モンゴルだるま@モンゴル語通訳・よろずコーディネーター兼業遊牧民です。
越冬準備に明け暮れて、ちょっぴり疲労困憊中です。

でも、昨日、自分本位の「お休み」宣言をしてしまったら、なんだかすごく楽になってしまいました。

よく会社とか結婚とか、すごく辛いこととか理不尽な思いでストレスがたまっちゃった人に「嫌ならやめれば?」って言いたくなることってありませんか?

自分自身に対しても、「そんなに大変ならやめちゃえば?」って思うことたくさんあります。

やめちゃって楽になれるなら、やめちゃったほうがいい。
何も、苦しむことに固執しなくてもいい。
困った状況に執着持つことは、その「困った状況を手放したくない」と思っていることに他なりません。

体育系の部活とかで育ってしまっていると、なんというか、「苦しむこと・苦労すること」をやめることは、「逃げてる」とか「日和ってる」とか「負け」てることみたいですごく抵抗感があるのです。

「手放しましょう」とかって「引き寄せの法則」とかスピリチュアル系の先生とかにも言われるんだけど、「手放したふり」とか「考えないようにする」とかしてても、心の片隅でグジグジくすぶっている限り、なんにも手放したことにならないのですね。

忘れちゃお、とかもムリ。

でも、体調を崩すとか、「ちょっと、今、そんなことでクヨクヨしてる場合じゃないよ」といった、ホントに困っちゃった状況が次から次へと押し寄せてくると、それまで、グジグジしてたことなんかこだわってる場合じゃない!って感じで、ほんとに忘れちゃうというか、「今のこの状況に比べれば、私、何くよくよしてたのさ」てなる。

こういう状況のことを、さっき「強制リリース」と名付けることにしました。
既にある言葉かもしれないけれど、自分で思いついたので、とてもスッキリしました。

自分がイメージするゴールがどんだけ魅力的なものであったとしても、そこに至る過程で、グジグジするのがストレスになってるなら、いったん「そんなのやめちゃえばいい」と思います。

案外、自分がこだわってるだけで、周りはそんなにこだわってないことだったりするかもしれないのです。

馬鹿だなーって周りの人たちはハラハラしているけれど、私が一生懸命もがいているから、なんにも言えない、手も出せない・・・

申し訳ないなぁとか、無駄に苦労しているなぁとか、
ちょっと一息つけると思うんだけど、でも、おぼれてる途中ではあんまりそういう周囲を慮る余裕がない。

ほんとは「嫌」だったわけじゃないんだってことに、一休みしたら気づくこともあります。

でも、ほんとに「嫌」だったことを「嫌じゃないフリ」して頑張ってたことだってあります。

日本で就職していたとき、「ホントに嫌だった」から会社を辞めたわけではないけれど、契約期間満了になったとき、「どうするのか?」と会社の経営陣の人たちに言われて、私は、「会社を辞める」という選択をしました。

明日から収入無くなっちゃう、と思っても、全然不安じゃなかったのは、実家暮らしだったからだったり、会社の仕事が忙しすぎて、銀行振り込みだったお給料を引き出しに行く時間もなかったから、それなりに預金もたまっていたから。

苦労した、パワハラいっぱいだった、自分時間が持てなかった、五臓六腑がボロボロに疲弊した、などネガティブ要素満載だったはずの会社生活で得たものは、会社に貢献するために費やした自分の時間を取り戻すために十分な預金でした。
そうか、こうやってお金をあくせく貯めるっていうのもありなのか・・・と、ファストフード店の高校生の時給と比べても、時給換算だと1/5くらいになっちゃうという低賃金であっても、2年間ぐらいで500万円近くたまる、というのは驚きでした。そりゃ、引き出してないんだから貯まりますわね。こういう限られた定収入をがむしゃらに貯める、という経験は貴重でしたね。



「人に使われる側・給料を与えられる側」から「人を使う側・給料を与える側」へとサイドチェンジするのは、意外と大変で、実はまだ、私はうまく人事の切り盛りができません。

押し付けられ、怒鳴りつけられ、叱られ、お前はダメだ、お前はダメだと否定され続けながら、それでも根性でくらいついていく、根性で這い上がった人たちだけが、その後の夢の実現やホントに会社でやりたいことができる、というわりと厳しい業界にいたためか、あるいは、這い上がった崖の先の風景や下り坂とか稜線歩きとか楽しい部分までたどり着けなかったためかはわからないけれど、私の心はかなりささくれ立っていて、「仕事しなきゃお金は手に入らない」とか、「給料もらってるんだから、その分、働くのが当然」とかって思いが、給料を払ったスタッフたちに対して、どうしてもあったのです。だって、私はそういう風に会社の上の人たちに言われ続けてきたから。根性を鍛えたり、人生経験を積ませてやってるんだからって言われてたから。

