モンゴルだるま@モンゴル国で通訳・コーディネーター兼業遊牧民です。
本日は、モンゴル最大のファミリーイベント「ツァガンサル」の2日目です。
元旦であった昨日は、初日の出を拝むとか、「ムル ガルガフ」という生まれ年と性別によって違う縁起のよい方向で縁起のよいお経を読み、縁起のよいことをする、という借り物競走みたいな儀式があり、さらに一族郎党の中の「最長老」の御宅にお年始の挨拶に訪問する、など仰々しく、おごそかなモンゴルチックな1日でした。
2日目は、初日の年始の挨拶の場であった友達同士や兄弟・親戚などがお互いに挨拶に訪問しあったり、職場の同僚が上司のところに挨拶にいったり、同僚同士で挨拶に回ったりします。
昨日は、わりと朝早く(日の出前から)、街中をおめかしして歩く人々の姿が見られたのですが、今朝は、ひそやかで、思う存分犬の散歩も楽しめました。
街角のそこかしこに、あんまり見たくない人間の反芻物が点在しているのは興ざめでありますが、まぁ、これもまた風物詩。
モンゴルの正月は「ツァガンサル」=白い月といわれ、大昔は、秋の乳製品が出回る時期にやっていた、という節もあるのですが、チベット仏教が浸透したことで、春のはじめの月の新月を元旦とするってことになったようであります。
今年は2月下旬に元旦がきたこともありますが、実際、とても朗らかに暖かくなりました。
もうネヒー(羊の毛皮・ムートン)のロングコートは暑く重苦しい感じで、1時間の散歩で、汗だくになってました。
春なんだなぁ・・・
まだまだ氷点下なのですが、温度とは別に太陽光によって雪も融けています。
太陽の放つエネルギーってすごくって、お日様の温かさ、という熱以外に、太陽光のパワーもなかなかなものなのですね。
新月の真っ暗闇の夜に、月灯りの明るさを思ったりもしますが、それもまた、太陽からの反射光なのです。
ツァガンサルが月齢だけではない+アルファの要素によって時期が決められるっていうのは、この「春」のタイミングにもよるのでしょうね。
普通に計算してれば、中国やベトナム、韓国などと同じ春節に元旦だったはず、なのです。
実際、2008年に出ていたモンゴル語の旧正月(ツァガンサル)の予定表では、2012年1月23日からってなってるサイトもありましたが、去年、モンゴル暦では、「夏の閏月」を設けて、時期をずらしたのです。
こういう「ずらし調整」がどういう形で決まるのか、はよくわからないのですが、実際、モンゴルのツァガンサルは秋の終わりぐらいに決定され、国の大統領令によって発表されます。
今回の冬は、皆、「寒くなる」「雪が多くなる」ということで随分早くから冬の準備をはじめていましたが、ほんと、寒かったです。11月下旬から最低気温-30℃の日々が始まり、1月には、-40℃が当たり前になっていました。
そういう意味では、なかなか厳しい冬、でありました。
我が家の羊は、11月下旬くらいから、ちょっとした「手違い」で出産が始まってしまい、既にこの前の日曜日に干草を届けにいったときには、トータル20頭の子羊がメーメー鳴いていました。
か弱い子羊、寒さで弱ってなかなか乳が出ない母羊を抱えての越冬は、かなり厳しく、忙しかったし、予定していたよりも餌の消費もすごくて、何度も追加補給をしなくてはいけなくなっています。
ずーっとこんななんかなぁ、っていうくらい2月の頭も寒かったのに、ツァガンサルがきたら、確かにぬくくなってきた。
ホッペにあたるお日様の温もりも、ビトゥー(大晦日)の夜に降ってきた粉雪も、もう冬のそれではなく、キッパリと「春」を感じさせるものでした。
誰がモンゴルのツァガンサルを決めているのか?といえば、ガンダン寺を総本山とするモンゴル仏教の高僧たち+易学博士による協議みたいです。
遊牧民に人気抜群で、携帯アプリにもなっている易学博士といえばテルビシ先生です。
ある意味、テルビシ先生の発言が元旦を左右している、といっても過言ではありません。
実際、易学者の中には、中国暦の春節と同じ時期が「ツァガンサル」だとしていた人もいたようです。
