこまでか、見分けることが必要だ。また関係代名詞節は欠けた文が来る。もとの完全な文から名詞が先行詞として前に出ているので、関係代名詞節は欠けた文になる。名詞がかけるわけだから主語か、目的語か、補語か、前置詞の目的語だ。前置詞の目的語の場合は前置詞を引っ張って前に出ることもある。訳すときは制限用法か非制限用法かをしっかり区別しないといけない。わかりやすい例文を上げると、

He had two daughters who became nurse.

He had two daughters, who became  nurse.

 

この文で彼は何人娘がいるのか、ということだ。違いがわかるだろうか。

制限用法は前の先行詞を修飾している。だから上の文は、看護婦になった二人の娘がいる、と言っている。では娘何人? 答えはわからない、と言うことだ。看護婦になった娘は二人いるということを言っている。ということは看護婦にならなかった娘だっている可能性がある、と言うことだ。これが制限用法だ。それに対して、したの文は、先行詞の後ろにカンマがついている。彼は二人娘がいるんだよね、んで彼女らは看護婦になったんだよ。という意味になる。そうすると彼は娘何人いるのか、といえば二人というのが正解だ。カンマのところを別の言い方に直すと、

He had two daughters, and they  became  nurse.という意味になる。つまり、カンマが着いた非制限用法の関係代名詞節は先行詞を補足的に説明している。

 

He ate the fish which he had caught.

He is fond of fish, which he often eats.

 

これも意味の違いがわかるだろうか。制限用法は字のとおり、強力に限定している。

だから、彼が捕まえた魚を彼は食べた。という意味になる。それ以外のことは何も言っていない。これが非制限用法になると、彼は魚が好きなんだけど、しばしば食べてるんだよ。って感じで、彼は魚が好きで、よく魚を食べている。という訳になる。

これは別に強力に魚を限定しているわけではない。補足的な説明にとどまっている。

 

Children who learn quickly should start school as early as possible.

Children, who learn quickly, should start school as early as possible.

 

覚えが早い子はできるだけ早くに学校教育を始めるべきだ。 覚えが早い子は、と限定している。ということは覚えが早くない子もいるわけで、それについては何も言っていない。それに対して、下の文は、子供、と言うのは覚えが早いものだから、できるだけはやく学校教育を始めるべきだ、と言っている。子供というものは覚えが早いと、すべての子供に対して言っている。だから早く学校教育を始めるべきだ。と言っている。

 

制限用法と非制限用法の感覚が掴めただろうか。まだわからない人は繰り返し読んでその感覚をつかんでもらいたい。

 

では次に先行詞が変わったものについて見ていく。先行詞になるものは必ずしも名詞とは限らないのだ。

 

All that I want to say is this.

There wasn't much that I really wanted to know.

Who that has read "Romeo and Juliet" can forget its story?

 

注意すべき先行詞として、all, much, little, few,something ,whoなどがありうる。

これらは本当は名詞ではない。all thingsのthingsが省略されたものと考えていい。それが先行詞として使われるということだ。

私が言いたい全てはこれだ→私が言いたいのはこれだけだ。

私が知りたかったことはあまり多くはなかった。

ロミオとジュリエットを読んだ誰がその物語を忘れるだろうか。

 

There was something in his face that curiously attracted most people.

The stomach is the part of the body that receives and begins the digest food.

 

これは先行詞の後ろに何か修飾語が着いていて、その後に関係代名詞節が来ている文だ。文の内容を考えて先行詞は何か考えることが必要だ。彼の顔には何かある、どういうなにかかというと、ほとんどの人々を不思議に引き付ける。だから、先行詞はsomethingだ。人々を不思議に引き付ける顔に何かあるではおかしい。

胃とは体の一部分だ。食べ物を受け入れて消化する。だから一部を修飾している。

食べ物を受け入れて消化する体の一部では、意味がおかしい。それでは体が胃のおばけのようなものになってしまう。

 

このように先行詞のすぐ後ろに関係代名詞節が来るとは限らないということを知っておくことが必要だ。先行詞+[副詞句] とか、先行詞+[形容詞句]、その後に関係代名詞節が来ることがある。文意を考えないと意味が通らなくなってしまうので注意が必要だと言うことだ。

 

また代名詞のthatやthoseもしばしば先行詞になりうる。

That which we despise is often more important in our life than that which seems to us great and important.

 

私達の軽蔑するものが、私達に極めて極めて重大に思えるものよりも、返って私達の成果地で重要なことがしばしばある。

 

that thing whichのthingが取れた形と考えてもいい。よくthose whoと言う使い方もよくある。これは、those people whoの略と考えられる。

 

Of those of us who are human, most enjoy being with the opposite sex.

  those of us whoとthoseの後ろにof usが付いているが先行詞はthoseだ。しかし一番はじめにOfが来ている。Of は前置詞だから前置詞句は主語にならない。では主語何かというと、mostがある。ほとんどの人という意味でこれが主語。私達のうち人間的な人々の大部分は異性といるのが楽しいものだ。

 

Those rich man are great who do not think themselves great because they are rich.

 

whoの後ろの文は主語がないので関係代名詞だが、先行詞がない。どこにあるかというと主語those rich man whoと言うことだ。だから自分たち自身を金持ちだからといって偉大だと考えない金持ちな人々は偉大である。

 

つまり主語にかかる関係代名詞節が切り離されて後ろに置かれる事がある。これは英語は頭でっかちな文を嫌う傾向があるからだ。ということも知っていないとかなり厳しい。

No man is really able to read a book who is not able to express an original opinion regarding the contents of a book.

 

a book whoということはない。だから先行詞は別にあると考える。主語にNo manと人が来ているのでNo man whoと続くのだとわかる。

本の内容に関して独自な意見を発表できない人は本当に本を読むことは出来ない。

 

That was a very jolly story which Tom told the other day in one of his messages from Petrograd.

 

これもwhichの先行詞が何かを考えないと意味がおかしくなる。先日トムがペトログラードからの通信の中で話していた面白い話では意味が合わない。先日トムがペトログラードからの通信の中で話していたその話はとても面白い話だった、が自然だ。つまり、先行詞はthatでthat storyのstoryが省略されていると考える。

 

ここで言いたいのは先行詞が離れていることがあるということだ。特に主語に長々と関係代名詞節が着くような文では後ろに回されることがある、ということを知っておかないといけないということだ。