島田紳助が引退。

暴力団関係者と一定の親密さをうかがわせるやり取りをしていた事が発覚し、自ら責任を取る形で引退、
との事だが、事実上の解雇だろう。

私が子供のころからテレビで活躍してきた人物。常に言動に問題があった人らしいが、お笑いセンス、頭の回転の速さ、フットワークの良さ、等には圧倒的な才能を持った人物が引退する事には寂しさを覚える。

天は二物を与えず

つまり、そういう事である。

最近は些細な事でも間違った事が発覚すると、徹底的に叩かれる。 

微々たる悪も少しの間違いも許さない。日本はそんな社会になってきた。

「間違った事は絶対的に悪」であり、そこに1ミリの許容範囲もない。言い換えると、「アソビ」が少ない社会に向かっている気がする。

今回の紳助引退劇にしても、暴力団との関係がすっぱ抜かれてしまえば、紳助はもちろん所属の吉本も徹底的に叩かれるのは間違いなく、今の日本では何の言い逃れも出来ない。だから、先手を打って解雇(引退)したという事だろう。

暴力団との付き合い、それが悪いことであるのは間違いない。 それに関して紳助を擁護するわけではないが、

これが一昔前であったならば、今回のような展開にはならなかっただろうと思う。今回の件以外でも
同じような事を思う「不祥事」が特に最近多くある。

これを、ただ単に過去の社会がいい加減だっただけで、今の方が自浄機能の効いたより良い社会だ、と言えるだろうか?

Yes であり No

過去の社会がいい加減だったかというと、それはYes。 

では、現在の社会がより良い社会かというと、それはNo。

私はこんな風に思うわけだ。

そして、人間の本質という部分を考えると、基本的に我々は皆いい加減である。 完璧な人間などいるはずはなく、皆どこかで不完全な部分を抱えた欠陥品なのだと思う。 

そんな欠陥品がいかに品性高潔な人間になろうと務めても、どこかで必ずボロが出る。

一昔前までの社会は、そんなボロを「アソビ」の範囲で吸収してくれる大らかさがあった。 だから、どこかに欠陥を抱えていたとしても強烈な才能や個性を持った人物が十分に実力を発揮出来る場があった。 

だから、昔のテレビは面白かったではないか。

今の社会は、常に聖人君子でなければ弾かれてしまう。 当然、人間は聖人君子などになれるわけはないが、弾かれまいと聖人君子ぶる。そして、極端に間違う事を恐れた縮じこまった人間ばかりになる。 

テレビに関して言えば、差しさわりの無い題材、差しさわりのない芸能人ばかり。

だから、今のテレビは面白くない。

日本の社会全体が、そんな縮じこまった「アソビ」の無い社会になっている気がする。

そんな社会はツマラナイと感じるのは、私だけだろうか。

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