6-7年前にも、1-2日くらいの差で元旦の日付が食い違ったことがあり、そのときは、一応、テルビシ先生じゃないほうの先生の意見が国の休日的には通ったけれど、遊牧民は、そんなことは無視で(ある意味年中無休だし、年中無給なので、曜日とか祝日は関係ないから)テルビシ先生の元旦でスケジュール組んでいました。
私にとっては、別にいつだっていいじゃないか、と思うわけですが、モンゴル人にとっては、「一年の計は元旦にあり」なので、元旦の朝の第一歩をどっちの方角に向かって歩き出すか、ってことも超重要。普段は新聞や雑誌も、風刺漫画と占い、笑い話あたりを読むだけで、すぐに焚きつけとか乳製品の包装紙へとリサイクルしちゃうのに、ツァガンサル前の「ムル」が掲載されている新聞や雑誌はそれはそれは熱心に読みふけっていますからね。
宗教的な部分もありつつ、モンゴル易学もモンゴル人にとってはツァガンサルの重要な要素なんだなぁ、とその一生懸命な健気さに感じ入ったものです。
そんなわけで、今年は携帯電話もぶっこわれていて訪問前の連絡とかできるわけでもないので、年始周りは全部パスと決めて、ノンビリと自宅作業でひきこもっている私ではありますが、さすがに、「ムル」ガルガフはしました。
旧正月は、明日までの三日間が国民祝日となっていますが、土日も週末休日で続きます。
さらにもうちょっと正確なことを言えば、ツァガンサル用のボーズがなくなるまで、正月気分は続きます。
儀式めいてのツァガンサルのお正月は、3日間ですが、年始の挨拶を交し合うまで、お正月気分は続きます。
すっかり緑も濃くなった初夏であったとしても、冬に会えなかった人たちは、「アマルバイノー」っていうお正月の挨拶を、ゾルゴフという両腕を重ねあう形式の挨拶で行います。
その姿から、ツァガンサルは単なる正月っていう以上に「新しい年=新しい始まり=交流の始まり(更新)」のイベントなのだと思います。

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本日は、モンゴル最大のファミリーイベント「ツァガンサル」の2日目です。
元旦であった昨日は、初日の出を拝むとか、「ムル ガルガフ」という生まれ年と性別によって違う縁起のよい方向で縁起のよいお経を読み、縁起のよいことをする、という借り物競走みたいな儀式があり、さらに一族郎党の中の「最長老」の御宅にお年始の挨拶に訪問する、など仰々しく、おごそかなモンゴルチックな1日でした。
2日目は、初日の年始の挨拶の場であった友達同士や兄弟・親戚などがお互いに挨拶に訪問しあったり、職場の同僚が上司のところに挨拶にいったり、同僚同士で挨拶に回ったりします。
昨日は、わりと朝早く(日の出前から)、街中をおめかしして歩く人々の姿が見られたのですが、今朝は、ひそやかで、思う存分犬の散歩も楽しめました。
街角のそこかしこに、あんまり見たくない人間の反芻物が点在しているのは興ざめでありますが、まぁ、これもまた風物詩。
モンゴルの正月は「ツァガンサル」=白い月といわれ、大昔は、秋の乳製品が出回る時期にやっていた、という節もあるのですが、チベット仏教が浸透したことで、春のはじめの月の新月を元旦とするってことになったようであります。
今年は2月下旬に元旦がきたこともありますが、実際、とても朗らかに暖かくなりました。
もうネヒー(羊の毛皮・ムートン)のロングコートは暑く重苦しい感じで、1時間の散歩で、汗だくになってました。
春なんだなぁ・・・
まだまだ氷点下なのですが、温度とは別に太陽光によって雪も融けています。
太陽の放つエネルギーってすごくって、お日様の温かさ、という熱以外に、太陽光のパワーもなかなかなものなのですね。
新月の真っ暗闇の夜に、月灯りの明るさを思ったりもしますが、それもまた、太陽からの反射光なのです。
ツァガンサルが月齢だけではない+アルファの要素によって時期が決められるっていうのは、この「春」のタイミングにもよるのでしょうね。
