
モンゴルだるま@ウランバートル。かたづけが大の苦手な負け犬の遠吠えブログにようこそ。
捨てられず溜めてしまうものは・・・まぁ、いろいろありますが、トップ3をご紹介です。
1位・・・ペットボトル
2位・・・古着
3位・・・古新聞・古雑誌
それぞれ、その事情など言い訳してみる。
いつでも捨てられるはずなんだけど、タイミングとか大事かなーって思うとついつい溜め込んじゃうのよね。
ゴミを捨てるとき、一番気にしてるのは、その行く末です。
だって、捨てなきゃ「ゴミ」ではないわけで。
ゴミ扱いされてても、使い方によっては「資源」なんだよなーってものがあふれてしまいます。
1位・・・ペットボトル。
このペットボトルというのは独り暮らしでどん底貧乏生活のときは無縁でした。
家にいるときは水道水をろ過して沸かしてお茶を作っておけばよかったから。
外にいるときは、草原にいれば、誰かのうちにお邪魔すればいつでも好きなだけお茶をいただけたから。
そもそも、ペットボトルに入っている飲料水は、原価を考えると割高感が満載だったから。
でも、いろいろお客様(特に子供)が家にきたり、ツアーのアテンドをしていると、どうしてもペットボトルって増えちゃいます。
水分補給って乾燥しているモンゴルでは大事です。
人によっては、ウランバートルのサビ臭い水道水はNG。
金属アレルギーの人が、このサビサビ水を飲むと、ほんと、身体の中からデキモノができて、膿だらけで大変なことになっちゃったりするので、安全のためにも水についてはケチれません。
子供も「冷たいもの欲しいー!」っていうときに麦茶とか玄米茶だしても、受けないんですね。モンゴルの都会っこには。ぐすん。21世紀生まれの子どもたちって、ほんと贅沢というか・・・
90年代の物不足時代にはペットボトルは貴重品で、
アイラグ(馬乳酒)や、牛乳をいただくときとか、購入するとき、
カイワレダイコンとかシソとか葉っぱを家で育てるときのプランター代わり、
断水対策用の水ストック用など用途は多く、欲しがる遊牧民さんも多かったのです。
ペットボトルの中味よりもむしろ容器のほうがウケてました。
まさかいくらでも湧き水とか清水だらけの草原でミネラルウォーターが売れ筋商品になるなんて思わなかったけれど、これもツーリズムの発展の証のひとつでしょう。
草原でポイ捨てされてるゴミの中でもレジ袋と並んでペットボトル、多いです。
ペットボトルは捨てる、というよりは、リサイクルにまわすものなんですね。
かたづけられない女、とモンゴル人に罵られる私ですが、
さすがに一念発起して2日間ほどオフになったときにゴミをまとめておいたのですが、
なんと、ペットボトル、捨てておいたら、家に戻ってきてるんですよ。
玄関の外、じゃなく、内側に。
しかも愛犬の布団の上に。
これは、私を「かたづけられない女」呼ばわりしたモンゴル人の仕業です。
うちに捨てられないものがあふれているのもこいつが、道端でやたらと拾い物をするからなのです。
ゲル地区のそれほど裕福ではない子沢山家庭に生まれ育った彼としては、
「何かに使える」物が落ちていれば、それは「拾ってストック」というのが常識なのですね。
たとえ、我が家から「ゴミ」として出したものでも、
「まだ使える(有価値)」なものは拾っておく・・・
ペットボトルは、リサイクルショップってほどではなく
「二次利用原料」というカテゴリーで買取するコンテナ業者があります。
ウランバートルには「ホームレス」な人や貧困層に属する人たちが数千人規模で未だに存在しておりまして、ペットボトルは、結構、人気な「拾い物」。
自分の数倍もの大きさのペットボトルがいっぱい詰まった袋を背負って徘徊する人はウランバートルのあちこちで見かけることができます。
なので、捨てるにしても、こういう方々が拾いやすいように、ペットボトルだけまとめて捨てているのですが、まさか身内同然な人に拾われ、自分のところに戻ってくるとは思いませんでした。
2位・・・古着
モンゴルでは古着を人にあげるとか、人の古着を着るというのは、あまり好まれません。
よく日本から慈善活動で「貧しいモンゴル人に古着をあげよう」なんて大量の段ボール箱が送られてきた時代もありましたが、モンゴル人の生活習慣では、古着ってNG.
