モンゴルダルマ@モンゴル語通訳・エコツーリズム普及仕掛け人兼業遊牧民です。
今日もウランバートルでお仕事です。
昨日は「夏が来たー!」という感じで、半袖Tシャツやタンクトップやシースルーでブラジャー丸見え+カラーストッキング+ホットパンツというセクシーファッションなモンゴル人女性が闊歩しておりましたが、今朝はどんより雲に覆われ、朝方は雪が降っていた模様。今はちょっぴり雨な感じ。
天気の変化が激しいのはよくあることです。
モンゴルの春の天気はめまぐるしく変わります。
でも、今年のめまぐるしさはわりとよいペースじゃないかな?と喜んでいます。
雨・雪が降る→暖かくなり太陽燦々→草がにょきにょき生える→晴れて暖か→地面温まる→あったまった湿気た空気が天に昇り雲になる→雨が降る→草がにょきにょき生える・・・のサイクルなのです。
この時期の雨・雪が冬の雪解け水とともに地面にしっかりしみこむことで、夏の晴天続きの日々にも耐えられる草原を作るのです。
春の新しい土地に引っ越し、夏の遊牧を引き受けた人たちとの委託契約をすることになっているのですが、天候不安定でふきっさらしの風の通り道にある私たちの春営地が、このドラスティックな天気の変化でどうなるか、がまだよくわからないので、今日は牧畜・引っ越し担当隊長のガナー選手が現地に待機、でお天気悪いし、家畜の数も確認したし、もともと紙の契約にそれほど重きを置かない人たちだから、とりあえず家畜の世話しておくから、契約はあとでしましょう、という事態。
時々、この契約うやむやで痛い目にあうこともあるけれど、契約で立場を確定させなくても、やることやっちゃる、と淡々と働いてくれるというありがたい面もあるモンゴルの人たち。
結局、信頼関係とか日頃のお付き合いとか、もともとのその人の資質によるのかなぁ・・・
まだ適正な距離感ってよくわからないモンゴル25年目の私。
自己中心的な人たちとのおつきあいなので、大事なことのひとつに「自分の中心軸」をしっかりさせるということがあります。
天気はめまぐるしく変わるし、その時、その時の状況もめまぐるしく変わるモンゴル。
そこで外部状況に振り回されて、自分がぐらつくと仕事も生活もグラグラになります。
だからこそ、モンゴルの人たちの自己中心さは際立って強いのかも?
よくも悪くも、「自分はこうだ」ということがどっしりあります。
一見柔軟なようで、いざっていう時の我の強さはたまに「つきあいづらいなぁ」とか人間批判をしたくなる状況も出てくるのですが、「生き延びる」ってことのバックグラウンドには、この「自分中心でワールド作る」っていう意識は大事なのかも、とも思う。
日本人はこの「自分ワールド形成」の意識が脆弱なので、ちょっとくらいモンゴル人的エッセンスを注入するのは悪くないことなのかもねと。
逆にモンゴル人は「他人のことを気遣う」、働く=傍を楽にする=他人のためにがんばることを自分の喜びや誇りとするという意識を日本人的に学ぶと、かなりいろんなビジネスや人間関係が円滑になってよいのではないかしら?
