モンゴルだるま@モンゴルで兼業遊牧企業家やってます。

さて、モンゴルは今週後半からどかんと寒波に吹雪とまたまた寒い日に逆戻り。

ツァガンサル前の寒の戻りと吹雪は、悪夢だ。

モンゴル国全国21県のうち17県150ほどのソムで「ゾド」状態とのこと。
2010年、モンゴル国の家畜総数がほぼ半数に減り、若い遊牧民さんたちが家畜を手放して、経済急成長中のウランバートルに流入したゾドを思い出します。

 

初めて自分の家畜を飼っての越冬。ちょうど冬のツアー休業期間にODAプロジェクトのお仕事をいただき、冬の間も現金収入が入り、しかも内容も面白い。土日はお休みだから、週末は家畜の世話をしに冬営地に行く。経済的にも越冬費用の不安がなくなり、いいペース。
兼業遊牧万歳!楽しく過ごせそうだ、と私はウキウキでした。

 

ツァガンサルは公的機関と同じようにお休みになったので、委託牧民にまかせっきりだった家畜の様子を見に、久々の冬営地に急ぎます。

 

大晦日のボーズづくり。私たちは、委託牧民の奥さんと一緒の楽しい団らんを楽しんでいました。

夕暮れ時で羊やヤギを放牧から戻す頃のことでした。

楽しかった大晦日の雰囲気が一変しました。

 

猛吹雪。5m先もよくわからない。地吹雪と上から吹き付けてくる雪。

羊とヤギがパニックになり、谷筋1本ズレて散り散りになった!

 

放牧に行っていた委託牧民のおじさんが慌てて、ゲルに転がり込んできました。
ひげも睫毛も凍り付いて、最初、誰だかわからなかった。

 

馬を持たない私たちは、とにかく、駆け付けて、群に合流。

なんとか群をまとめて、一晩かけて冬営地まで戻そうとがんばりました。

大晦日は旧暦で新月の前日、つまりは月もなく、真っ暗。

雪が吹きすさぶなかで、何も見えない暗闇。

白い羊が、赤茶色のヤギが、力尽きて、雪の中に沈んでいきます。

必死で、雪をかき分け、掘り起し、よろけながら引き起こし、叱咤激励しながら歩かせます。

足ががちがちに凍って棒のようになっているヤギが次々に立ったまま息絶えます。

 

「動けなくなったやつは、もうあきらめろ!!」誰かの叫び声。

一頭ずつ名前をつけていた、子ヤギ、母山羊、羊・・・

気力を無くすと、ほぼ同時に命の光も失われていく。

自分の足先の感覚も、指先の感覚も、耳も鼻もほっぺも感覚がありません。

自分自身が「死ぬかもしれない」と、突然よぎったその考えにガクガク震えて力が抜けそうになりました。

 

「あきらめたら死ぬ」

 

自分が死ぬということもさることながら、委託牧民さんや、ガナー君、大切な人たちが、私が「遊牧民をやってみたい」なんて思ったばかりに命を失ったり、体の一部を失ったりするかもしれない、ということが猛烈な恐怖となってのしかかります。

 

「とにかく、ゲルまで歩け。立ち止まるな。」

 

誰が叫んでいるかよくわからない。

群の端と端を囲うようにして歩いているのだけれど、もう誰がどこにいるのか、よくわからない。小さな、小さなヘッドランプの明かりだけでは、自分がどこに進んでいるのか、どこにいるのか、もよくわからないまま、ただ、ひたすら羊のお尻を見つめながら、必死でついていきました。

 

それでも、羊やヤギの足取りがやや速まった頃「ゲルにたどり着けそうだ」と直感。

 

助かる・・・

 

とにかくゲルまでたどり着き、体を融かすようにストーブにかじりつく。

 

ろうそくの明かりにすかされたように、真っ白い蝋燭のようになっていた指先がかすかに感覚を取り戻し、ほんのりと肉のような感じになり、ほっとしました。

 

翌朝・・・いろんな気持ちを抱えながら、お互いに新年のあいさつを取り交わす。

 

「アマルバイノー マル タルガン バイノー?}

お元気ですか?家畜は太って元気でいますか?

 

簡単な挨拶。

命がけの行軍で、ほぼ半分の家畜を失った元旦の挨拶。


 

言祝ぐ。ことほぐ。

モンゴルの習慣をかみしめました。

 

たとえ、財産であり家族であった家畜たちを半分失おうとも、自分たちが死に物狂いで一晩中をかけて吹雪の中を歩き、拾った命で新年を迎えていることも、そういうことはとりあえず脇において、新年を迎え、祝う。

 

まるで何事もなかったかのように、粛々と儀式として、年始の挨拶を交わし合い、ミルクティーを飲み、酒を注ぎ、ボーズを蒸して食べるのです。

 

ツァガーンサル=白い月の旧正月は、モンゴル人にとっても、もっとも神聖で民族的な意識や家族の絆を意識する年中行事である。

 

決して、口に出している言葉と本心が一致しているわけではない。

それでも、新年を祝い、幸せを味わい、楽しい話をして盛り上がり、ツァガンサルを楽しみました。

 

大晦日の大寒波襲来は私たちだけでなく、多くの遊牧民から家畜を奪ったのです。

何事もなかったように晴れ渡った朝、点々とうずもれているかつて家畜であった肉塊を掘り出し、一つところにまとめ、頭数を確認し、行政に連絡します。

 

その年は、あまりにも多くの家畜被害が出たため、死骸処理用の燃料が行政から支給されることになっていました。

死骸が腐って病原菌が蔓延したり、冬営地のベースキャンプの近くに狼が寄ってこないようにするためです。

 

凍りついた死骸はなかなか燃えませんでした。

 

ツァガーンサル、というと、楽しいモンゴルの年中行事や伝統的なしきたりと同時に、あの、吹雪の大晦日から始まった悪夢とそれでも諦めなかった自分の決意を思い出すのです。

 

遊牧民にとって、家畜を飼うことの全てが自己責任であり、自己管理であり、そして、誰かに助けを求めて解決できる問題ではないのだ、ということ。

 

家畜を失った時、気が狂いそうに悲しかったし、絶望もしました。私のせいでたくさんの命を無駄に失うことになってしまった、そう考えると絶望しました。
 

私は、この家畜をたった一晩の吹雪で半分失った、という経験によって、自分の無力さを思い知ると共に、こんなことって、これからいくらでも起こるんだ、という経験を得たことで、今後続けていくことになる遊牧という生活スタイルの覚悟を学んだ気がします。

 

遊牧民は日常的に当たり前の宿命として、家畜の命を背負い続けているのです。

 

だからこそ、初春、これからもうすぐ暖かい春が来るということ、出産という新しい命が生まれるシーズンが来るということを祝いながら、ツァガーンサルを満喫するのです。

 

モンゴル語での簡単な新年のあいさつ。
Амар байна уу? Сар шинэдээ сайхан шинэлж байна уу?Сүрэг мал тарган байна уу?
アマルバイノー? サル シンデー サイハン シネルジ バイノー? マル スレグ タルガン バイノー?

 


吹雪の日も晴れの日も、自然と共に暮らすと、いろんなシチュエーションがあります。
思い通りに事が進まないことも。

そういうことを、いつも「ありえる」こととして、淡々と受け止めながら、暮らしています。
 

草原は今日も、皆元気です。

 

 


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