普通に計算してれば、中国やベトナム、韓国などと同じ春節に元旦だったはず、なのです。
実際、2008年に出ていたモンゴル語の旧正月(ツァガンサル)の予定表では、2012年1月23日からってなってるサイトもありましたが、去年、モンゴル暦では、「夏の閏月」を設けて、時期をずらしたのです。
こういう「ずらし調整」がどういう形で決まるのか、はよくわからないのですが、実際、モンゴルのツァガンサルは秋の終わりぐらいに決定され、国の大統領令によって発表されます。
今回の冬は、皆、「寒くなる」「雪が多くなる」ということで随分早くから冬の準備をはじめていましたが、ほんと、寒かったです。11月下旬から最低気温-30℃の日々が始まり、1月には、-40℃が当たり前になっていました。
そういう意味では、なかなか厳しい冬、でありました。
我が家の羊は、11月下旬くらいから、ちょっとした「手違い」で出産が始まってしまい、既にこの前の日曜日に干草を届けにいったときには、トータル20頭の子羊がメーメー鳴いていました。
か弱い子羊、寒さで弱ってなかなか乳が出ない母羊を抱えての越冬は、かなり厳しく、忙しかったし、予定していたよりも餌の消費もすごくて、何度も追加補給をしなくてはいけなくなっています。
ずーっとこんななんかなぁ、っていうくらい2月の頭も寒かったのに、ツァガンサルがきたら、確かにぬくくなってきた。
ホッペにあたるお日様の温もりも、ビトゥー(大晦日)の夜に降ってきた粉雪も、もう冬のそれではなく、キッパリと「春」を感じさせるものでした。
誰がモンゴルのツァガンサルを決めているのか?といえば、ガンダン寺を総本山とするモンゴル仏教の高僧たち+易学博士による協議みたいです。
遊牧民に人気抜群で、携帯アプリにもなっている易学博士といえばテルビシ先生です。
ある意味、テルビシ先生の発言が元旦を左右している、といっても過言ではありません。
実際、易学者の中には、中国暦の春節と同じ時期が「ツァガンサル」だとしていた人もいたようです。
6-7年前にも、1-2日くらいの差で元旦の日付が食い違ったことがあり、そのときは、一応、テルビシ先生じゃないほうの先生の意見が国の休日的には通ったけれど、遊牧民は、そんなことは無視で(ある意味年中無休だし、年中無給なので、曜日とか祝日は関係ないから)テルビシ先生の元旦でスケジュール組んでいました。
私にとっては、別にいつだっていいじゃないか、と思うわけですが、モンゴル人にとっては、「一年の計は元旦にあり」なので、元旦の朝の第一歩をどっちの方角に向かって歩き出すか、ってことも超重要。普段は新聞や雑誌も、風刺漫画と占い、笑い話あたりを読むだけで、すぐに焚きつけとか乳製品の包装紙へとリサイクルしちゃうのに、ツァガンサル前の「ムル」が掲載されている新聞や雑誌はそれはそれは熱心に読みふけっていますからね。
宗教的な部分もありつつ、モンゴル易学もモンゴル人にとってはツァガンサルの重要な要素なんだなぁ、とその一生懸命な健気さに感じ入ったものです。
そんなわけで、今年は携帯電話もぶっこわれていて訪問前の連絡とかできるわけでもないので、年始周りは全部パスと決めて、ノンビリと自宅作業でひきこもっている私ではありますが、さすがに、「ムル」ガルガフはしました。
旧正月は、明日までの三日間が国民祝日となっていますが、土日も週末休日で続きます。
さらにもうちょっと正確なことを言えば、ツァガンサル用のボーズがなくなるまで、正月気分は続きます。
儀式めいてのツァガンサルのお正月は、3日間ですが、年始の挨拶を交し合うまで、お正月気分は続きます。
すっかり緑も濃くなった初夏であったとしても、冬に会えなかった人たちは、「アマルバイノー」っていうお正月の挨拶を、ゾルゴフという両腕を重ねあう形式の挨拶で行います。
その姿から、ツァガンサルは単なる正月っていう以上に「新しい年=新しい始まり=交流の始まり(更新)」のイベントなのだと思います。

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