ポジティブ?ネガティブ? ブログネタ:ポジティブ?ネガティブ? 参加中
モンゴルだるま@モンゴル語通訳・翻訳・エコツアーオペレーター兼業遊牧民です。
自分がポジティブかネガティブかをじっくり見つめ直すよいきっかけがつい先週ありました。
そう、馬泥棒騒動です。
おととしから少しずつ馬を買い集めて、繁殖もして今年は30頭の馬持ちになっております。
それが、ある雪の日の翌日「1頭残らずいなくなっちゃった」というショッキングなことになっちゃったのです。

おりしも、その前日、雪がふる前に、委託遊牧民のオラーナくん夫婦と、契約更新をしたばかり。
よりにもよってこのタイミングでなぜ?
さらに「吹雪になりそうだから、馬、ちゃんと近くの落ち着けるところに絶対ちゃんと集めておいてね」と念を押してお別れした翌日にそんなことを言われて超納得できず、でした。

結果的に3日目のお昼頃にすべての馬が見つかり、無事にベースキャンプに戻ってきたわけですが、私はこのとき、自分の心の葛藤や周りの人達の反応でいろんなことを感じたのです。

日本人ってわりとくよくよするっていうか「こうなったらどうしよう」ってまずは最悪の状態を想定して、リスクのリストアップをしたうえで、「そうしたリスクが起きないようにするためにはどうすればよいか」」という対策を立ててマニュアル化し、かつ「リスクが起きてしまったらどうするか?」ということの対策もたてて、マニュアル化しておくのが普通じゃないかなぁって思います。

特にそういうやり方を学校で習ったりしなくても、遠足の前には、「遠足のしおり」を作り、配り、読み合わせして確認し、もしルールをやぶったらどうなるか、とか、ルールを破るとなぜ、困るのか、なぜよくないのか、を説明し、かつ、それでも何かが起きてしまった場合も、おちついて行動できるように、対処法の心得ってある程度教え込まれているものです。

でも、モンゴルって思考回路がそもそも違う。
「最悪の事態を想定すること事態が縁起が悪い」から最初から考えない。
「起きたらおきたでその時なんとかすればよい」から対策などを講じるムダや面倒は嫌だ。

そして、なにか問題が起きても、その場の対処で「なんとかなった」で終わり。
その問題そのものが「なんとかなったんだから蒸し返さなくてもいいじゃん」っていう考え方。

だから何度も何度もおんなじようなトラブルが日常茶飯事で起こる。
そのたびに付け焼刃でなんとかする。
なんとかならなかったら、「しょうがないじゃん」で開き直る。

ビジネスをする相手としては結構大変です。
なんといっても責任を取るってことに対しての重大性があまり認識されていないお国柄、民族性だから。

契約書にはいろいろ責任分担や役割分担、違反した場合の責任の取り方なども明記はしますが、結局、紙切れ一枚ですから、開き直られたらどうにもしようがない。

馬がいなくなった、しかも馬泥棒の被害にあったと思われる。

となったら、
1:真っ先に「いつ、どのような状況でいなくなったのか」の確認。
2:その後、警察に被害届・捜索願いを出す。
3:そして、「ソド ソラグ」っていう家畜が消息不明になったときの情報交換サービスがあるので、そちらに連絡し、情報提供を呼びかける。
4:近所の屠殺場などに行って、それらしき群れがないかどうかを聞き込みする。かつ警察にもその旨相談して捜査してもらうように捜査官を連れて行く。
5:心当たりのありそうな場所の捜索を手分けしてやる。

というのが手順だと思うんだけど・・・
今回の委託牧民のオラーナくんのとった行動は
1:心あたりのある場所を手当たり次第トラックで探し回る。
2:占い師に相談。(他人の手にわたっているから見つけるのは難しいって言われた)
3:探し回る。
4:探し回る
5:探し回る。
6:1日探して見つからないと私に連絡してきて、捜索をやめてふて寝する。
7:ドライバーのガナーくんがジープで捜索活動を始める。
8:情報収集始める。
9:見つかったよ、と言って、馬を連れてきた。

手順、違いすぎ・・・。てか、いろんなところが違うだろーーーー!!
というか、ほんとに泥棒被害だったのかも疑わしいという感じになってしまい、なんだか妙な空気が流れております。