☆前の持ち主のどんな業(カルマ)がこびりついているかわからないものを着て、不幸を背負うことになったら困るってこと。
☆自分の古着だとわかったものが、自分に悪意のある人のもとにいったら、呪いのアイテムとして悪用されるかもしれない。
☆古着や帯には自分の魂の一部がこもる。
まぁ、この辺が古着を捨てない・あげない・もらわない理由みたいです。
私はもともとそんなに衣装持ちではないのですが、
事前事業で贈られてきたはずの古着を
「こんなのもらえない、けど、捨てるのも失礼」って理由で
うちに押しつけられちゃってる。
古着を切り裂いて、ウェース(ボロ布)としていろいろ活用していますが、限度あり。
これらを、すぱーっと捨てられたら気分いいんだろうな・・・
でも、ほんとに着るものに困ってる人にとっては、とても助かる物、らしいので、ゲル地区でときどきやってるガレージセールみたいなものに寄付したりしています。
3位・・・古新聞・古雑誌
これ、処分しようと思ったらすぐできちゃうんですよね。
草原のゲルでの焚きつけに、とっても便利だし、読み物に飢えてる遊牧民さん達にとっても喜ばれるから。
でも、一つ一つの記事が私にとっては、モンゴル語の教科書みたいなものです。
あるいは、モンゴル情報のネタ元であり、読みふけると、経緯などが追えて楽しい。
いつか、新聞で追うモンゴル現代史みたいなもの書けちゃうんじゃないの?なんて野望があって、捨てられない。スクラップにしたり整理してるわけじゃないから、やっぱりゴミなんだけど。
捨てたところで困らないので、この記事を書き終えたら思い切って捨てちゃうことにします・・・全部読み終えた後で。
(いつになるんじゃい!・・・だって5年分はあるよ)
基本的にそのほか、土に帰らないものは捨てられません。
モンゴルって廃棄物処理施設があまりきちんとしていません。
日本の無償援助でウランバートル市には廃棄物処理場ができましたが、これだって、結局、ただの埋立地ですからね。
土にかえすわけではなく、ただ埋め戻すだけ。
処理場の匂いたるや壮絶です。
分別ゴミのルールがまだ徹底してないトライ&エラーな状況なのです。
草原などはもっと大変。
モンゴル人って自分の周囲の「生活環境」は徹底的に身奇麗にしているけれど、ひとたび、自分たちの「目の届かないところ」に捨てたゴミについてはすごく無頓着。
点滴液の瓶や注射針、アンプルのような医療ゴミや割れた空き瓶、プラスチック製品のかけらなど平気でその辺にほっぱらかしです。
酷いところになると、集落のゴミをどっか別のところにトラックで持ってきて捨ててる。
以前の伝統的な遊牧生活だと、自然に生まれた素材を使って手作りし、徹底的に使いまくり、最後の最後は土に返す、ってことができてました。
でも、現在では、そんな生活用品は滅多にありません。
中国や韓国から安い粗悪なプラスチック製品が出回ります。
直して使う手間よりも、新しいものを買ったほうが楽だし便利。
どこの国でも一緒ですね。
廃棄物の処理についての意識は、正直、かなり低いといわざるを得ません。
まぁ、私の捨てられない物トップ3を恥ずかしながらご披露したわけですが、
ここでひとつお願い。
モンゴル人のゴミ意識の低さ、というのはモンゴルを訪れる外国人から指摘される問題点の代表選手であります。
こんな国なので、日本の使用済み核燃料廃棄物をモンゴルの草原に捨てる、なんて話は言語道断だと思います。
いろんな意味で、「新しく、想像がつかない」オハナシなので、
