モンゴルだるま@モンゴル語通訳・エコツーリズム普及仕掛け人兼業遊牧民です。
ちょっと長いけれど、最後までがんばって読んでくださいませ。
特に「モンゴルの歌コンテスト」参加者の皆様!

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昨日の土曜日は、「大使と意見交換会」にて、予定通り返り討ちにあってきました。
まあ、これは予想通りであって、やっぱり庶民的なおこちゃまな情緒は高度な外交の場を日々戦場としておられる閣下におかれましては、取るに足らぬ下らぬことであった模様。
モンゴル2008さんがコメントくださったご指摘が一番「現実的」だってことが確認できたので、私的には大収穫です。
日本外交、といっても最近は予算も厳しく、なかなか大使という重大な任務について、理想どおりにいろんなことを実践していこう、としてもうまくいかないことだってあるということもよくわかりました。
1990年代にがーっと矢継ぎ早に繰り出したモンゴル全国全包囲網的な「ODAによる都市基本インフラ整備」や「人材育成のための国費留学・研修の受け入れ」とか、そういったことの成果により、日本留学組で億万長者のビジネスマン・投資家として、のし上がり、モンゴルの政財界をリードしている人たちがいるってことは、日本とモンゴルの外交関係にとってもWin-Winを築いていくために重要なことです。
そしてそういった人たちが中心となって外交樹立40周年記念の今年、活発かつ精力的な行動展開をしていることも。
つまりは「恩恵に浴しているからこそ動ける」、「動くことが恩恵につながる」っていうサイクルによって、これらの事業は動いているので、あんまり庶民の手はいらないようです。
ただ、こういうサイクルに入っている人は自らが「踊る」人になるっていうのはやらない。
だから「歌コンテスト」には「出場者」としての「庶民」が必要になった。
そういう構造は大体は想像してたけれど、ここまで「手駒」的に使い捨て感覚であったのか・・・と。まぁ、そういうこともあるのでしょう。
手駒的に使い捨てられた、とがっかりするか「踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損損」と元気に踊り、「いい時間を過ごせたぜ!」と気持ち晴れやかに祭りを終えて日常に切り替えるか・・・
それは出場者であった私たち当事者の気持ちの持ちようなのです。
いろんな交流会のカヤの外にされちゃったこととか食事の肉片のひとかけらを残しておいてもらうこともできなかったこととかも、ぜーんぶ、私たちが実際の外交の核心には関係ない庶民であったからなので、こういうことに対して「配慮」を求めること自体が大間違いであったのだと。
そして、今後もこういう体制は「外務省は予算がない。大使館に予算がない」ということで、改善されることはないようです。
だから、「滅私奉公」で何かを成し遂げるってことに対しての満足感とか「いい思い出」を自分の内面を豊かにすることで生成していく必要がある。
私自身は、そういう結論に達しました。
そして、文化交流にしても、民間交流にしても、やっぱり「自分たちがやりたいからやる」っていう核心に信念をもって関わらない限り、庶民は「使い捨て」にされ「虚しい」想いをかかえて、「やっぱりお役人は・・・」なんて感じで、卑屈にホゾを噛むことになる。
でもね、やっぱり、交流って、直接触れ合い、アクションを起こした人たちだからこそ得られる「宝物」や「実感」があるんですよね。
子供の頃からのお祭り好きの私としては、イベント屋的な仕切り・段取りに奔走する現場も好きなんだけど、やっぱり、自分がお祭り気分で夢中になって踊ったり、笑ったり、歌ったり、誰かと一緒に何かをするってことこそが、自分のやりたいことなんだって。
だから、正解は「やりたいことを思いっきりやった」ことに対して」自分自身の自己犠牲に対してや、それまでの準備時間等々を後悔したり、自己憐憫を感じたりする必要はないと。
