モンゴルだるま@ウランバートルです。
1990年に初めてモンゴルに来たときからモンゴルの人たちはみんな、日本人の私に親切でフレンドリーでした。ちょっと前まで留学していた先輩たちは、公安がついてたり、「西側の人」扱いで人との交流関係にものすごく気を使っていたというのに、私はとてもラッキーだったなぁ、といまだに感謝です。

1991年に初めてモンゴルでの通訳の仕事をすることになったのですが、その時は、なんと片道切符で現金手持ちゼロ。3か月弱の2-3人用テントにシュラフが支給されての勤務。通訳というお仕事以外に、調査が終われば、料理係のお兄さんたちのお手伝いで、チェーンソーと斧を使って薪づくりをしたり、(といってもいまだに斧の扱いは全然ダメ)、創作料理30人分とか作ってみたりしました。
ソ連も崩壊しちゃって、ガソリン燃料は国からのガソリン配給券なしでは購入できませんでした。
水も給水車で400リットルドラム缶数本に配給がある分を100人近い調査隊で数日間使う生活。

1992年にモンゴル政府奨学金留学生としてモンゴル国立大学に来たものの、大学の授業は先生たちが給料もらえずストライキで、留学生寮は入寮2時間後に部屋に備え付けの共同冷蔵庫が壊され2年間冷蔵庫なしの暮らしを余儀なくされました。停電も「計画停電」というよりは、「無計画給電」で一日3時間、任意の時間に電気が来るから、その時間に寮にいなかった人は、だれか食事を作れた人のところにおしかけてごはんをいただいたり、というか、みんな、食糧調達とごはんを食べることが第一優先だった食糧配給時代だから、日本人留学生でリーダーの先輩部屋で一緒にごはん作って一緒に食べて、節電・食糧協同消費をしてました。

外がー20度超えてるのに、私の部屋の窓ガラスが割れていて、先輩たちの部屋に居座って暖を取り、もう起きてられない!ってなったところで、自分の部屋に張ったテントの中でシュラフに入って眠ってました。昨日、ご紹介したアライ君が2年間のボランティア活動(日本語教師・彼の教え子はみなとっても優秀だったのでした)を終えたあと、部屋のお引越し手伝ったときに発見した窓ガラスがなければ、私は2年目の冬はやばかったかもしれないです。だって、民主化後、最初のものすごい深刻なゾドが続いた冬だったから。

3日間以上も断水したこともあったし、全然水がないから、近所の復興建設途中だったお寺さんに水をもらいにいって、なんだかバケツリレーみたいになったこともあった。大フロルという名で、留学生寮の調理用電熱器がぶっ壊れるまでバケツリレーでお湯を作って、きたない風呂桶にお湯をはり、さらにみんなの垢が浮いて壮絶なお風呂に、ひたすらお湯を入れ交代で入ったこともありましたね。

当時ほどはひどくないけれど、20年たった今もウランバートルでは毎月のように停電するし、断水するし、悲しいことにライフライン最重要の集中暖房すらうちのアパートはよく切れる。

食糧配給時代は、氷点下で夜明け前の冷え込みでくらくらしそうな朝6時から指定店に並んでても買えないことがあったし、ジャガイモもとめて20㎞も徒歩でさまよい続けたこともありました。せっかく買ったわずかな食糧をリュックサックの中にいれて背負ってたら、すりにまるごと盗まれたこともありました。目の前でジャガイモ1㎏の値段が15倍に跳ね上がって仰天したり、赤ちゃんに与える牛乳1㎏を巡って、若いお父さん同士が奪い合いをし、牛乳での殴り合いがあり流血(牛乳は冬は凍ったまま売るのです)がデパートの床にとびちったのを見たこともありました。(ニュースステーションの特集取材のアテンド中でした)

結構不自由といえば不自由でしたが、みんなお互い、「ま、そんなもの」という割り切りがあって、日本から仕送りがくれば皆で分け合うから、後方支援のそれぞれの実家も私たちみんなの分を考えて、いろんなものを詰め込んでくれてました。

