ブログネタ:10年前に想像していた自分像 参加中10年前のちょうど今頃は、テレビ制作会社で演出助手とか製作助手なんて立場で、朝から晩までがむしゃらに働いておりました。安月給っていうか、実労働で換算すると時給が300円切っちゃうくらい過酷な労働環境の中で、ひたすら自分がディレクターになる日を夢見て、上司やサディスティックな撮影部の人人に毎日のように人格否定されるなどのパワハラ・バッシングを受け続けていて、自律神経失調症とかになってた。心療内科にいけば、鬱病って言われちゃうから、鬱の泥沼にははまりこむもんか、と歯を食いしばり、もがいていました。会社の指示、上司であるディレクターや番組制作にかかせない撮影部・技術部さんの命令をひたすら遂行するために、睡眠時間は1週間でトータル13時間あるかないかぐらい。裸眼両目2.0あった視力はあっという間に失明寸前までがくんと落ちてました。誰かと話すときも、いつ怒鳴られるか、叱られるか、罵倒されるかってびくびく、他人の目におびえていました。「他人が何をしてほしいと思っているか、を察しろ」っていうニュータイプみたいなことを当然の要求されるのはかなりしんどく、今なら、鳥瞰図というか、仕事全体の流れを見ながら、自分の立ち居地とかやるべき仕事の段取りが見えるのに、10年前は、とにかくちょっとしたことでも灰皿ぶつけられそうな勢いで怒鳴られ、完全に萎縮してしまってました。
会社に入社する前に、モンゴル関係とか映画関係でのツテで制作のお手伝いをしていたときの編集作業とかロケは楽しくて、やりがいもあって、スタッフの皆さんと家族同然一丸となってひとつの番組を作る喜びや幸せに満ち溢れていたのに、ひとたび「会社員」となって「給料で縛り付けられる」アシスタントという立場になった途端、虫けらだって、鈴虫とかこおろぎとかカブトムシあたりだったらもうちょっと大切に扱われているっていうくらいぼっこぼこにされてました。
まぁ、それだけ全体的にストレスがたまってる職場であり、カメラマンさん自体も助手時代はぼっこぼこにされていたのであろう。単なる八つ当たりとか、重箱の隅をつつくようなねちっこい性格の餌食になってただけなのだ、とアラフォーになるとわかるわけですが。。。10年前は、まったく理不尽なイジメが辛くてねぇ。
悪いことばっかりじゃなくって、ちゃんと私のいいところも認めてくれて応援してくれるプロデューサーさんもいたし、ディレクターさんもやっぱり筋が通ってるし人間としては尊敬できる人たちのアシスタントにつけていただいていたから、自分の未熟さゆえのミスマッチングだったって今なら思うんだけどねぇ。
10年前には、来週のことすらわからなかった。カメラマンのイジメが酷かったときなんか、対向車線に入ってきた地下鉄に乗ろうとしてホームから転落して膝をばっくり割ったりするくらいフラフラで、「私、40歳まで生きてるかなぁ?」って血が噴出す膝を必死で止血しながら思ったこともあったのでした。
辛いことばっかりじゃなかったけれど、それでもあのテレビ制作会社に社員として戻るってことは、ないだろうな、と思います。やめて正解だった。
入社する前は、自分がディレクターとして映像制作に一生携わり、世界中のいろんな文化や自然環境を取材して、人間にとって大切なメッセージをつかまえていきたい、伝えて生きたいって思ってました。
でもそういうドリーマーな自分が崩壊するほどに、制作会社に入社するってことは厳しかったです。まぁ、あのKカメラマンがいなかったら、会社を辞めたりはしなかった、と思うと、ある意味、K澤カメラマンは、恩人ですね。
あのねちっこい人がいなかったら、私は今も10年後どころか3年後も生きてるかどうかって不安を胸に抱えながら這いずり回ってたかもしれないもん。
10年前の自分は未熟で、失敗も多かったけれど、とにかく、あの時の経験が今に生きています。