「馬泥棒にあった」ときいたときは、まず私、最悪なことを想像しちゃいました。
馬がみんな、殺されていたらどうしよう。
どうしよう、と思ってもどうしようもないから、その場合は、私は200万円あまりの被害を被ることになるのかぁ・・・こりゃきついなあ。
来年からの乗馬ツアーのやり方考えないといけないな。
というか、そもそもやっぱり委託遊牧っていうのが間違いなのか?
あるいは、委託遊牧の預け先の選択を間違えたのか?
委託遊牧に対してのモチベーションの低さは、彼の性格なのか?そもそも契約条件が不満なのか?
場所がウランバートル近郊でかつ馬泥棒が多いと言われる地域であることが間違いだったのか?
などなど。

馬を財産的に失うというのは、両親の資金サポートを受けている以上、またもや親の期待を裏切る結果になってしまった・・・という残念無念な気持ちになりました。

でもそれ以上に、それぞれの馬に対して思い入れもあるし愛情もあるから、どうか無事でいてほしいという気持ちだけで。
彼らが死んじゃっている、っていうのはどうにも想像のしようがないのでした。
馬を売ってくれた人達ひとりひとりの顔を思い浮かべると、何が何でも馬を見つけ出さなきゃいかんとしか思えなくって。

ここんとこオラーナくんは体調が悪いといって、あまり放牧にも熱心ではなく、もうひとり家畜の世話をしてくれていたバチカおじさんは突然、フイといなくなった、と言われ、人手が圧倒的に足りなくなっていて。
でも、人手が足りないっていっても、もっとたくさんの家畜を今の私が委託している遊牧民の構成でちゃんと面倒みている遊牧民家庭もいくらでもいるわけで、そうなるとスペックそのものが低すぎるってことなのか?と考えたり。

「馬が見つかったらそのあとどうするか?」ってことに意識が行くばかり。

なんとなく、「馬は絶対見つかる」、「馬はみんな元気で生きている」っていうことについては、ゆらぎない根拠のない確信があったので、あんまりその点に関しては落ち込んだりはしていなかったんだけど、問題は「人」。

この人たちに預けておいて大丈夫なのか?

お任せしている以上、あんまりうるさいことをやいのやいのいって、要求をすれば、その分「金よこせ」って話の流れになるのがモンゴル人。
そもそもの基本スペックを満たしていないってことに対しての反省とかがないし、市場経済化という制度のもと、地方も都会も関係なく拝金主義が跋扈しているから仕方ない。
拝金主義という欲張り心のせい、というだけでなく、実際、年間インフレ率が20%近くという物価急上昇中のバブル経済ですから、日常生活必須アイテムや食料の確保などいろいろお金が入り用なのも仕方がない。

楽しく穏やかに、やりがいを持って遊牧という生業に取り組んでもらいたい、というのが兼業遊牧を始めることにしたときの基本方針だったのですが、どうもここ1ヶ月での、オラーナくん周辺はそういう雰囲気じゃなくなってきているのも心配。

遊牧作業用に購入したトラックを乗り回して副業に夢中になって家畜の面倒をみなくなっている。
近所の女を連れて飲み友達のところを遊び歩いている、という噂。
違法伐採で稼いでいるとの噂。
夫婦喧嘩がたえなくなっているとの愚痴をきかされる。
全然完成しない家畜小屋。
バチカさんの突然のリタイヤ。
オラーナくん側の姉弟たちの相次ぐ離婚や家庭不和。
水場や放牧地を巡る近所とのトラブル。

なんだかよくないエネルギーが溜まっている感じで心配だ。

でも、今更場所を変えるのは大変だぞ。
そもそも家畜たちの負担が大きいし、新たな遊牧民との信頼関係を築くのも大変だ。

馬泥棒、という事件に対しては「馬は絶対戻ってくる」という根拠のない自信が揺らぐことなく私の中にはあったのですが、「人間関係の不信感をどう払拭するか」ということについては、これといった解決策がなくて。

私側の努力や工夫でなんとかクリアできればいいんだけれど、結局、どれもこれも懸念事項は彼らの問題。
私はどうサポートすればよいのか・・・
そもそもこの人たちでほんとにいいのか?っていう不安が出てきているのは、トラックを誰が管理するのか、という問題で、あまりにも維持管理が下手くそで、故障や部品交換が必要な箇所が多すぎるので、オラーナくんに任せておけないってことはかなり前からの方針であり、修理のためにトラックをウランバートルに戻すって話をして、実際に持って帰った翌日に「馬泥棒」騒動が勃発し、「捜索活動のためにトラックが必要だ」って話が出てきていて・・・

このタイミングに対する疑惑の念は壮絶に渦巻いちゃってて。

「俺を疑ってるのかよ」と逆ギレしたオラーナくんが酔っ払って電話をかけてくると、ますますウンザリしてしまっていて。

馬が出てきたのはよかったけれど、でも、「誰のせい」って話で開き直し、今後の対策をどうするか、って反省もなしに「もう二度と馬がいなくなることはない」って言い切っちゃう態度はどうなのかなぁ?

