モンゴルだるま@モンゴル語通訳・エコツアー乗馬ガイド兼業遊牧民です。
モンゴルの暦ではもう夏、やっと夏。でもまだ肌寒い・・・そんな5月です。
乗馬の季節ですよー。

昨日、バスのなかでお初のお客様のお話を伺っていて、「うちでは必要ないって思ってたけど、どういう時に使うことになるのかな?」と思ったことがありました。
それは、「モンゴルでの乗馬でそんなにムチばしばし使うの?」ってこと。
モンゴル在住で乗馬が大好きで、同じところ(テレルジ)に通っていらっしゃるけど「動け、動け、走れ、走れ」って思ってても全然思うように動いてくれないから、見せムチしたり、ビシビシ叩いてもうまく進まないんですよ、みたいな話で。
その方、とってもとっても小柄で、モンゴルの強い風が吹いたら、きっと吹っ飛ばされちゃうんじゃないかしら?という感じで体重も軽そうな女性だったから、力負けしてるのかな?とか思ったりもしたのですが。

でも、ちっちゃくて軽いという意味では、我が母親も同様だったけど、ムチなしで走らぬ、なんてことはなかった。私も体重が母の倍ぐらいあるんだけど、馬が思ったように動いてくれなくて往生したってことはないし。

なんで、そんなにムチに頼らねばならぬのか?
同時に、彼女が通っているテレルジの某所での乗馬では、よく落馬する方がいるのです。
ほんと、よく落ちてるなぁってことにも驚くくらい。大怪我がないのは多分、ただラッキーなだけでしょう。

そこの乗馬サービスは私もお世話になったことがあるのですが、10年以上やってて、これだけ、馬がいうことを聞かなかったり、毎月のようにお客様が振り落とされたり、走行中に落馬しているというのは、根本的な乗馬に対する運営姿勢に間違いというか何か欠陥があるような気がする。

コースの問題?
馬の問題?
乗り手の問題?
ガイドの問題?

よくわかんないけれど、うちでやらせていただいているよりは「安い」らしいので、「安かろう、悪かろう」でも「安いから通える」ってことで常連さんがいっぱいいる。
常連さんがいて、収入も悪くないから、改善する必要ないじゃん。
だって、お客様はちゃんと友達が連れてきてくれるんだもん。

そういうスパイラルなのかなぁ・・・

とても素敵な人たちで、料理も美味しいし、ロケーションも素敵な森の中にあって、川渡りとか草原しっそうもできるのですが・・・

でも、ガイドは客をほったらかしにしてガイドどうしでくっちゃべるとか、誰かのゲルに寄り道しちゃう、というのが気になってたのですが、今もやっぱりそんな感じみたい。
とはいえ、ツボは抑えているからこと10年以上続けていられるんだと思うし、魅力的な方たちですから、特にそこは問題じゃないのかも??


わが牧場だけだと私も飽きることがあるだろうから、いろんな地元主導型で地元民が運営してる乗馬サービスも利用したいんだけど、この辺の意識改善してもらえないと、やっぱり私は嫌だなぁ。
お客様をお預けするのが心配ですもの。

うちがちょっぴり高くなってしまうのは、専用の車両を使い、なるべく自宅や宿泊施設に近いところで集合場所を設定してピックアップしていくことや、帰りはなるたけ自宅付近までお送りすることにしている車両費ゆえ。

馬代やガイド代は対して変わらないし、通訳ガイドの部分は私が今は担っているので、プログラム料金としては絶対お得なはず。

何度も上達できない場所で馬とのコミュニケーションの仕方もわからないまま、ただ乗せてもらって、「動かない、走らない。」「走ったら暴走、落馬」という場所にお金を捨てるより、何回分か我慢して、うちでみっちり1-2日乗っていただいたら、多分、乗馬の楽しさとか馬とどうやって心を通じさせるか、わかってもらえると思うんですよね。