交流会のあと、イベント開催前から大反対で意地悪なメールや電話を私に対してかけてきたおじいさんがいて「やっぱり、素人が人前で歌うなんて赤っ恥かくだけだからやめなさいって私が言った通りになったでしょ」と言われて思ったのでした。
このおじいさんは根本的に「恥」や「無駄」ってことに対する概念が私とは違うと。
そして、勇気を持ち、努力を重ねて舞台にたった出場者の人たちが見て、感じたあの世界は、絶対彼には見ることはできないんだと。
そう思ったらね、なんだかね、私たち出場者は、すっごくラッキーだったって思えるようになりました。
だって、この「日本人によるモンゴルの歌コンテスト」は「外交樹立40周年記念」という節目だったからこそ「ちょっとやってみた」だけの企画で、もう二度と「大使はやるつもりはない」と公言なさったわけです。
だから、あの大舞台で親日派のモンゴル人や在留邦人など250人弱もの観客の前でマイクを持ってライトを当ててもらって歌っちゃう、なんて晴れ舞台は、もう素人庶民の私たちには与えられることはないんです。
21組のコンテスト出場者とコーラスや幕間演奏に参加した「リアル在留邦人」の私たちだけの特権だったんです。
だからね、虚しく返り討ちにあった、といいつつも、私は満足です。
UBSという親日派で音楽大好きな社長さんがやっている民放局が、放送時間を教えてくれなかったことも、ささいなことです。
ちょうど週末の連絡システムがぜーんぜん機能せず、大使も大使秘書がいつ「放送予定」を知ったのかも把握できないというコミュニケーション不足状況の中で、で多くの人たちが見られない時間帯に放送されてしまったことも、仕方のないことなんだそうです。
(だって無料で収録、放送してくれるっていうご厚意に乗っかってるのだから、放送日時の指定まで、大使館からリクエストできる立場じゃないでしょ、ということだそうです。だって、ここはモンゴルだから、とのこと。)
オンエアDVDをいただけるように努力する、と大使館の担当スタッフが誠意あるメールをくださったけれど、それも「お金がかかることだから、どうなるかわからない」という大使からのお答えがあったので、ほんとに「どうなるかわかりません」。
が私なりに、何かよい解決策というか、ちょっとでもよい方向にいけたらいいなーって行動してみます。これは外交ではなく、ただのコミュニケーションの問題だから、ご多忙な大使館を煩わせても仕方ないしね。
実際、もう終わっちゃったことをいつまでも振り返って、「大使館の対応がおそまつだ」なんて批判したところで、「こういうことが2度と起こらないように民間なりのサポートをしたい」といったところで、そんなのは無駄なことで、やっぱり大使館は政財界を動かす大きな人たちか、遊牧民とかゲル地区の人たちみたいな感じのODAに感謝してくれる人たち、つまりはモンゴル人が大好きで、モンゴル人に関心のベクトルが向いているのです。
外交官の職務としてこのお答えは「正解」であり当たり前なこと。
別に嫌味で言ってるわけではなく、後輩や友達なども関係当局の人たちとして働いているわけですが、やっぱり仕事量も責務の重要度もすごく大きいから、自分の職務範囲にのみ集中するってだけでも、普通の人のキャパ、こえてるんだと。
重要な経済鉱区や重点経済産業分野の外資系・合弁企業等の外資権利などの問題等、日本が「負けない」ようにするためには、些細なことを引きずるよりは、やっぱり日本人が一丸となって、「なんとかしよう」とがんばらないといかん、というシビアな状況なのです。
「ルールがルールとして機能しない」というジャイアン国家なところもあるモンゴル。
自分たちの都合が悪くなると「ルールを変更」することで有利になろうとするってことも、グダグダ抗議したって始まらない。
与えられた環境の中でいかに生き残り、アドバンテージを獲得していくか?