「核燃料廃棄物をひきうけると莫大なお金が入ってくるよ」とか
「ちゃんと埋めておけば安全なクリーンエネルギーだよ」なんてことを
「専門家」みたいな人たちがよってたかって言ってくると、
「そうなのかなぁ?お金がもうかるならいいなぁ」なんて思う
草原の暮らしから縁遠くなったお金持ちの「勝ち組」モンゴル人たちがその気になっちゃいます。
まだ3.11大震災が起こる前。
去年の11月くらいに日米モンゴルの参加国でこの核燃料廃棄物処理計画ってものの覚書みたいなのが交わされたと毎日新聞あたりがすっぱ抜きました。
モンゴルでもちょっと遅れて6月か7月くらいから騒がれ始めましたが、外務大臣が否定記者会見を開いてました。
でもね、自分たちで処分できないものを他国で捨てるって筋違いであります。
ゴミとか再利用とかに意識が高いはずのアメリカや日本ですら処理できないものを、ど素人でざっくり大雑把な国民性のモンゴルに捨てるって。
何か問題が起きたらどうするつもり?
きっと、なんの補償も考えてないですよね。
埋めたら大丈夫っていったって、モンゴルみたいな内陸気候の地域では、土壌の風化・浸食だってすさまじいものなのです。
今の今まで、こういう話は政治的なことだし、ノンポリな私としては、モンゴル人の判断にまかせ、何があっても私は見守っていこう、逃げないでいよう、と思っていました。
でもね、つい先月、福島原発事故の処理だってまともにできてない日本が、2012年からモンゴルでの原子力発電所開発の協力をするっていう覚書が締結されたって発表されたのです。
自分のところで「脱原発依存」なんていってる国が、どうしたら、他国の「原発開発」の支援ができるのでしょうか?
このことで、多くのモンゴルを愛する人たちが怒っています。
原発ビジネスって鉱山開発以上に桁違いの莫大な利益が国に入ってくるんですって。
でもね、お金じゃ買えないものの代表として、「かけがえのない手付かずの原自然」ってよく言われるわけです。
捨てられずに溜めてしまうもの代表、多分、「使用済み核燃料」なんだと思います。
処理の仕方を間違えれば、何万年もの間、地球の命を蝕み続けることになります。
人間の業の深さの象徴がこの原子力発電所なんだろうな。
これこそまさに「安かろう・悪かろう」のタチの悪い代表選手ですよね。
ちょっと暴走したら、誰にも、ほんとに文字通り、人類の誰にも止められない害を撒き散らし続ける危険な廃棄物。
自分の目につかないところに「捨てたら」、もう自分とは関係ないって知らんぷり。
それはモンゴル人に限らず、人類の業なのかな?
でもね、捨てられずに溜めてしまうことで困るのは、誰もが一緒。
でも、自分のものは自分で責任も含めて背負うべきだと思います。
それが自分の祖国であり、自分と同じ日本人が犠牲になるかもしれないって思っても、やっぱり外国に迷惑をかけるよりは、腹をくくって、自分たちが始めてしまった運命を引き受けるしかないんじゃないか、と。逃げるわけにはいかない。
ゴミってそういうものだと思います。
断捨離っていうけれど、最後の最後まで責任持てる、って思えるもの以外は自分の生活に取り入れないっていうキッパリとした決意は大事です。
庶民の生活であっても、国規模の大きな話であったとしても。
過激な意見かもしれないけれど、そのくらいの覚悟なしに物は買わない・もらわないということが大事。
つーか、そもそも日本は「非核三原則」ってぶちたててたのに、なんで原発が作れちゃったの?
核は持ちこまない、使わないじゃなかったの?
