モンゴルだるま@ウランバートルです。
震災発生からずっと友人知人の安否情報確認や日本で暮らしているモンゴル人のためにお役に立てば、と震災対策マニュアルをモンゴル語で作るとか、自分の本来の仕事をがんばるとかで時間が過ぎてしまいました。

今日は、モンゴル人の国会議員さん有志や企業家有志などが、それぞれ集まって「日本の震災支援のために何をすべきか」を喧々諤々で協議してくれていたようです。ツイッターなどで、いろんなツブヤキがあり、モンゴル人が親身になって日本の震災の被害に心を痛め、支援しようと考えてくれていることがヒシヒシと通じてきました。

私は生存確率の分岐点になる72時間まではとにかく生きている人のこと、生き延びてもらうこと、不安を取り除くことしか考えていなかったのですが、具体的に増えていく犠牲者の数、失われた命の現実にもモンゴル人たちは目を向けていてくれました。

今夜、モンゴル国のメイン広場であるスフバートル広場で、東北関東震災犠牲者を弔うために灯明風船を飛ばす催しがありました。すでに-20℃近く冷え込んでいるこの夜に、とてもたくさんのモンゴル人やモンゴル滞在の外国人、在留邦人の方々が集まっていらっしゃいました。お灯明風船を飛ばすときにお金を払い、そのお金を被災者への寄付金にする、というアイディアです。昨日の今日でのモンゴル人の実行力、企画力に、驚くばかり。口コミの威力もあるだろうし、昼間に話してもう夕方には実行、という段取り力にモンゴル人の心意気がひとつになると、天下無敵のパワーを発揮する、と実感しました。
この、心をひとつに誰かのために、という意気込みがモンゴル帝国を築いた騎馬民族の末裔の根性なんだろうなぁ。

命を落とされた方のご冥福を心からお祈りします。
また家を失い、家族を失い、田畑や船、養殖場など丹精こめて生活のために財産として育ててきたものを失い、未だに生活インフラが不自由なまま喪失感を抱えていらっしゃる被災者の皆様のためにお祈りします。

今日、アメブロ仲間で日本語学校でマネージャー兼日本語教師をやっていらっしゃるにくさんと夕飯デートだったのですが、にくさんの教え子さんも福島に留学や研修に行っていたり、そのほかの被災地にいるわけではないけれど、モンゴルの家族のたっての希望で明日緊急帰国することになった人がいたり、津波か地震で、「住む所がなくなった」という大使館やしかるべき機関に届出をしていないばかりに被災者にカウントされていないモンゴル人もいることがわかりました。

まだまだ震災は続いてしまいます。
それだけでなく、私が懸念していた福島原発の爆発、不具合の拡大による被曝者の増加が現実的な問題となってしまっています。
海水で冷やしているから大丈夫、といっても、そもそもいろんなミネラル分などが混じっている水で冷却しても、ガンガン沸騰し、そして海水が煮つまり、それが元で想像もつかないようなへんな化学反応を起こしたり、もっと深刻なダメージを与えたりしないのだろうか?とか、そもそもイレギュラーな方法として使われている冷却で使った海水は、どうやって処理しているの?だって、放射能浴びてる水なんでしょ?とか、そういうことも心配だったりします。

報道ではまだ死者は数字でしかないから、あまりのことに命を落とされた方の話が現実的に受け止められない自分がいます。また、どうして、ヘリコプターからの空撮で被災者が屋上で助けを求めているのを見つけたにも関わらず、その人たちの救援にヘリが使われないのか、その場で救援隊派遣などの対策を使わないのか、など納得できないこともあります。

被災者の方々の声、津波に飲み込まれ、必死で生き延びた人たちの当時の様子についてのインタビュー、その他大勢の映画のセットみたいだった津波に流されていた車が、水が引いた道で壊れたプラモデルみたいに山積みになっているなど、もっと距離の近い被災の現実に、昨日とは全く違う衝撃を受けています。

震災があった当日に救援の飛行機便を飛ばして(もともとの定期直行便だったけど、さすがに被災している日本に行こうという乗客はいなかった)、当日の夜着じゃ成田空港も対応できず空身で戻ってきたわけですが、それでも翌日には、2500枚の毛布などモンゴル国でもゾド(大雪害・寒波などの災害)や洪水などの被災者に支給するための備蓄を引っ張りだしてきて、空身の飛行機に詰め込み、成田空港にモンゴル人や日本人などの救援に向かいました。予定されていた乗客以外にも緊急帰国を希望するモンゴル国民も乗せるなど、モンゴル人の災害に対する対応は本当に迅速で、また心温かいものです。

救援・支援の話し合いの中で、家を失った被災者をモンゴル国で受け入れよう、という話すら出たそうです。何万人もいらっしゃる被災者をどうやって現実的に受け入れるのか?あるいは被災者の方がモンゴルに本当に避難したいと思うだろうか?などの疑問が投げかけられ、結局、このアイディアは却下になっちゃったようですが、どこの国に何十万人にもなるであろう被災者を自分の国で受け入れよう、と真剣にしかるべき立場の人たちが救援策として話し合うでしょう?
こういう親身になる、自然の脅威の痛みを知っているモンゴル人的思考回路を尊敬し、いとおしくも思います。

海を越えて、砂漠を越えて、モンゴル国民は皆、被災地の皆さんの無事を喜び、復興のサポートをしたいと願い、そして犠牲者の皆様のご冥福を、今、すぐにはお葬式もできない人たちのためにお経をあげて祈っています。

日本人は孤独な国の人たちではない。モンゴル国民は本当に日本のパートナーなんだ、と実感しています。

モンゴル人の死亡者はいないようですが、家を失った被災者がいることがわかりました。
炊き出しや給水サービスなどの使い方がわからない人たちもいるかもしれません。
皆さん、力を合わせて、思いやりの心で励ましあってください。