特に日本からの仕送りでうれしかったのが、トイレットペーパー。当時のモンゴルではトイレットペーパーといってもすっごい固くて、お尻を拭いたら、穴がささくれるように痛いのです。それにあんまり普及していないから、一般的なモンゴル人は、使い切ったノートや教科書や古新聞のきれっぱしを、用を足しながら読み、読み終わったら、お尻を拭いてゴミ箱に捨てていたのです。
トイレットペーパーはトイレに流せないから必ずゴミ箱に捨てるのが習慣だったし、大きい立派なブツをひりだしたところで、バケツで5リットルぐらいで気合で押し流さねばなりませんでした。
市場経済化移行期のモンゴルに暮らしたことで、お尻を拭くのはトイレットペーパーだけじゃない、と学びました。
そして、モンゴル最北の針葉樹林タイガでトナカイを飼って、狩猟や採集と遊牧を兼業してる人たちのところで居候してフィールドワークをするに至って、そもそも一生トイレットペーパーなしで用をたせてる人がいる、ということを知りました。
東南アジアとかインドに行くと、トイレットペーパーを使うのは「おっくれってるー」とか「きったなーい」って言われるレベルで、まぁ、手桶一杯の水で大事なところをすっきりきれいにし、手もきれいにできちゃうんだって体験。手動ウォシュレットだ。

日本の都市生活では当たり前で、それがないと不便、大変、いきてけなーい!って悲壮な気持ちになりそうな、日常のあれこれは、案外、なくてもなんとかなっちゃったり、代用できちゃったり、工夫すれば、「なんだ、なくてもよかったじゃん」ってことも多いものです。

計画停電が計画どおりじゃないって健康な一般の人たちが不便がるよりは、むしろ、ほんとに電気がない被災地の人たちのことを思いながら、計画停電の時間帯は、せめて自分の家だけでも自主的にブレーカーを下して、自主停電にしてみたら、どうなんだろう?とかモンゴルにいるから思えるのかな?

計画停電の話が出てくるのも、どう考えたって需要と供給のバランスが取れないよっていうことから出てきた話なのだから、じゃあ、自主的に電気消費量をばしっと減らしてみたら、同じグループ内のホントに必要な人たちは停電免れることが可能、ということだってあるかもしれない。

ピークの時以外は、テレビつけっぱなしでも自分の命を守るためには当たり前、ってささくれだって攻撃してくるよりも、いつもピーク時って思って、というかそもそも、省エネすれば自分ところの電気使用料だって節約できてお得なのになぁ、と思ったりもする。


モンゴルで日本のようなことが起きたら、確実に電気使用料は50-100%つまりは1.5倍から2倍くらいに跳ね上がると思います。燃料用の石炭が高騰した、とかインフレだ、とか言ってはすぐに30%値上げが言語道断で敢行されちゃう国です。

そういう話が出てないってことに日本って太っ腹だなぁって思う。
いっそ、電気供給が安定復興できるまでは、電気使用料は現況の30%値上げしますとか、きっぱり開き直ってしまえば、みんな節約するのではなかろうか?

自分がモンゴル国の水源調査とか給水施設改善などの日本の無償援助の通訳でかかわったこともあって、ウランバートル市内の水供給はすでに需要を満たしきれないってこともわかってるから、平時から自主的に自分が使う水量は限定しています。

ゲル地区の人たちなどは、給水所で水をかわないといけないから、実に上手に水を使っています。
マグカップ一杯の水で歯を磨き、顔を洗い、さくっと髪の毛まで洗えてしまう。
これは小さな子供から老人まで当然のようにできるのです。ゴビ地域など水源から遠い人たちはもっとシビア。
人間やればできる。それはその人たちだからできるんじゃんなくって、私たち日本人だって、そういう限定環境にいれば、そういうことできるんです。

モンゴルの西の果てに派遣されていた青年海外協力隊の青年は、大停電が続き、お湯供給もないというときにローソクを並べ、釣り上げた薬缶でお湯を沸かし、調理をしていました。もはや毎日が実験生活だったけど、たくましいサバイバル青年に鍛えられてた彼らは、どんな災害がきたって生き延びることができるっていう知恵と技術と勇気が身についてるって安心できます。