捨てれば、それでスッキリ解決なんて詭弁で、その捨てられたものの行く末を想像できない人は、ものをもっちゃいけないと思います。



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1位・・・ペットボトル
2位・・・古着
3位・・・古新聞・古雑誌
それぞれ、その事情など言い訳してみる。
いつでも捨てられるはずなんだけど、タイミングとか大事かなーって思うとついつい溜め込んじゃうのよね。
ゴミを捨てるとき、一番気にしてるのは、その行く末です。
だって、捨てなきゃ「ゴミ」ではないわけで。
ゴミ扱いされてても、使い方によっては「資源」なんだよなーってものがあふれてしまいます。
1位・・・ペットボトル。
このペットボトルというのは独り暮らしでどん底貧乏生活のときは無縁でした。
家にいるときは水道水をろ過して沸かしてお茶を作っておけばよかったから。
外にいるときは、草原にいれば、誰かのうちにお邪魔すればいつでも好きなだけお茶をいただけたから。
そもそも、ペットボトルに入っている飲料水は、原価を考えると割高感が満載だったから。
でも、いろいろお客様(特に子供)が家にきたり、ツアーのアテンドをしていると、どうしてもペットボトルって増えちゃいます。
水分補給って乾燥しているモンゴルでは大事です。
人によっては、ウランバートルのサビ臭い水道水はNG。
金属アレルギーの人が、このサビサビ水を飲むと、ほんと、身体の中からデキモノができて、膿だらけで大変なことになっちゃったりするので、安全のためにも水についてはケチれません。
子供も「冷たいもの欲しいー!」っていうときに麦茶とか玄米茶だしても、受けないんですね。モンゴルの都会っこには。ぐすん。21世紀生まれの子どもたちって、ほんと贅沢というか・・・
90年代の物不足時代にはペットボトルは貴重品で、
アイラグ(馬乳酒)や、牛乳をいただくときとか、購入するとき、
カイワレダイコンとかシソとか葉っぱを家で育てるときのプランター代わり、
断水対策用の水ストック用など用途は多く、欲しがる遊牧民さんも多かったのです。
ペットボトルの中味よりもむしろ容器のほうがウケてました。
まさかいくらでも湧き水とか清水だらけの草原でミネラルウォーターが売れ筋商品になるなんて思わなかったけれど、これもツーリズムの発展の証のひとつでしょう。
草原でポイ捨てされてるゴミの中でもレジ袋と並んでペットボトル、多いです。
ペットボトルは捨てる、というよりは、リサイクルにまわすものなんですね。
かたづけられない女、とモンゴル人に罵られる私ですが、
さすがに一念発起して2日間ほどオフになったときにゴミをまとめておいたのですが、
なんと、ペットボトル、捨てておいたら、家に戻ってきてるんですよ。
玄関の外、じゃなく、内側に。
しかも愛犬の布団の上に。
これは、私を「かたづけられない女」呼ばわりしたモンゴル人の仕業です。
うちに捨てられないものがあふれているのもこいつが、道端でやたらと拾い物をするからなのです。
ゲル地区のそれほど裕福ではない子沢山家庭に生まれ育った彼としては、
「何かに使える」物が落ちていれば、それは「拾ってストック」というのが常識なのですね。
たとえ、我が家から「ゴミ」として出したものでも、
「まだ使える(有価値)」なものは拾っておく・・・
ペットボトルは、リサイクルショップってほどではなく
「二次利用原料」というカテゴリーで買取するコンテナ業者があります。
ウランバートルには「ホームレス」な人や貧困層に属する人たちが数千人規模で未だに存在しておりまして、ペットボトルは、結構、人気な「拾い物」。
自分の数倍もの大きさのペットボトルがいっぱい詰まった袋を背負って徘徊する人はウランバートルのあちこちで見かけることができます。
なので、捨てるにしても、こういう方々が拾いやすいように、ペットボトルだけまとめて捨てているのですが、まさか身内同然な人に拾われ、自分のところに戻ってくるとは思いませんでした。
2位・・・古着
モンゴルでは古着を人にあげるとか、人の古着を着るというのは、あまり好まれません。
よく日本から慈善活動で「貧しいモンゴル人に古着をあげよう」なんて大量の段ボール箱が送られてきた時代もありましたが、モンゴル人の生活習慣では、古着ってNG.
