モンゴルだるま@ウランバートルです。

昨日の夜、急にサプライズな電話があって、11年ぶりに大切な友人と再会できました。
彼らは、モンゴル最北端フブスグル県ツァガンノールソムのツァータンたち。
私が大学院修士課程で研究していた「トナカイ飼養民ツァータンの社会的ネットワーク」のフィールドワーク中の居候先だったり、インフォーマントだったりした人たちです。

私は96年にフィールドワークをかねたテレビの取材で初めてかの地を訪れてから、延べ2年間をかれたと共に暮らしました。

フジテレビで放映された「西田敏行 森の民と暮らす。泣いて笑った冬と夏」という特別番組で96年の夏と冬、97年のツァガンサルから移動の時期までと夏と四季のロケハンとロケでお世話になり、その後も、フィールドワークの度に素晴らしい旅と暮らしを経験させてもらいました。

今取り組んでいるエコツーリズムというのもその言葉を知る前から、私の本質は、ツァータンの人たちとの交流を通じて、地元の人と共に旅を作り、彼らの伝統を大切な宝物としながら、人が幸せに暮らす道を共に求め合うことの素晴らしさを掴み取っていたのでした。

人生のすべての大切なことは、ツァータンと共にタイガという厳しくも奥深い自然の中で暮らした日々で学んだといっても過言ではありません。

学歴もなければ、特殊技能や資格を持ってるわけでもなく、たいした社会保障もなく、社会制度に縛られるわけでもなく、自然の摂理の中で、ほんとに人が生きるために必要な絆と経験や技術や知恵を修得して生きている人たちは、私にとって、研究対象という以上に、人生のかけがえのない家族的存在でありました。

今回は、タイガでも珍しかった同い年の女子の仲間。無口な年下のだんな様も一緒にきてました。つれてきたのは、初めてあったときは、まだ5歳の少女だったソロンゴちゃん。

タイガの近況を聞くに一緒にヘラジカ狩りや熊狩りに連れて行ってくれた狩りの名手のおじさんや薬草などのツァータン・ダルハド族の民間療法についてを教えてくれたおばさんなどが鬼籍に入ってしまっていたなど残念なニュースもきく羽目になりました。

でも、小鳥の巣やリスの巣篭もり穴を案内してくれた子供達が大人になり、結婚して子供を作り、立派に家庭をきずいている、とか、誰と誰がくっついた、別れた、なんて恋愛ネタもいろいろあって楽しかったです。

ソロンゴちゃんのお姉ちゃんで、西田さんの小さなお友達でもあったトゥプシンちゃんが、今朝4時ごろに第三子を無事出産したとか、びっくりニュースもありました。トルコ系騎馬民族によくある美しい透き通るような栗毛の髪の持ち主なのに、真っ黒な私の髪にあこがれて、村に下りたときにいきなり、真っ黒に染めて皆をびっくりさせた、というおしゃまなエピソードもあった、ほんとに小さな子供が今じゃ、1度ならず2度までも結婚し、そして3人の子持ちであるってことも驚きだけど、スリムだった彼女が、今じゃ、タイガで1、2位を争うおでぶちゃんなんだってことも驚き。そこまで私に似せなくても・・・

調査中はムツキに包まれ、ゆりかごに揺られていた坊やが、だれそれとの間に子供作った、とかいう話には、なんともいえない、「出遅れ感」を感じざるをえない。なんか、おばあちゃんになったような気分です。

女たちと一緒にユリ根掘りやネルス(クロマメノキ)やコケモモを摘んだときの思い出やテレビ取材中の笑い話など、話はつきません。

11年も離れ離れどころか、音信不通だったことが嘘のようにお互いに年をとったということ以外、まったく「あの頃」と変わらない時間が流れていきました。
フィールドワークがつい昨日のことだったような気がし、そして、また明日も会えるような気がする不思議な友達。悠久の大地で暮らすっていうのは、こういう人たちのように時間をすごすってことなのだろうなぁ。

私はズーンタイガというシシグト川以北の、文字通り最北端の集落をメインの調査地としていたのですが、バローンタイガという別の集落にも3週間ほど聞き取り調査でよらせていただいたことがあります。彼らはそのこともよく覚えていて、ほんとお互いの記憶力に喜びを感じるのでした。

