3ヶ国語出来る人のことをトライリンガルという。
私は日本語、英語、タイ語の3ヶ国語をどうにか喋れる事が出来るが、
残念ながらトライリンガルには遠く及ばない。
それどころか、バイリンガルも危うい線だと思っている。
その根拠は、
日本語における理解力、表現力、文章力を100とした場合、私の英語は70程度の力しかない。 タイ語に及んでは、30もいくかどうか疑問。 つまり、3ヶ国語を足しあげてギリギリ200といったところで、私的にはこれでやっとバイリンガルに足がかかったかどうかという理解。
世界的に見て、東アジア人(中国、韓国、日本)は、きわめて外国語オンチである。
よく日本人は韓国人より英語が出来るとか(またはその逆)、そんな比較がされるが、はっきり言って50歩100歩であり、実際には日本人も韓国人も中国人も同じように外国語下手だ。
外国語が下手といってしまえばネガティブな響きだが、それは外国語を喋る必要がない環境にあるということであり、すなわち独自の文化があるというポジティブな面がある。だが、人はネガティブなことばかり気にするもので、外国語が根っから出来ない日本人は、少しでも外国語が出来る同胞を見ると、「ペラペラ」だとか「バイリンガル」と言って驚く。
自分が全く理解出来ない言葉を喋ってはいるので聞く方には「ペラペラ」のように聞こえるが、実はその内容は、私がしゃべるタイ語のように母国語の20%、30%程度の稚拙な表現しか出来ていないかもしれないし、発音にしても相手に伝わらないような質の低い発音なのかもしれない。 つまり、実際は全く「ペラペラ」ではないのに、「ペラペラ」認定されてしまうという珍事が起こる。
ペラペラスパイラル
外国語は勉強すればするほど難しさに気づく。
私は、英語に関してはある程度やってきた自信はある。大学も英語圏だったし、10年数年も仕事で英語を使ってきている。 だからこそ、自己評価で70なわけだが、70と100の30の差、この壁はとても大きく、高く、硬い。
未だに、ニュースや映画を見ても理解出来ない単語や言い回しは常にあるし、使う度に自分の下手さ加減に嫌気がさす。
いつか書いたかもしれないが、理想のレベルにはいつになっても一向に到達しない。
「ペラペラスパイラル」 である。
20年ほど前の私が思い描いていた将来の自分像。 それは、英語を自然体で使いこなせる自分。
要するに漠然と「ペラペラ」になっていると思っていたし、そう願っていた、そしてそうなるように努力もした。
20年後の今、確かに英語をある程度使えるようにはなった。 あの頃の自分から見れば、今の自分は十分に「ペラペラ」かもしれない。
ただ、現時点の自分で自分を評価してみると、やはりどう考えてもこれは「ペラペラ」ではない。 理想の自分よりも実力は全然下にいるような気がする。
今でも理想に近づけたいという向上心はある。
だが、限界というのも少し分かってきたような気がする。 もしかすると、70を75にする事は出来るかもしれないが、どうやっても85や90には成らないと思うし、100に至っては不可能だという確信がある。
つまり、「ペラペラ」を目指して何十年勉強しても、絶対に自分が納得するような「ペラペラ」には到達しないのである。
少なくとも、私の場合はそう。
だが、世の中には私が理想とするようなバイリンガルやトライリンガルがいるのも事実。
こちらが聞く限り、全くネイティブと変わりない発音で日本語と英語を喋れる人は多くいる。 羨ましい限りだ。
もちろん、そういう人達はバックグラウンドからして全く私のような人間とは違うのだろうが、それにしても本当にスゴイと思う。
ただ、彼らには彼らでハイレベルな「ペラペラスパイラル」があって、そこで悩んでいたりするのかもしれない。それこそ、どちらも100ではない事の悩みだとか、100に対して95である事の悩みだとか。
それはそうと、タイ語に関しては、私に「ペラペラスパイラル」はないようだ。
なぜかといえば、理由はシンプル。 向上心が無いから。
これ以上タイ語を上手にしたいとう目標も希望も無いどころか、今のレベルでもう十分、よくやった、と思っている。
まったく、タイに住んでるくせに、なのだが、タイ語が上達した事によって得られるメリット、よりも、英語が上達した事によって得られるメリット、の方が上だと思っているのでしょうがない。