こういう命懸けの国家の生命線に対して、大使は大奮闘しておられる、ということもよくわかったのです。
100%の人格者・実力者で完璧な神様みたいな人だけが大使になるわけではないし、外交官になるわけでもない、というのは当然のこと。
そして、人は与えられた職務を自分の100%の力をだし、かつ部下や協力者の力が80%ぐらいだったとしても、それを補うだけのマネジメントで100%に持って行ってがんばるしかない。
そして、そのための頑張りを大使閣下は、モンゴル国内の新聞・テレビなどマスコミを通じてや、40周年記念のイベント関連、ODA等での事業その他で実践している。
なので、多少の守備範囲が薄いところがあったって仕方ないですよね。
そして、私たち日本人庶民というのは、こういうことに対しての耐性というか受容能力がきわめて高いと自覚しているのです。
だから、むしろ大使における脆弱部分が「在留邦人の庶民層対応」であってよかったな、と。
そうそう庶民の私たちが大使閣下と接触する機会なんかないわけだし。
今の領事さんや警護担当の方は、働き盛りの若若しい人たちで精力みなぎってるし、かつ、気さくな感じのお人柄だし、他の経済担当も経済協力担当も文化協力担当も皆さん、若くて一生懸命でハードルがそんなに高くない感じの人たちだから、ちゃんと、大使のカバーができる人たちなのだから、今の大使館布陣ってやっぱり、いい感じなのです。
それに民間企業支援とかも積極的に行う方針に転換してるらしいし、留学生等のビザ問題についても一応、「動いてくれる」との大使閣下からの「コメント」をいただけたということは、やっぱり大きな成果なのです。
だって、これまで、歴代の大使閣下で「学費を納めていたり、数年間の留学期間できている人のビザが規定期間をカバーして発給してもらえない、3か月ごとや半年ごとなど中途半端な期間で出されることで、何度も無駄なビザ申請費や時間を浪費することになる」というストレスフルな状況に対して「領事が対応しましょう」って指示してくださった方、いないもん。
ちゃんと邦人保護という職務的対応はしていただけるのです。
誰が担当か、ということもありますが、いずれにせよ、一生懸命対応してくださる方々が、今モンゴルで勤務している、ってのはラッキーなことですよね?
ガッカリした部分はありますが、でもそれは、初めてであり、最後のイベントだったからこその「残念なこと」がおきちゃっただけで、本来の業務は大丈夫なはず・・・。
で、「残念なこと」への耐久力もモンゴルに在住してる私たちは人並み以上にあるから、こんなことで凹んだりする必要もない。
些細なことは、モンゴルの青い空と白い雲と緑の草原に向かって吹き飛ばしちゃえ!
「がっかり感」を2度も経験しちゃったことは出場者の皆さんなりに「残念」なことだったけど、でも、こんながっかり感、私たちにとっては日常茶飯事なことだから、やっぱり楽しかったところをつなぎ合わせて、「いい思い出づくりのチャンスだった」ことを感謝しましょう。
Anyway, We made it!
というわけで、私は草原生活にシフトします。
セコイことにうじうじするのはもう終わり!
まだまだ肌寒い日々が続いていますが、夏はすぐそこ!です。
最後まで読み切った読者様の忍耐力に拍手!ありがとうございました!!

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昨日の土曜日は、「大使と意見交換会」にて、予定通り返り討ちにあってきました。
まあ、これは予想通りであって、やっぱり庶民的なおこちゃまな情緒は高度な外交の場を日々戦場としておられる閣下におかれましては、取るに足らぬ下らぬことであった模様。
モンゴル2008さんがコメントくださったご指摘が一番「現実的」だってことが確認できたので、私的には大収穫です。
日本外交、といっても最近は予算も厳しく、なかなか大使という重大な任務について、理想どおりにいろんなことを実践していこう、としてもうまくいかないことだってあるということもよくわかりました。
1990年代にがーっと矢継ぎ早に繰り出したモンゴル全国全包囲網的な「ODAによる都市基本インフラ整備」や「人材育成のための国費留学・研修の受け入れ」とか、そういったことの成果により、日本留学組で億万長者のビジネスマン・投資家として、のし上がり、モンゴルの政財界をリードしている人たちがいるってことは、日本とモンゴルの外交関係にとってもWin-Winを築いていくために重要なことです。
そしてそういった人たちが中心となって外交樹立40周年記念の今年、活発かつ精力的な行動展開をしていることも。
つまりは「恩恵に浴しているからこそ動ける」、「動くことが恩恵につながる」っていうサイクルによって、これらの事業は動いているので、あんまり庶民の手はいらないようです。
ただ、こういうサイクルに入っている人は自らが「踊る」人になるっていうのはやらない。
だから「歌コンテスト」には「出場者」としての「庶民」が必要になった。
そういう構造は大体は想像してたけれど、ここまで「手駒」的に使い捨て感覚であったのか・・・と。まぁ、そういうこともあるのでしょう。
手駒的に使い捨てられた、とがっかりするか「踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損損」と元気に踊り、「いい時間を過ごせたぜ!」と気持ち晴れやかに祭りを終えて日常に切り替えるか・・・
