
心配ご無用うまくいく
5年前の自分に10文字だけメッセージを送れるとしたら、こんな10文字を送るかな?
2007年の夏から2009年の春まで、私は、人生のどん底で孤独とか自己嫌悪とかに打ちのめされながら、もがいていました。
2007年、モンゴル人の共同経営者とその姉婿のマネージャーたちに会社名義と私個人名義でモンゴルの金融機関に預けていたお金をだまし取られちゃったんです。
だまされたってわかった直後からストレスで五臓六腑がズタボロになり、1か月余り、静脈という静脈に点滴や注射を打たれて、「ほんとに治るのかな?」って不安を抱えてました。
点滴用のカテーテルがぶすぶす突き刺さった腕はいつもしびれて、寝たきりの自分にもイライラしてたのですが、そのうち「健康第一だなぁ」と思うようになり、さらに「それにしても見事にしてやられちゃったなぁ」と自分の愚かさや相手の狡猾さがなんだかおかしくなって、笑えるようになってきました。
「あいつらを絶対許さない」とか「正義の裁きを受けさせてやる」とか「あのお金を取り戻すまではあきらめるもんか」とか、頑なな執着心を持つのをやめたら、すーっと気が楽になり、結果的に仕事もうまくいくようになってました。今も、高級住宅街に行くと彼らが私のお金を資本に建てた高級物件とか彼らの豪邸が見えるから、ちょっと癪に障るんだけど・・・でも、よくよく考えると、私、あんなところに「見かけだけ豪華」な物件購入するとか、全然望んでない。
多分、5年前もファストトラックに入るっていっても、その安易さとか、桁違いの収入が入ってくることに不安になっちゃってたかも?
2008年というのは、ちょうど「なるようになるさ」って、いったん膠着状態の係争を棚上げにして、自分にできるお仕事をいただいて、地道に頑張ろう!っていう本来のお役目に戻っていた頃。
多分、2007年の軌道に乗ったどころか、いろんな取材や映像コーディネートやリサーチ、その他の業務でウッハウハな昇り竜のような感じだったら、ODAの長期の仕事を受けることはできなかったと思います。
どん底のときに「引き寄せの法則」とか「新月の願い事」とかに興味を持ったわけだけど・・・。
真剣に自分が何かを望もうって思ったとき、当時の私はほんとに「お願いするのが下手」でした。
ほんとに「その状態になりたいの?」っていうのが自問自答すると「答えにつまってた」。
他人にお金をだまし取られる、なんて経験、まさか自分がするとは思ってなかったけど、モンゴルではよくあることです。
多分、長期滞在してる日本人でモンゴル人に貸したお金が返ってこなかったとか、だまし取られたとかいうことはほぼ皆さん、経験してることですから、私だけが特別なわけではない。
ここでガッカリして、モンゴルから撤退するか?とどまるか?でその後の人生も変わってきます。
どっちでも「あり」だったと思うですけどね、でも、私は「今、ここにいる自分」が大好きです。
今も相変わらず、ゴタゴタして試行錯誤の毎日で、しょっちゅうモンゴル人にがっかりしたり、キリキリマイさせられたりしてます。
でも、こういうどたばたな人生も、それなりに楽しいし、私だからこそ出来る幸せな経験なんだと思います。
別に、こういうハプニングやトラブル続きの波乱万丈を望んでいるわけではないんだけど、なんか、そういう感じが当たり前になってきちゃってる。
今でも、たくさん悔しい思いもしているし、体の古傷とかが傷んだり、ストレスで血圧あがって倒れたりすることもあるけれど、でも、なんとなく、私は大丈夫って思ってます。
根拠はないけど自信はある。
自分を信じることさえできれば、きっと大丈夫。
なんとかなっちゃうものです。
なんとかなっちゃうって思えば、気も楽になる。
なるようにしかならない、ってどんと構える・・・というくらい、ドッカリできれば、もっと気楽に上手くいくんだろけれど、未熟者故、まだその境地にはたどり着けません。
でも、ま、いいや。なんとかなるから。

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