番組作りをする際の、事前リサーチ、番組の企画を作り、企画書から構成案を練り、ロケハンやロケで地元の人たちと交流し、自然や文化、生き様なんかを取材しながら、番組として編集し、多くの人たちに見ていただける作品を作る、番組宣伝用のプレスリリースや予告編を作ったり、宣伝はがきを作ったり、視聴者からの感想をいただいてフィードバッグしたりといったプロセスの全てが今、エコツアーオペレーターとしての自分に必要な要素でした。
演出も段取りも柔軟にかつメッセージや理念の軸を持ちつつ、自分が与えられた状況をフル活用しながら、何百万、何千万もの視聴者に見ていただけるように作品作りをする。
この沢山の目を想定しながらプランを練る、というのは、ツアープログラムの作成でも応用できる思考回路です。
10年一昔っていいますが、あっという間です。
私は、自分の人生を一応10年ごとの区切りで考えてきました。
2-3年のずれはあるけれど、まあ、テーマをキメながら生きるっていうのは、気持ちのメリハリでマンネリ化を避けるためにも、自分自身の修行のためにも効果的です。
大学・大学院とモンゴルの遊牧民や狩猟民の生活に密着し、彼らの生活文化や人生観、自然観などを学ぶことに夢中でした。
それらの経験をドキュメンタリー番組制作に生かして、数十本の番組企画を作り、結構な数を大きな番組で採用していただくことができました。
ぼっこぼこにされながらも、人との付き合い方とか、企画・段取り・実行という計画や手配の仕方や、世の中自分の思うことだけが正解じゃない、むしろ理不尽!っていうことを飲み込んでこそ、社会とうまく付き合えるし、自分も大きくなれるっていうアンビバレンスな人生哲学を磨くことができました。
そしてモンゴルで起業してからの10年弱の間に、成功も失敗もありました。文字通り、七転び八起きをしてきました。
この起業してからの自分は、執着しないことや人間が生きるために必要不可欠なもの、大事にすべき核を追求してきた気がします。自分が会社を作らなければ出会うことはなかったであろう人たちとのご縁。
10年後の自分を今想像すると、どうなってるか・・・?
たぶん、モンゴルでのエコツーリズム普及がある程度軌道にのり、私自身は日本とモンゴルの基盤を確立し、ちゃんと愛する人を得て、家族に恵まれ、今よりちょっぴり安定した生活を送ってるんじゃないかなぁ?
少なくとも、今よりは幸せになってるはずです。うん。
安定しているかどうかは別として、今よりももっと社会貢献ができるライフスタイルになり、協力者との連携システムを構築していますね。
これまでの10年間は、私にとっては、変革と激動の日々でした。
それは私が求めていたことだったのかもしれません。
抑圧され、人格否定をされ、怒鳴りつけられ、絶望することすら許されなかった中で、必死で企画を作り、自分の企画し、関わった番組がオンエアされることだけに執念を燃やし、生きる希望としていた10年前の自分が、執念から解放され、もっとノビノビと、「こうしたらワクワクできる!」、「もっと多くの笑顔にあえる」、っていうことを目標にモンゴルで暮らしている。
モンゴルどっぷりの生活から脱却して、世界のいろんなことや自分と違う価値観を求めてテレビ制作会社に入社したものの、やっぱり自分にとってモンゴルはかけがえがない存在なんだ!ってことを再認識した。
自由にモンゴルと日本を行き来できること、思ったことを思いっきり実現するために時間を使える。
このことは、10年前の私が夢見ていたことだったんですね、たぶん。
明日のこともわからんよ、って必死になりながら、心の奥底が渇望していたことを、今、自分が実現できている。
このことに感謝したいと思います。
10年前の過酷な日々を、生き延びてくれた私自身に、感謝です。生きててくれてありがとう。
そして、ボロボロの私が、自分を見失わないように支え続けてくれた家族にも感謝です。