それは出場者であった私たち当事者の気持ちの持ちようなのです。
いろんな交流会のカヤの外にされちゃったこととか食事の肉片のひとかけらを残しておいてもらうこともできなかったこととかも、ぜーんぶ、私たちが実際の外交の核心には関係ない庶民であったからなので、こういうことに対して「配慮」を求めること自体が大間違いであったのだと。
そして、今後もこういう体制は「外務省は予算がない。大使館に予算がない」ということで、改善されることはないようです。
だから、「滅私奉公」で何かを成し遂げるってことに対しての満足感とか「いい思い出」を自分の内面を豊かにすることで生成していく必要がある。
私自身は、そういう結論に達しました。
そして、文化交流にしても、民間交流にしても、やっぱり「自分たちがやりたいからやる」っていう核心に信念をもって関わらない限り、庶民は「使い捨て」にされ「虚しい」想いをかかえて、「やっぱりお役人は・・・」なんて感じで、卑屈にホゾを噛むことになる。
でもね、やっぱり、交流って、直接触れ合い、アクションを起こした人たちだからこそ得られる「宝物」や「実感」があるんですよね。
子供の頃からのお祭り好きの私としては、イベント屋的な仕切り・段取りに奔走する現場も好きなんだけど、やっぱり、自分がお祭り気分で夢中になって踊ったり、笑ったり、歌ったり、誰かと一緒に何かをするってことこそが、自分のやりたいことなんだって。
だから、正解は「やりたいことを思いっきりやった」ことに対して」自分自身の自己犠牲に対してや、それまでの準備時間等々を後悔したり、自己憐憫を感じたりする必要はないと。
交流会のあと、イベント開催前から大反対で意地悪なメールや電話を私に対してかけてきたおじいさんがいて「やっぱり、素人が人前で歌うなんて赤っ恥かくだけだからやめなさいって私が言った通りになったでしょ」と言われて思ったのでした。
このおじいさんは根本的に「恥」や「無駄」ってことに対する概念が私とは違うと。
そして、勇気を持ち、努力を重ねて舞台にたった出場者の人たちが見て、感じたあの世界は、絶対彼には見ることはできないんだと。
そう思ったらね、なんだかね、私たち出場者は、すっごくラッキーだったって思えるようになりました。
だって、この「日本人によるモンゴルの歌コンテスト」は「外交樹立40周年記念」という節目だったからこそ「ちょっとやってみた」だけの企画で、もう二度と「大使はやるつもりはない」と公言なさったわけです。
だから、あの大舞台で親日派のモンゴル人や在留邦人など250人弱もの観客の前でマイクを持ってライトを当ててもらって歌っちゃう、なんて晴れ舞台は、もう素人庶民の私たちには与えられることはないんです。
21組のコンテスト出場者とコーラスや幕間演奏に参加した「リアル在留邦人」の私たちだけの特権だったんです。
だからね、虚しく返り討ちにあった、といいつつも、私は満足です。
UBSという親日派で音楽大好きな社長さんがやっている民放局が、放送時間を教えてくれなかったことも、ささいなことです。
ちょうど週末の連絡システムがぜーんぜん機能せず、大使も大使秘書がいつ「放送予定」を知ったのかも把握できないというコミュニケーション不足状況の中で、で多くの人たちが見られない時間帯に放送されてしまったことも、仕方のないことなんだそうです。
(だって無料で収録、放送してくれるっていうご厚意に乗っかってるのだから、放送日時の指定まで、大使館からリクエストできる立場じゃないでしょ、ということだそうです。だって、ここはモンゴルだから、とのこと。)
オンエアDVDをいただけるように努力する、と大使館の担当スタッフが誠意あるメールをくださったけれど、それも「お金がかかることだから、どうなるかわからない」という大使からのお答えがあったので、ほんとに「どうなるかわかりません」。
が私なりに、何かよい解決策というか、ちょっとでもよい方向にいけたらいいなーって行動してみます。これは外交ではなく、ただのコミュニケーションの問題だから、ご多忙な大使館を煩わせても仕方ないしね。
実際、もう終わっちゃったことをいつまでも振り返って、「大使館の対応がおそまつだ」なんて批判したところで、「こういうことが2度と起こらないように民間なりのサポートをしたい」といったところで、そんなのは無駄なことで、やっぱり大使館は政財界を動かす大きな人たちか、遊牧民とかゲル地区の人たちみたいな感じのODAに感謝してくれる人たち、つまりはモンゴル人が大好きで、モンゴル人に関心のベクトルが向いているのです。
外交官の職務としてこのお答えは「正解」であり当たり前なこと。
別に嫌味で言ってるわけではなく、後輩や友達なども関係当局の人たちとして働いているわけですが、やっぱり仕事量も責務の重要度もすごく大きいから、自分の職務範囲にのみ集中するってだけでも、普通の人のキャパ、こえてるんだと。
重要な経済鉱区や重点経済産業分野の外資系・合弁企業等の外資権利などの問題等、日本が「負けない」ようにするためには、些細なことを引きずるよりは、やっぱり日本人が一丸となって、「なんとかしよう」とがんばらないといかん、というシビアな状況なのです。
「ルールがルールとして機能しない」というジャイアン国家なところもあるモンゴル。
自分たちの都合が悪くなると「ルールを変更」することで有利になろうとするってことも、グダグダ抗議したって始まらない。
与えられた環境の中でいかに生き残り、アドバンテージを獲得していくか?