ズーンタイガはほんと、飛行機を使ったとしても片道が1週間近くかかる上に、乗馬が上手にできないとかなり危険な場所もたくさんある難所・秘境なのですが、バローンタイガは、オラーンオールのある集落から馬で約3時間ほどのところに夏営地を持っているのです。え、そんなに近いの?と驚いちゃいました。
私はツァータンたちがいかにして社会主義時代の統制生産単位に組み込まれていたか、の資料が多く残っていたツァガンノールを拠点と考えて行動していたため、バローンタイガにいくにしても、えらい危険な岩場をガシガシ馬でよじ登るようにいった記憶しかなかったのですが、オランオールからアプローチすれば、「すぐ近く」なんだとのこと。

今回の一時帰国で、モンゴル語学科の大先輩で写真家でもある方から、ツァータンを取材したい、とご相談いただいていたのですが、どうやらこれは可能なアレンジができそう。

なんと、タイガに暮らすツァータンたちの間でも携帯電話は普及しているということです。
まったく便利な時代になったもんです。

私が出ているMONNISツアー2010の番組も見ていたそうで、私が10年以上たっても、「全然変わってない」って一同、驚いていたんだそうです。いや、変わったから。当時から比べると20kgくらいドッシリしちゃってるから。その辺の違いは毎回寒くて着膨れしていたためわかってもらえないのが残念でありました・・・

友達っていいなぁ・・・

ムリして友達だって思わなくても、自然にそうなっちゃってるって、最近のモンゴル人とのつきあいではなかなか難しいっていうか、どうしても金銭がらみで自分が負担しなきゃ、な気負いが自分のほうにあって、ごく普通の友達関係が築きづらくなっているため、ほんと、自然体な彼らと再会できたことで、気持ちがスッキリしました。

日本で学生していたときのほうが、同じモンゴル国内に暮らしている今よりも頻繁にかの地に通っていたっていうことの矛盾をつかれて、どきっとしたりもしたけど。
学生のときは、ただ、あの場所に行けるなら、お金だって時間だって惜しくなかった。稼げるかどうかだってどうでもよくて、ただ、あの場所で文字通り自然と一蓮托生な生き方を実践していた彼らと同じ暮らしを体験し、語らいあうことだけで幸せだったんですね。
凍傷になったり、熊に出くわしちゃったり、酔っ払いに絡まれたり、口論のあげく銃口突きつけられたり、うっかり国境越えちゃったり、自分の乗ってた馬が一晩でどっかに逃げ出しちゃって、独りぼっちで森にとり残されちゃったりと危険な目にも何度もあったけど、それでも究極の旅って、ああいう経験なんだなって思うわけです。

安全パイなツアーっていうありきたりな、でも会社としては「そうあるべき」っていう旅行賞品を扱うことも大事なのかもしれないけれど、私はやっぱり、本気のモンゴル旅は、ヒリヒリする自分の本能が引きずりだされるような冒険の旅であるほうが面白いし、やりがいもあるって思っちゃう。

ビジネスとしてやるには、あまりにもばかばかしく、儲けはないけど金はかかる、というやれやれな旅だけど、でも、そういう旅こそ、モンゴルならではの旅だと思う。
ただ、そこに行きましたってことじゃなくても、その地にいる人たちととことん本音で語らい、お互いにビックリしたり、笑ったり、感動したりして、かつその地の歴史や文化、自然の生態系のことわりなどを理解しながら旅すること。それこそがせっかくモンゴルまで来たならやるべき体験だって。

今、エコツーリズムマニュアルの翻訳、という作業をしながら、思うのです。マニュアルはマニュアルで、誰でもそれを読めば実践できるっていうラインをもつべきもので、その意義はとても深い。

だけど私は、そのラインを突き抜けて、自分が生身でぶつかり合い、すべてを捧げることでつかみとった体験をベースに、地元の人たちとの一蓮托生の信頼関係で築いた冒険こそが、自分がやるべきエコツアーのあり方だって感じています。

ツーリストが来る、という感覚ではなく、「モンゴルだるまの友人が来る」ってことで、地元の人たちが受け入れてくれる。そして、旅人もまた「モンゴルだるまの大切な仲間に会いに行く」っていう気持ちでその地を訪れてくれる。
そんな関係で旅を企画運営することで、お互いに必要なものを与え合い、そして集落の経済基盤の向上や伝統文化の継承をサポートしていきたいな。

近くで金鉱山が開発され始めたり、携帯電話が普及したり、街の人と結婚したり、ウランバートルに出てきたりしても、相も変わらず10年間素朴さを残し続けている、そんな素敵な私の愛する仲間たち。
10年ぶりに、会いに行きたいな、と思います。

日本からだと2週間くらいかかっちゃうとは思うのですが、こんなタイガの旅におつきあいいただけるかた、いたら、ご連絡くださいませ。

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