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日本人には数少ない
モンゴル由来の遺伝子の持ち主
モンゴル母さんと申します
この前TVで
チコちゃんに叱られる
を見ていたら
日本には
明治維新の時に沢山の西洋文化が
入ってきた
という内容を取り上げていた
その中の1つに
スピーチ
という概念が入っていた
スピーチ
を日本語に訳すと
聴衆を前に自分の意見などを話す事
ですが
江戸時代までの日本には
聴衆を前に一般の人が話をする
という概念が存在しなかった
らしいのです
明治維新以前は
自分の意見は
文書にまとめて報告する
のが普通だったようです
なんとも奥ゆかしいですね
ですので
‷スピーチ”という概念が
日本に入ってきたとき
それに該当する日本語が
なかったので
僧侶が説法をするときに使われた
演説
という言葉が充てられたそうです
モンゴル母さんは
このTVを見ながら
大勢の人前で自分の意見を話す
という文化が
日本人には本当に馴染みのない
文化だったんだなぁ
という事を知り
日本人がはっきりものを言わない
理由がますますわかったのでした
言論の自由といえば
民主主義の原則の1つですが
言論の自由どころか
言論の概念すら何千年もなかった日本
筋金入りの奥ゆかしさです
しかしよくも
モンゴル母さんのような
自己主張がはっきりした遺伝子が
言論の概念がなかった日本で
殺されずに生き残ったな・・・
と思ったので
パパに
と言ったら
ほんとだよ・・・
日本の教育に感謝しな!
と返ってきた
後天的な
日本人教育によって
かろうじて生き残れた0.4%
すごいぜ!
そういえば過去に
しゃけたんの幼稚園選び
をしていたとき
しゃけたんには
日本人らしさの教育が必要だな
と思って
日本人らしさにあふれている
幼稚園を選んだことを思い出した
今やのびのびと育てる
や
自主性を養う
なんてのが流行ってそうだけど
ほっといてものびのびと自主性を伸ばす
しゃけたんには
菓子折りの箱に詰められた
粒のそろった美しいお菓子
のように教育してくれる
古典的な日本の幼稚園が必要だったのです
今思えば
まるで海外に赴任した
日本人家族の幼稚園選びのようだ
モンゴル母さんが
いくら日本人らしさを
しゃけたんに伝えたとしても
アメリカ人が教える寿司の握り方
のように何か違ってしまう!
日本人には何とも普通な感覚も
モンゴル母さんには
よくわからないので
日本人らしい先生や友達に
触れることで覚えてもらうしかない
おかげで
しゃけたんは
日本人離れはしているけど
日本人はこんな感じ
という風に外国人のような視点で
日本人を理解しているのだろう
まさに日本の教育に感謝です
それにしても
パパはいつもはのほほんとしながら
ときに切れ味バツグンなのであった
日々様々考えながらも
これからもマジョリティとマイノリティの
相互理解を深めるべく
様々なエピソードを綴ってまいりたいと思います
本日も最後までお読み下さり
ありがとうございました
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