☆前の持ち主のどんな業(カルマ)がこびりついているかわからないものを着て、不幸を背負うことになったら困るってこと。
☆自分の古着だとわかったものが、自分に悪意のある人のもとにいったら、呪いのアイテムとして悪用されるかもしれない。
☆古着や帯には自分の魂の一部がこもる。
まぁ、この辺が古着を捨てない・あげない・もらわない理由みたいです。
私はもともとそんなに衣装持ちではないのですが、
事前事業で贈られてきたはずの古着を
「こんなのもらえない、けど、捨てるのも失礼」って理由で
うちに押しつけられちゃってる。
古着を切り裂いて、ウェース(ボロ布)としていろいろ活用していますが、限度あり。
これらを、すぱーっと捨てられたら気分いいんだろうな・・・
でも、ほんとに着るものに困ってる人にとっては、とても助かる物、らしいので、ゲル地区でときどきやってるガレージセールみたいなものに寄付したりしています。
3位・・・古新聞・古雑誌
これ、処分しようと思ったらすぐできちゃうんですよね。
草原のゲルでの焚きつけに、とっても便利だし、読み物に飢えてる遊牧民さん達にとっても喜ばれるから。
でも、一つ一つの記事が私にとっては、モンゴル語の教科書みたいなものです。
あるいは、モンゴル情報のネタ元であり、読みふけると、経緯などが追えて楽しい。
いつか、新聞で追うモンゴル現代史みたいなもの書けちゃうんじゃないの?なんて野望があって、捨てられない。スクラップにしたり整理してるわけじゃないから、やっぱりゴミなんだけど。
捨てたところで困らないので、この記事を書き終えたら思い切って捨てちゃうことにします・・・全部読み終えた後で。
(いつになるんじゃい!・・・だって5年分はあるよ)
基本的にそのほか、土に帰らないものは捨てられません。
モンゴルって廃棄物処理施設があまりきちんとしていません。
日本の無償援助でウランバートル市には廃棄物処理場ができましたが、これだって、結局、ただの埋立地ですからね。
土にかえすわけではなく、ただ埋め戻すだけ。
処理場の匂いたるや壮絶です。
分別ゴミのルールがまだ徹底してないトライ&エラーな状況なのです。
草原などはもっと大変。
モンゴル人って自分の周囲の「生活環境」は徹底的に身奇麗にしているけれど、ひとたび、自分たちの「目の届かないところ」に捨てたゴミについてはすごく無頓着。
点滴液の瓶や注射針、アンプルのような医療ゴミや割れた空き瓶、プラスチック製品のかけらなど平気でその辺にほっぱらかしです。
酷いところになると、集落のゴミをどっか別のところにトラックで持ってきて捨ててる。
以前の伝統的な遊牧生活だと、自然に生まれた素材を使って手作りし、徹底的に使いまくり、最後の最後は土に返す、ってことができてました。
でも、現在では、そんな生活用品は滅多にありません。
中国や韓国から安い粗悪なプラスチック製品が出回ります。
直して使う手間よりも、新しいものを買ったほうが楽だし便利。
どこの国でも一緒ですね。
廃棄物の処理についての意識は、正直、かなり低いといわざるを得ません。
まぁ、私の捨てられない物トップ3を恥ずかしながらご披露したわけですが、
ここでひとつお願い。
モンゴル人のゴミ意識の低さ、というのはモンゴルを訪れる外国人から指摘される問題点の代表選手であります。
こんな国なので、日本の使用済み核燃料廃棄物をモンゴルの草原に捨てる、なんて話は言語道断だと思います。
いろんな意味で、「新しく、想像がつかない」オハナシなので、
「核燃料廃棄物をひきうけると莫大なお金が入ってくるよ」とか
「ちゃんと埋めておけば安全なクリーンエネルギーだよ」なんてことを