寒さもね、新聞紙と段ボールとサランラップなどでもなんとかなる。
ホームレスのおじさんたちの創意工夫のリサイクル&サバイバル技術を見習えばいい。

結構、そういうサバイバルな生活って、工夫の余地があって、無駄がそぎ落とされて楽しいってこともあるんです。
半年間のフィールドワークでしかも越冬、なんていうときは、調査用のいろんな道具が優先になるため、どうしても食糧とかは豊かなものではなくなってしまう。だけど、小麦粉とか米とか塩、油などがあれば、結構食いつなげるものです。

実際、タイガで調査をしていたときは4か月間無補給、現金を一切使うことなく過ごすことができました。都会育ちの小娘だって-40℃を超える冬の日々を野宿で過ごせたんです。大丈夫、-15℃くらいまでは気合さえ入ってれば死なないから。めげちゃだめ。めげなきゃ大丈夫。
-15℃といえば、タイガでは半袖で斧振り回して薪割れる気温です。

被災地の人たちが食糧がないのが心細いのは当たり前のことで、食べ物でこそ人間、「生きてる!生きられる」っていう生のエネルギーをゲットできるんだもん。
被災地以外の都市部での買占め行為に非難ごうごうだったりってこともあるみたいだけれど、その買占めはその人の心の不安の表れかもしれないし、実は家に育ちざかりの子供が3人とかいて、病気の奥さんとかいるなんていうのっぴきならない事情があるのかもしれない。
そんな風に考えてみたら、その非難を浴びせかけたことがちょっと恥ずかしくなったりしませんか?

でもね、そういう切羽詰まった状態じゃないのに買い占めようとしている人がいたら、お店の人が制限しちゃえばいい。モンゴルではよくありました。「あんただけがお金持ってて、その品物を買いたがってるわけじゃないのよ」って売り子のど迫力のおばちゃんが、朝青龍くらいでっかいおじさんを怒鳴りつけてたりしたもんです。

ぶっちゃけ、日本で、被災地でものが滞ってるのは、物が不足しているわけじゃなくって、たぶん、流通システムの問題、ロジスティックスのシステムが確立しきれてないから、民間の運送会社や個人の運送業のおっちゃんたちとの連携がとれていないだけかもしれません。
だってこういう混乱期だと、善意の人を装って、救援物資丸ごといただいてトンズラっていうことがないとも言えないでしょう?モンゴルは人口が少ないけれど、やっぱりこういう悪いこと考えてちゃっかり実行する人もそれなりの割合でいるのです。日本にだってたぶん、いるはず。どこの国だって極端な善人も極端な悪人も同じくらいの割合で暮らしているもんです。普段はいい人だって、切羽詰まれば、やむにやまれず、悪いことしちゃうかもしれない。
だから、悪いことができない、ガッチガチのシステムを作るか、あるいは、ホントに善意の人を民間がみんなで応援して被災地に送り込むことを、政府がサポートしてくれるようになればいいなぁ、と思います。

政府がサポートしてくれれば、、、といったところで、ぶっちゃけ、今の政権は、今の状態でアップアップ溺死寸前なんじゃないかしら?枝野さんはがんばってるみたいだけれど、いろんな頓珍漢なこともあるみたいだし。

昨日、母に東京脱出を説得しようとして失敗したわけですが、「ところで節電啓蒙大臣の蓮舫さんはどうしてるの?NHKだと全然出てこないんだけど?」と尋ねたところ、「都庁に乗り込んでって、石原都知事にかみついて、「うちはすでに節電徹底してるのがわからんのか!」って一喝されたらしわよ」とのこと。何やってんだ、蓮舫大臣????