とはいえ、私、他人様に「人生経験を積ませてあげたり」「根性鍛えてあげたり」できるほど偉いことやってるのか、というと、全然そんなことなかったなーと超反省です。

結局、自分もまだまだ「他人からお金をいただいて生計を立てる」側の人であり、会社勤めをしていれば、会社のほうで私の仕事を与え、割り振ってくれていたけれど、今の私は、自分の仕事もスタッフの仕事も自分で創出して、自分でお金を作って、人々の生計を立てられるような環境をつくらねばならないのです。

フリーランスとして、学生時代のように、独りで通訳やコーディネーターとして活動するだけならば、自分ひとりの食い扶持を稼ぐだけなら、私はたぶん、お金に困ることはない。
そして、それは自分にとっても、私を必要としてくださる方々にとっても楽ちんで快適な環境なのです。だって、苦労するのも報酬を受け取るのも私だけなんだもの。

他人に、自分の仕事のために苦労してもらうって結構大変です。
一緒に苦労したいって思ってもらうって大変だもんね。よっぽどの共感を生まなきゃ、誰が他人のために苦労したいというか。ありえねー!!だもんね。

人を雇って自分のために働いてもらうのが嫌なのか、他人を雇って、給料を払って自分の稼ぎが削られていくのが嫌なのか?と自問自答してみると、あら不思議。

会社を作って10数年。
今では、自分が稼いだお金を、給料という形でスタッフに再分配しなければいけない、というのは当たり前のことになっているため、あんまり「嫌」ということでもないようなのです。

私は自分が会社勤めをしていたときは、「会社に貢いでいる」という気持ちが強かった。
こんなにがんばってるのに・・・とか自分がやりたくないことや苦手な人との仕事などもあって、辛くて辛くて、、、と思って、その気持ちでどんどん体を蝕んでいったこともあった。

でも、今、会社を経営して、スタッフに裏切られたり、ちゃんと任務遂行してもらえなかったり、スタッフが反抗的で・・・といったような人事管理が全然できていないじゃん!という自分の脆弱さゆえに会社の活動がうまくいかないことがあったとしても、それはそれとして、「じゃあ、私はあのスタッフは苦手だから、やめてもらおう」とか「会社経営に向いてないから、会社をたたんで日本に帰ろう」と思ったことは不思議とないのです。

実は、私、会社を起業してから、誰かを「解雇」したことは一度もないのです。
私が嫌だって思っている以上に、おそらくスタッフはストレスを抱え、私を恨みながら仕事をしていたりするんだろうな、と思うので、「そんなに嫌ならやめていいよ」という逃げ道は残しておいてあげないとね。
でも、会社のお金とか私の私有財産とかを盗むというのは犯罪ですからね。やっぱり、そこはきっちりしないといかん。

嫌ならやめちゃえばいい、っていうのはわかっているんだけれど、「嫌」と思う自分の心の位置というが、会社勤めだったときに比べると、ちょっと違うのですね。

会社のために、というのは、なんだか漠然としていて、そのせいで、私は自分が理不尽に虐げられているような気がしていたけれど、今は、「スタッフのために」とか「家畜のために」とか「お客様のために」とか「遊牧社会のために」とか「エコツーリズム普及のために」とか「日本とモンゴルの相互発展のために」とかいろいろ、「ために」働くべき対象が増えているけれど、その全てが「自分の達成感と幸せのために」、というところに繋がっている、と実感できるから、「嫌だいやだ」といってても、それは、その瞬間の「不快感」であって、根本的な「嫌悪感」ではないんだな、と。

背負っている荷物を下ろして、周りの風景や風や一緒に歩いている人やワンコや家畜や大自然などを見回して、自分がどんなところで暮らしているのか、どんな風に暮らしていきたいのか、なんてことを鳥瞰図的に感じてみると、すごくスッキリできます。

仕事しなくちゃ、ってガチガチになっていて、収入や預貯金だけじゃ、もしかしたら越冬できないかもしれないって不安になっていて、馬がいなくなってしまったこととか、遊牧民さんが思ったほど熱心にコミットしてくれないこととか、不満もあったけれど、そういうことも含めて、私がガンバル「ため」のモチベーションとして昇華していけばいいんだなって思えるようになりました。

そうは言っても、シチュエーションによってはやっぱり「嫌ならやめちゃえば」ってことはある。
「やめたら楽になれる」のかどうか、よーく考えて、とことん考えてみて、ふわっと心が軽くなるようだったら、やめちゃえばいいんですよ。

で、そのうち「やっぱりやめるのやめた」ってなったときに、やり直せることならば、それはそれでOK。
たぶん、人間関係のように相手の感情とか意志などが絡まない限りは、あるいは生命にかかわること以外だったら、やりなせないことって世の中、案外少ない気がします。

嫌なことはやめちゃってもいいんだ。
そういう自分の決定に対して、他人があーだこーだと言ってくるかもしれないけれど、それはそれとして、自分の人生なんだから、自分で決めちゃっていいんだ。

これってすごく気が楽になるおまじないみたいな考え方じゃないですか?


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