こういう命懸けの国家の生命線に対して、大使は大奮闘しておられる、ということもよくわかったのです。
100%の人格者・実力者で完璧な神様みたいな人だけが大使になるわけではないし、外交官になるわけでもない、というのは当然のこと。
そして、人は与えられた職務を自分の100%の力をだし、かつ部下や協力者の力が80%ぐらいだったとしても、それを補うだけのマネジメントで100%に持って行ってがんばるしかない。
そして、そのための頑張りを大使閣下は、モンゴル国内の新聞・テレビなどマスコミを通じてや、40周年記念のイベント関連、ODA等での事業その他で実践している。
なので、多少の守備範囲が薄いところがあったって仕方ないですよね。
そして、私たち日本人庶民というのは、こういうことに対しての耐性というか受容能力がきわめて高いと自覚しているのです。
だから、むしろ大使における脆弱部分が「在留邦人の庶民層対応」であってよかったな、と。
そうそう庶民の私たちが大使閣下と接触する機会なんかないわけだし。
今の領事さんや警護担当の方は、働き盛りの若若しい人たちで精力みなぎってるし、かつ、気さくな感じのお人柄だし、他の経済担当も経済協力担当も文化協力担当も皆さん、若くて一生懸命でハードルがそんなに高くない感じの人たちだから、ちゃんと、大使のカバーができる人たちなのだから、今の大使館布陣ってやっぱり、いい感じなのです。
それに民間企業支援とかも積極的に行う方針に転換してるらしいし、留学生等のビザ問題についても一応、「動いてくれる」との大使閣下からの「コメント」をいただけたということは、やっぱり大きな成果なのです。
だって、これまで、歴代の大使閣下で「学費を納めていたり、数年間の留学期間できている人のビザが規定期間をカバーして発給してもらえない、3か月ごとや半年ごとなど中途半端な期間で出されることで、何度も無駄なビザ申請費や時間を浪費することになる」というストレスフルな状況に対して「領事が対応しましょう」って指示してくださった方、いないもん。
ちゃんと邦人保護という職務的対応はしていただけるのです。
誰が担当か、ということもありますが、いずれにせよ、一生懸命対応してくださる方々が、今モンゴルで勤務している、ってのはラッキーなことですよね?
ガッカリした部分はありますが、でもそれは、初めてであり、最後のイベントだったからこその「残念なこと」がおきちゃっただけで、本来の業務は大丈夫なはず・・・。
で、「残念なこと」への耐久力もモンゴルに在住してる私たちは人並み以上にあるから、こんなことで凹んだりする必要もない。
些細なことは、モンゴルの青い空と白い雲と緑の草原に向かって吹き飛ばしちゃえ!
「がっかり感」を2度も経験しちゃったことは出場者の皆さんなりに「残念」なことだったけど、でも、こんながっかり感、私たちにとっては日常茶飯事なことだから、やっぱり楽しかったところをつなぎ合わせて、「いい思い出づくりのチャンスだった」ことを感謝しましょう。
Anyway, We made it!
というわけで、私は草原生活にシフトします。
セコイことにうじうじするのはもう終わり!
まだまだ肌寒い日々が続いていますが、夏はすぐそこ!です。
最後まで読み切った読者様の忍耐力に拍手!ありがとうございました!!

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