モンゴルに復帰することができてから、今日まで関わってくださった全ての人に感謝です。
10年前の私が想像してなかったけれど、想像しとけよ!!!っていうことは、、、人は感謝することで幸せになれるんだってこと。
たぶん、10年前にぼっこぼこにされていた私に足りなかったのは、感謝する心だったのでしょう。
苦労とか厳しさとか、そういった決して自分にとって心地よいばかりではないことも、今の自分にとっては必要だったギフトだったのだと。
そういう意味では、「愛の鞭」ってことで、そういう厳しい状況を作ってくれたことにも、へろへろの自分が作った企画を採用して私にチャンスを与えてくれていた会社にも感謝なのです。
会社に入社する前に、モンゴル関係とか映画関係でのツテで制作のお手伝いをしていたときの編集作業とかロケは楽しくて、やりがいもあって、スタッフの皆さんと家族同然一丸となってひとつの番組を作る喜びや幸せに満ち溢れていたのに、ひとたび「会社員」となって「給料で縛り付けられる」アシスタントという立場になった途端、虫けらだって、鈴虫とかこおろぎとかカブトムシあたりだったらもうちょっと大切に扱われているっていうくらいぼっこぼこにされてました。
まぁ、それだけ全体的にストレスがたまってる職場であり、カメラマンさん自体も助手時代はぼっこぼこにされていたのであろう。単なる八つ当たりとか、重箱の隅をつつくようなねちっこい性格の餌食になってただけなのだ、とアラフォーになるとわかるわけですが。。。10年前は、まったく理不尽なイジメが辛くてねぇ。
悪いことばっかりじゃなくって、ちゃんと私のいいところも認めてくれて応援してくれるプロデューサーさんもいたし、ディレクターさんもやっぱり筋が通ってるし人間としては尊敬できる人たちのアシスタントにつけていただいていたから、自分の未熟さゆえのミスマッチングだったって今なら思うんだけどねぇ。
10年前には、来週のことすらわからなかった。カメラマンのイジメが酷かったときなんか、対向車線に入ってきた地下鉄に乗ろうとしてホームから転落して膝をばっくり割ったりするくらいフラフラで、「私、40歳まで生きてるかなぁ?」って血が噴出す膝を必死で止血しながら思ったこともあったのでした。
辛いことばっかりじゃなかったけれど、それでもあのテレビ制作会社に社員として戻るってことは、ないだろうな、と思います。やめて正解だった。
入社する前は、自分がディレクターとして映像制作に一生携わり、世界中のいろんな文化や自然環境を取材して、人間にとって大切なメッセージをつかまえていきたい、伝えて生きたいって思ってました。
でもそういうドリーマーな自分が崩壊するほどに、制作会社に入社するってことは厳しかったです。まぁ、あのKカメラマンがいなかったら、会社を辞めたりはしなかった、と思うと、ある意味、K澤カメラマンは、恩人ですね。
あのねちっこい人がいなかったら、私は今も10年後どころか3年後も生きてるかどうかって不安を胸に抱えながら這いずり回ってたかもしれないもん。
10年前の自分は未熟で、失敗も多かったけれど、とにかく、あの時の経験が今に生きています。
番組作りをする際の、事前リサーチ、番組の企画を作り、企画書から構成案を練り、ロケハンやロケで地元の人たちと交流し、自然や文化、生き様なんかを取材しながら、番組として編集し、多くの人たちに見ていただける作品を作る、番組宣伝用のプレスリリースや予告編を作ったり、宣伝はがきを作ったり、視聴者からの感想をいただいてフィードバッグしたりといったプロセスの全てが今、エコツアーオペレーターとしての自分に必要な要素でした。
演出も段取りも柔軟にかつメッセージや理念の軸を持ちつつ、自分が与えられた状況をフル活用しながら、何百万、何千万もの視聴者に見ていただけるように作品作りをする。