エコツーリズムの精神の一つには「知る」ということがありますね。
観光というのは、「あるトピックに光をあてて観察するように見る」ということで、物見遊山といえども、見聞を広めるのは、昔から日本人が尊ぶところです。
自分が見るだけ見て、聞くだけ聞いて、体験して、去っていく・・・これが今までのマスツーリズム・いわゆるパックツアーのあり方だとすれば、私がこれまで10数年間取り組んできているエコツアーは、「お互いの体験・経験・フィーリングやマインドを共有し分かち合う」ことでお互いに影響しあっていることを感じる・確認する旅です。
同じプログラムでも誰もが同じ感想や体験・きずきに至るわけではないからこそ、マンネリにはならず、お互いにちょっとずつ「意識する」ことで自分の学びを定着できる。
これは私にとっても大事なことで、学ぶというのは一生の楽しみなのです。
あれこれと振り回されがちな私たちだったり、都会っこのモンゴル人たちだったりします。
いつもと違う空間を旅することで、自分の内面も深める旅をする。
それが、エコツアーであり、私が目指しているところです。
雨の日も風の日も、晴れの日では味わえない旅がある。
雨の日や風の日や雪の日を「悪天候」って位置づけない「旅と暮らし」。
それが遊牧民と暮らして感じる素敵なところです。

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今日もウランバートルでお仕事です。
昨日は「夏が来たー!」という感じで、半袖Tシャツやタンクトップやシースルーでブラジャー丸見え+カラーストッキング+ホットパンツというセクシーファッションなモンゴル人女性が闊歩しておりましたが、今朝はどんより雲に覆われ、朝方は雪が降っていた模様。今はちょっぴり雨な感じ。
天気の変化が激しいのはよくあることです。
モンゴルの春の天気はめまぐるしく変わります。
でも、今年のめまぐるしさはわりとよいペースじゃないかな?と喜んでいます。
雨・雪が降る→暖かくなり太陽燦々→草がにょきにょき生える→晴れて暖か→地面温まる→あったまった湿気た空気が天に昇り雲になる→雨が降る→草がにょきにょき生える・・・のサイクルなのです。
この時期の雨・雪が冬の雪解け水とともに地面にしっかりしみこむことで、夏の晴天続きの日々にも耐えられる草原を作るのです。
春の新しい土地に引っ越し、夏の遊牧を引き受けた人たちとの委託契約をすることになっているのですが、天候不安定でふきっさらしの風の通り道にある私たちの春営地が、このドラスティックな天気の変化でどうなるか、がまだよくわからないので、今日は牧畜・引っ越し担当隊長のガナー選手が現地に待機、でお天気悪いし、家畜の数も確認したし、もともと紙の契約にそれほど重きを置かない人たちだから、とりあえず家畜の世話しておくから、契約はあとでしましょう、という事態。
時々、この契約うやむやで痛い目にあうこともあるけれど、契約で立場を確定させなくても、やることやっちゃる、と淡々と働いてくれるというありがたい面もあるモンゴルの人たち。
結局、信頼関係とか日頃のお付き合いとか、もともとのその人の資質によるのかなぁ・・・
まだ適正な距離感ってよくわからないモンゴル25年目の私。
自己中心的な人たちとのおつきあいなので、大事なことのひとつに「自分の中心軸」をしっかりさせるということがあります。
天気はめまぐるしく変わるし、その時、その時の状況もめまぐるしく変わるモンゴル。
そこで外部状況に振り回されて、自分がぐらつくと仕事も生活もグラグラになります。
だからこそ、モンゴルの人たちの自己中心さは際立って強いのかも?
よくも悪くも、「自分はこうだ」ということがどっしりあります。
一見柔軟なようで、いざっていう時の我の強さはたまに「つきあいづらいなぁ」とか人間批判をしたくなる状況も出てくるのですが、「生き延びる」ってことのバックグラウンドには、この「自分中心でワールド作る」っていう意識は大事なのかも、とも思う。
日本人はこの「自分ワールド形成」の意識が脆弱なので、ちょっとくらいモンゴル人的エッセンスを注入するのは悪くないことなのかもねと。
逆にモンゴル人は「他人のことを気遣う」、働く=傍を楽にする=他人のためにがんばることを自分の喜びや誇りとするという意識を日本人的に学ぶと、かなりいろんなビジネスや人間関係が円滑になってよいのではないかしら?
エコツーリズムの精神の一つには「知る」ということがありますね。
観光というのは、「あるトピックに光をあてて観察するように見る」ということで、物見遊山といえども、見聞を広めるのは、昔から日本人が尊ぶところです。
自分が見るだけ見て、聞くだけ聞いて、体験して、去っていく・・・これが今までのマスツーリズム・いわゆるパックツアーのあり方だとすれば、私がこれまで10数年間取り組んできているエコツアーは、「お互いの体験・経験・フィーリングやマインドを共有し分かち合う」ことでお互いに影響しあっていることを感じる・確認する旅です。
同じプログラムでも誰もが同じ感想や体験・きずきに至るわけではないからこそ、マンネリにはならず、お互いにちょっとずつ「意識する」ことで自分の学びを定着できる。
これは私にとっても大事なことで、学ぶというのは一生の楽しみなのです。
あれこれと振り回されがちな私たちだったり、都会っこのモンゴル人たちだったりします。
いつもと違う空間を旅することで、自分の内面も深める旅をする。
それが、エコツアーであり、私が目指しているところです。
雨の日も風の日も、晴れの日では味わえない旅がある。
雨の日や風の日や雪の日を「悪天候」って位置づけない「旅と暮らし」。
それが遊牧民と暮らして感じる素敵なところです。

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