モンゴルだるま@モンゴル語通訳兼業遊牧民起業家です。
3.11
あれからもう5年がたってしまったなんて、時がたつのはあっという間ですね。

でも、被災地となってしまった土地で、あれから5年間ずっと復興のために皆さんががんばり続けていらっしゃるとはいえ、2011年3月10日以前の状態まで回復できているわけではない、という現実を私たちは受け止め、変わらぬ支援の心を持ち続け、アクションを起こし続ける必要があるんだなと思います。

大切な人たちを、住む場所、故郷を大切な財産や宝物を失った多くの方々が、この5年間をどのように積み重ねて来たのか、被災地支援に取り組む友人知人も少なくないし、現地の情報などをメールやフェイスブック、ブログなどで目にする機会も多かったから、5年間、ずっと気にかかっていました。

心の傷をいやせるのは難しいけれど、自分自身のマインドセットと時間、そして周囲の人たちがほんの少しでも傍にいて支え合うことで少しでも多くの方々が日常生活のどこかで心からリラックスして笑えるようになっていますように。

あの日、モンゴルの友人たちからは、「日本が沈没した」と言われ、何のことかすぐには理解できず、テレビをつけて唖然とし、実家の両親の安否確認をするも、その後の福島原発の爆発映像をみて、これはただ事ではない、と大慌てになりました。

モンゴルの人たちは「早く、両親をモンゴルに呼び寄せろ!」というので、娘の義務として、普段、めったにかけない国際電話をかけて説得を試みるも「パスポートの期限切れちゃってるし、再発行なんかできる体制に今の役所、なってないよ。それに、もう十分生きた感もあるから、逃げるのは若い人たちを優先にすればいいわ」なんて母に言われ、私がテレビのニュースで見ている以上に、事態は長期化の様相を呈していて、二次被害での犠牲者も続出しそうだ、と感じました。


モンゴルからの直行便は、MIATモンゴル航空だけしか飛んでいなくて、3.11当日も早朝出発の成田直行はすでに出発していて、ちょうど震災がスタートした3時ちょっと前には到着の予定でした。実際、モンゴルへと帰国/出発する予定だった人たちは、成田空港でチェックインも済ませていたのですが、そのまま空港で寝泊まりすることになったといいます。

成田空港に降りられず、いったん乗客を乗せたままのMIATモンゴル航空はウランバートルのチンギスハーン空港まで引き返しました。
そのあと、ありったけの被災地用に国がデポしていたゲルや毛布、防寒服等を空の飛行機に積み込んで日本に向かって飛び立ち、そして、「成田空港じゃない、被災地の一番近くにおろさせてくれ、救援物資を届けたい」と管制に呼びかけます。

でも日本側は東日本のすべての交通インフラがマヒしているので、とても受け入れ態勢が整っている空港がないことを告げ、再びUターン。翌日、3月11日にモンゴルに行く予定で残っていた乗客を乗せて帰ったのでした。もちろん、救援物資は大急ぎでおろしてから。

土日だというのにモンゴルの国会や公的機関では「第三の隣国である日本を救おう!」と緊急会議が開かれ、翌月曜日には、モンゴル税関職員全員の給料一日分の寄付金が集められたといいます。
ダルハン水道公社はちょうどそのとき、私もかかわっていたJICAプロジェクトで給水施設のリハビリテーション工事が進められていた関係もあり、水道公社の幹部クラスは給料5日分、常勤スタッフも1-3日分の任意の寄付を金曜日の夕方には赤十字に振込み、モンゴルの中でも一番早い義援金寄付となったときいています。

モンゴルは急に鉱山資源がらみで国民ひとりあたりのGDPの額があがって、無償援助プロジェクト対象国を卒業したのですが、決して庶民の生活レベルが上がったわけではありません。経済成長と同時にインフレが進み、さらに外国為替相場では相対的に現地通貨はおちる一方という中で、人口の6-8割近くが「貧困家庭」所得に該当する国でありながら、それでも、被災のニュースをしった当日から、即「支援」というアクションに一斉に移れるというのがすごいなーと思いました。

3.11というのは、日本全国が被災地と同じ、みんなが当事者として国の復興を目指そう!そんな感じで、東電大混乱で電力不足が心配されるも、ツイッターで拡散された「ヤシマ作戦」そのほか節電協力で、実際には、使い過ぎによる停電はなかった、というのも日本、すごーい、と思いました。

広島の子なので、原爆、放射能、被爆といったことに対しては神経質だし、核の恐ろしさは、たとえそれが「平和利用」であっても変わらないと思っているので、今でもちょっぴり「海水大丈夫か?」とか「メルトスルー」しちゃったものはどこまで地中深く落ちてるのかとか現状把握できてるの?とか不安はあります。

でも、とにかく、東北地方、福島、北関東そのほか、みなさん、生き残った方々は、辛さや痛みを抱えながらも生きている、そのことを喜びたい。

国としてできること、地域としてできることの限界があるのは仕方ない。
でも友人としてできること、については、出来る限り、よかれ、と思うことは続けていきたいし、5年たっても元の生活以上をゲットできていない方々は被災者当事者として、「何をサポートしてほしいか」と遠慮なくさけんでいいはずです。

求めよ、さらば与えられん、です。
何が欲しいか明確になれば、それを与えられる人とつながりやすくなります。

生き延びた強さは本物だけど、でも強いからといって、助けを求めてはいけないわけではない。
遠慮深い国民性にさらに忍耐強さが人一倍以上の東北の方々だからこそ、「なにが必要か」「いま、どんな気持ちでいるのか」をSpeak outしていただきたいです。

私もドリームマップという目標達成ツールをつかったファシリテーター(認定ドリマ先生)になってから、被災地で活動を続ける方々とのつながりも生まれ、より「自分ごと」として3.11を考えるようになりました。

5年間という重みを一緒に感じ、ひとりでも多くの方々の笑顔が増える喜びをシェアしていきたいと思います。

3.11は未曾有の被害に日本が襲われた日でもあるけれど、「日本を救おう」と日本だけでなく世界の人たちとの心が一つになって「がんばろう!日本」とすごいパワーを生み出した日でもあります。

まだまだ、まだまだ、まだまだ、生活の面で不自由があり、健康面で不安を抱える人たちもいっぱいいます。


3.11当日のみならず、この5年間で東日本震災や福島原発事故の影響でなくなられた方々のご冥福をお祈りします。
そして、ご遺族の皆様方、今もなお、心を痛めていらっしゃる被災地の方々のために祈ります。

あっという間の5年間、でも、まだ、たったの5年間しかたっていません。
日本はまだまだがんばります、ですね。

14:46に黙とうを始めたとき、いろんなエネルギー波動をいっぺんに感じて、頭がわんわんして、自然に涙が吹き出してしまいました。
まだまだ、常に震災からの復興という意識を持ち、きっと復興できると信じ、亡くなった方々の無念を忘れずに、故郷から離れての避難先での生活を余儀なくされている方々の不便を思い、日本の本物の復興を遂げるために自分に何が貢献できるか、を考え、できそうなことでちょっとでもアクションを起こしていきたいです。

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