この沢山の目を想定しながらプランを練る、というのは、ツアープログラムの作成でも応用できる思考回路です。
10年一昔っていいますが、あっという間です。
私は、自分の人生を一応10年ごとの区切りで考えてきました。
2-3年のずれはあるけれど、まあ、テーマをキメながら生きるっていうのは、気持ちのメリハリでマンネリ化を避けるためにも、自分自身の修行のためにも効果的です。
大学・大学院とモンゴルの遊牧民や狩猟民の生活に密着し、彼らの生活文化や人生観、自然観などを学ぶことに夢中でした。
それらの経験をドキュメンタリー番組制作に生かして、数十本の番組企画を作り、結構な数を大きな番組で採用していただくことができました。
ぼっこぼこにされながらも、人との付き合い方とか、企画・段取り・実行という計画や手配の仕方や、世の中自分の思うことだけが正解じゃない、むしろ理不尽!っていうことを飲み込んでこそ、社会とうまく付き合えるし、自分も大きくなれるっていうアンビバレンスな人生哲学を磨くことができました。
そしてモンゴルで起業してからの10年弱の間に、成功も失敗もありました。文字通り、七転び八起きをしてきました。
この起業してからの自分は、執着しないことや人間が生きるために必要不可欠なもの、大事にすべき核を追求してきた気がします。自分が会社を作らなければ出会うことはなかったであろう人たちとのご縁。
10年後の自分を今想像すると、どうなってるか・・・?
たぶん、モンゴルでのエコツーリズム普及がある程度軌道にのり、私自身は日本とモンゴルの基盤を確立し、ちゃんと愛する人を得て、家族に恵まれ、今よりちょっぴり安定した生活を送ってるんじゃないかなぁ?
少なくとも、今よりは幸せになってるはずです。うん。
安定しているかどうかは別として、今よりももっと社会貢献ができるライフスタイルになり、協力者との連携システムを構築していますね。
これまでの10年間は、私にとっては、変革と激動の日々でした。
それは私が求めていたことだったのかもしれません。
抑圧され、人格否定をされ、怒鳴りつけられ、絶望することすら許されなかった中で、必死で企画を作り、自分の企画し、関わった番組がオンエアされることだけに執念を燃やし、生きる希望としていた10年前の自分が、執念から解放され、もっとノビノビと、「こうしたらワクワクできる!」、「もっと多くの笑顔にあえる」、っていうことを目標にモンゴルで暮らしている。
モンゴルどっぷりの生活から脱却して、世界のいろんなことや自分と違う価値観を求めてテレビ制作会社に入社したものの、やっぱり自分にとってモンゴルはかけがえがない存在なんだ!ってことを再認識した。
自由にモンゴルと日本を行き来できること、思ったことを思いっきり実現するために時間を使える。
このことは、10年前の私が夢見ていたことだったんですね、たぶん。
明日のこともわからんよ、って必死になりながら、心の奥底が渇望していたことを、今、自分が実現できている。
このことに感謝したいと思います。
10年前の過酷な日々を、生き延びてくれた私自身に、感謝です。生きててくれてありがとう。
そして、ボロボロの私が、自分を見失わないように支え続けてくれた家族にも感謝です。
モンゴルに復帰することができてから、今日まで関わってくださった全ての人に感謝です。
10年前の私が想像してなかったけれど、想像しとけよ!!!っていうことは、、、人は感謝することで幸せになれるんだってこと。
たぶん、10年前にぼっこぼこにされていた私に足りなかったのは、感謝する心だったのでしょう。
苦労とか厳しさとか、そういった決して自分にとって心地よいばかりではないことも、今の自分にとっては必要だったギフトだったのだと。
そういう意味では、「愛の鞭」ってことで、そういう厳しい状況を作ってくれたことにも、へろへろの自分が作った企画を採用して私にチャンスを与えてくれていた会社にも感謝なのです。