大体、経済産業省がちゃんと管轄できる話じゃないの?
すでに国民のほうが自分たちで、自主節電の策を練ってきているわけで。
なんで、元気な人は決まった時間、電気使用禁止!ぐらいの圧力かけられないのかなぁ?今の苦境は日本の人ならみんなわかってるんだから、3時間くらい、「じゃ、うちは我慢するわい」って人たち大勢いると思いますが。

便利が当たり前って思うかもしれないけれど、ウランバートルなんか首都なのにしょっちゅう、信号が動かなくなっています。停電だったり、電球切れだったり。(LED電球使用でこの要因は激減したけど)
モンゴル人ドライバーたちは、気性も運転も荒いけれど、むしろ警官とか信号とかないほうが、阿吽の呼吸で交通渋滞にならなかったりします。日本のマナードライバーさんたちだったら、ちょっとなれれば、それほどの混乱はなくなると思うから、マスコミもギャーギャー言わなくてもいいと思う。

マスコミのギャーギャーといえば、おとといぐらいでしたっけ?東電の記者会見はひどかった。なに、あの恫喝もどき?ばっかじゃないの??ああいう馬鹿記者は、記者クラブに入れるなよー、と元報道系製作会社(でも記者クラブには入れてもらってないの)でお仕事いただいていた私は、鼻息あらく、血圧あげて怒ってました。

それにしてもこういう災害時には、テレビでやってたような「節約のプロ」の人たちの技って使えないのが多いわねー、と改めて思う。節約するために使うための道具とか新たに導入しなきゃいけないもの、多すぎ。

私もガラクタが多すぎてモンゴル人によく叱られるので、他人のこと批判はできませんがw

こういう世の中だからこそ、神戸出身で神戸震災の救援ボランティアにも行っていた「貧困研究家」久島弘さんの名著「僕は都会のロビンソンクルーソー」を購入して読んでいただきたいと強く思います。

普段から、とっても質素、というかミニマムライフとしてはたぶん、日比谷のホームレスのおじさんより生活コスト安いかもしれぬ、くらい清貧な生活を実践して、生活コスト切り詰めの研究のためにますます貧乏になる、という自主的貧乏スパイラルすら生み出している久島さんは、いつ何時地震が起きても、家を焼け出されても困ることがない暮らしと装備の実践者です。

今こそ、書店があいてる人は購入してください。書店にないよー、という都内近郊の方は、JR中央線中野駅北口を出て左手の、線路沿いの坂を上っていくと、「カルマ」という怪しげな喫茶店で売っています。カルマで購入いただくと著者の久島さんがコーヒー5杯飲めるコーヒー券がついているそうです。

ぼくは都会のロビンソン―ある「ビンボー主義者」の生活術/久島 弘

¥1,575
Amazon.co.jp

本の宣伝みたいだけれど、それだけでなく、いかにつつましく生きるか、を実験的に生きることで、結構、不自由そうな世の中も、楽しくわくわくしながら生きられるんだよってことで、私のバイブルなので・・・(日本用・モンゴル用・モンゴル貸出し用と3冊購入)

何が書きたくなったのか、、、といえば、不便な生活というのは、命がけになるまえにある程度なれておいたほうがいいですよ、ブログを読んでいただく余裕があって、被災地になる一歩手前で地震で不安になっている人たちの心の準備のための資料として・・・

あ、久島さんの貧困通信というホームページもまた秀逸です。
「実験貧困主義貧民共和国新世紀通信」http://www2.ocn.ne.jp/~asagao/binbo/b_index.html

とにかく不便が長期的に続くことが予測されるなら、心構えとミニマムな装備で、困難に立ち向かう準備をし、あとはヒーローな気分でチャレンジャーなフィールドワーカーになった気分で暮らすこと、みんなで仲良く笑いあい、思いやること、ぐらいしか、決定的な長期戦攻略の速攻作戦が思いつきません。

普段からライフラインは当たり前に提供されるものじゃないって考えてれば、人間、おのずと何を備えればいいか、って知恵がついてきます。
これってある意味、右脳トレーニングにもなるから老化防止になるのかな?

Pray for Japan。
ちょっと饒舌に、でも、こういう苦境って乗り切ることに喜びがあるんだよって伝えたくって。