これはもはやポジティブシンキングではなく、たんなる無謀で無責任な職務怠慢の能天気ってことでしかないように思えるのです。

若い子達がよく「最悪、これでもいっかー」っていうセリフは私は大嫌いで「最悪じゃなくて、最高な選択肢と思ってやってくれない?」っていうんだけれど、やっぱり、最悪な事態は徹底的に想定したうえで、それらの不安材料をすべて払拭するための対策を確立するってことがプロとしての責任だって思うんですよね。

そういう意味で、私はポジティブシンキングという思考回路を大事にしたいと思っております。

自分だけがガシガシとポジティブで自分だけが正しいっていう立場をとるのではなく、どうしたらみんながハッピーで安心していられるのかってことを解決策・ゴールとしておいて、そのためのいろんなことを考えて外堀から埋めていく。

昨日、久々に草原の我が家に帰ったときは、私のゲルの扱いがひどかったことにがっかりし、オラーナくんのゲルの中の空気というかエネルギーがあまりにも汚らしいというかどんより滞っていて息苦しくて耐えられなくなって、オラーナくんも不在だったからつい出てきちゃったけれど、逃げちゃだめだと。

今日の夜、トラックの引き取りもあるので、もう一度、ちゃんと話し合わなければいけないと思っています。

責めちゃダメだ、責めちゃダメだ・・・って思っているんだけれど、どうしても彼らの無責任で誰か他人に責任転嫁する考え方が我慢できなくって・・・

とはいえ、もう冬はそこまで迫ってきていて来週からはかなり雪が降って冷え込むってことなので、なんとかハッピーな方向で、もう一度、みんなのやる気とか生活に対する覇気を上げてもらわないといけません。

彼らの不満や不安がなんなのか?
私の不満や不安や期待がなんなのか?

ちゃんと腹をわって話し合うことが大事で、現状を受け入れたうえで、明るい未来というかなんとかやっていける空気っていう、夏のあの楽しかった雰囲気を取り戻したいって考えています。

最終的に、「なんとかなる」ってことはないけれど、「なんとかする」っていう方向性をもって事態にあたれば、たいていのことは乗り越えられるはず。

そして、もしも、自分の期待通りの結果を得られなくても、自分が精一杯取り組んだことで得られる「教訓」や「感動」やステップアップが必ずあるはず。

物事は見方によって、よくもわるくもなります。
客観的に見た、損得ってことでははっきりしているけれど、そういう客観的・物理的な「損失」があったとしても、考え方によっては、「高い授業料を払っただけのことはある学びの収穫」となるかもしれぬ。

私はモンゴルで何か失敗とか悔しいことがあったり、ストレスで打ちのめされたり、大損をしたりするたびに、そこからの学びとか、それらの苦境やストレスを乗り切ったことそのものの大きさからの収穫に感謝することにしています。

この思考回路こそがポジティブシンキングの真髄だ、と。
起業5年目に大きな大きな裏切りにあい、私にしてみれば財産の90%を失い、命があるだけでもラッキーだ、というどん底状態に突き落とされたところから這い上がって得られたのが、この思考回路であり、これは一生の宝、だと思っています。

ポジティブに、なんでもハッピーに考えているからハッピーな結果で成功できる、のではなく、どんな状況でも自分の全力で対応し、そこから得られる成果に対して感謝することでハッピーになれる。

そのほうがなんか自然でしっくりくると考えます。
わりとくるものは拒まずで、何があっても、それは「思し召し」なんだと「神様からのギフト」として受け入れることから始めることが、不満でがんじがらめになって立ち往生っていう最悪な事態を避ける最良の思考回路であり、生き方ではなかろうか?

能天気なモンゴル人的生き方もちょっぴり羨ましいんだけどね。
(俺様は絶対悪くない。)って考えていれば自分は罪悪感に悩まされないもんね。

でも、私、日本人だし、クリスチャンだし、外部のせいにしちゃうと自分で対処できることが少なくなりすぎて、やっぱり困るもんなぁ・・・(っていうところはちょっぴりネガティブ入ってる?)









All About 「コーチング」小さな諦めから自信回復する方法
All About 「コーチング」ポジティブ思考が不幸を招く