高いからっていう話が出るたびに思う。

でもまだまだ、そういうこと言われちゃうっていうのは、改善の余地があるってことなんだろうと思って試行錯誤はしています。

ものの価値観は人それぞれだけど、評価できる感覚がない人ってやっぱりコミュニケーションも自己中で馬とつながりづらいんじゃないかとも思っちゃうんですけどね。

馬は乗せてもらうものでもなく、ムチを使って無理やり走らせるものでもないと思っています。
乗馬って乗り手が主体的に、上下関係は人間側がリーダーとなりつつ、馬にとっても「この人と一緒にいるのが楽しい」って安心し、「この人が喜ぶように走ろう」って思わせることで気持ちよいライディングができるのが醍醐味なんじゃないかしら?

うちの子達は基本的に、人と心を通じさせるチャネルはわりとオープンです。
何頭か冬のあいだ乗っていなかった子達はまだモンゴル人遊牧民・ガイドしか乗せないぞ!という姿勢だけど、それはそれで群のリーダー格だったりするので、無理にツーリストに乗ってもらうこともない。

うちの子達は、わりと人の心を探ろうというか、気持ちを理解しようって感性が柔らかいと思います。
上手に乗れる人には足取り軽く、不安がっている人に対しては無理に走ったりせず、心をつかめるまでは無理しない。

といいつつ、私かバチカさんがついていかないと、なんだかんだ誰かがダッシュすると「僕もいくー」みたいに軽く走っちゃうんだなぁ、って子羊去勢儀式のおまけ乗馬の様子を見て思ったわけですが。

上に乗ってる人が「この人バランスちゃんと取れてる」となったら、わりとさくっと走っちゃうタイプです。だから、ムチはいらない。そんなもの使って「あ、走っちゃっていいんですか!」ってなったら困ります。(私はあんまり大疾走って好きじゃないから。でも、馬は「あの子走ってるんだから、いいじゃん、走っちゃおうよ」って催促してくるけど。一人のときはいいんだけど、自分が走ることでまわりの馬を刺激して「あ、走っちゃっていいんだ!」って煽っては困るから。

親バカ的に褒め称えてたのですが、バチカさんや私がついていないと、結構、好き勝手やっちゃう子もいるんだな、と昨日は馬の数が足りなかったため、乗らずに遠目で観察してて思いました。

馬にとって、リーダーって大事な存在なんだなぁ。
リーダーがいるのといないので、こんなに乗馬のグループ走行の雰囲気が変わっちゃうのかと。

そういう意味で、馬に乗れるモンゴル人なら、誰でも乗馬ガイドができるのかも、と思ってた私、間違ってました。

ちゃんと「主人」である存在が一緒についてるってことが馬にとっての安心であり、行動の規範になるんだなって。

だから、乗馬トレッキングなどのとき、馬を提供した人が、馬方としてくっついてくる、というのは馬の世話というだけでなく、とても大事なことなんですね。

モンゴルでの乗馬って、ほんと「他人のふりみて我がふり直せ」であり、コミュニケーション術の大事なことを教えてもらえる素晴らしいスポーツです。

馬のガイド道って奥が深い。
自分がリーダーになるための大切なことをを馬は無言で行動で指し示し、導いてくれるのです。

そして、ある程度「リーダー」として認めてもらった自分がお客様と一緒に馬乗ってついていく、ってことはただ、乗馬のガイドをしている、という以上に大事なことなんだ、って役割の重大さを認識したのでした。

つまりは・・・馬のガイドをするってことはリーダーシップの素敵なトレーニングになるってことです。
そして乗馬をするってこともまた、馬をコントロールしながら、一緒に走るってことで、その人のリーダーシップの感覚やスキルを養うことができるチャンスなんだって。

こういうことを意識しながら乗るのと、ただ乗せてもらってるのとでは、多分、馬との付き合い方、全然違ってくるんじゃないかな?

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