「専門家」みたいな人たちがよってたかって言ってくると、
「そうなのかなぁ?お金がもうかるならいいなぁ」なんて思う
草原の暮らしから縁遠くなったお金持ちの「勝ち組」モンゴル人たちがその気になっちゃいます。
まだ3.11大震災が起こる前。
去年の11月くらいに日米モンゴルの参加国でこの核燃料廃棄物処理計画ってものの覚書みたいなのが交わされたと毎日新聞あたりがすっぱ抜きました。
モンゴルでもちょっと遅れて6月か7月くらいから騒がれ始めましたが、外務大臣が否定記者会見を開いてました。
でもね、自分たちで処分できないものを他国で捨てるって筋違いであります。
ゴミとか再利用とかに意識が高いはずのアメリカや日本ですら処理できないものを、ど素人でざっくり大雑把な国民性のモンゴルに捨てるって。
何か問題が起きたらどうするつもり?
きっと、なんの補償も考えてないですよね。
埋めたら大丈夫っていったって、モンゴルみたいな内陸気候の地域では、土壌の風化・浸食だってすさまじいものなのです。
今の今まで、こういう話は政治的なことだし、ノンポリな私としては、モンゴル人の判断にまかせ、何があっても私は見守っていこう、逃げないでいよう、と思っていました。
でもね、つい先月、福島原発事故の処理だってまともにできてない日本が、2012年からモンゴルでの原子力発電所開発の協力をするっていう覚書が締結されたって発表されたのです。
自分のところで「脱原発依存」なんていってる国が、どうしたら、他国の「原発開発」の支援ができるのでしょうか?
このことで、多くのモンゴルを愛する人たちが怒っています。
原発ビジネスって鉱山開発以上に桁違いの莫大な利益が国に入ってくるんですって。
でもね、お金じゃ買えないものの代表として、「かけがえのない手付かずの原自然」ってよく言われるわけです。
捨てられずに溜めてしまうもの代表、多分、「使用済み核燃料」なんだと思います。
処理の仕方を間違えれば、何万年もの間、地球の命を蝕み続けることになります。
人間の業の深さの象徴がこの原子力発電所なんだろうな。
これこそまさに「安かろう・悪かろう」のタチの悪い代表選手ですよね。
ちょっと暴走したら、誰にも、ほんとに文字通り、人類の誰にも止められない害を撒き散らし続ける危険な廃棄物。
自分の目につかないところに「捨てたら」、もう自分とは関係ないって知らんぷり。
それはモンゴル人に限らず、人類の業なのかな?
でもね、捨てられずに溜めてしまうことで困るのは、誰もが一緒。
でも、自分のものは自分で責任も含めて背負うべきだと思います。
それが自分の祖国であり、自分と同じ日本人が犠牲になるかもしれないって思っても、やっぱり外国に迷惑をかけるよりは、腹をくくって、自分たちが始めてしまった運命を引き受けるしかないんじゃないか、と。逃げるわけにはいかない。
ゴミってそういうものだと思います。
断捨離っていうけれど、最後の最後まで責任持てる、って思えるもの以外は自分の生活に取り入れないっていうキッパリとした決意は大事です。
庶民の生活であっても、国規模の大きな話であったとしても。
過激な意見かもしれないけれど、そのくらいの覚悟なしに物は買わない・もらわないということが大事。
つーか、そもそも日本は「非核三原則」ってぶちたててたのに、なんで原発が作れちゃったの?
核は持ちこまない、使わないじゃなかったの?
捨てれば、それでスッキリ解決なんて詭弁で、その捨てられたものの行く末を想像できない人は、ものをもっちゃいけないと思います。



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