大相撲は日本の国技? ブログネタ:大相撲は日本の国技? 参加中

私は思わない!派!

日本の大相撲がガタガタのこの時期に、大相撲を「日本の国技」と考えるかなんて、、、なかなかシュールなネタですね。剣道ガールの私にとっては、相撲のように特殊体型の人しか参加できない、しかも懸賞金という形で公然と勝利に対して賭け事が行われ、さらに裏では勝敗の裏交渉が行われ、かつアンタッチャブルなことが多すぎる競技を国技とすると認めるのは日本の恥さらしもいいところだ、と思ってしまう。
モンゴルにいるとね、日本にいるときよりもよっぽど「日常生活における相撲度」が高くなります。

朝青龍全盛期の時は、モンゴル人は十両以上の力士の名前、はもちろん、どこの部屋に所属しているかまで、かなりの人たちが知ってました。そして、日本と大相撲をセットで愛してくれてました。

今の大相撲のガタガタぶりは、もはや「朝青龍の呪い」と言われても、仕方がない、、、って気がしちゃう。まぁ、呪ってるかどうかは知らないけど。

でもあれだけ強い人が一瞬でも心の中で「俺をここまで貶めた人間を許すまじ。地獄に落ちろ」ぐらいの気持ちを強く持っていたとしたら、「引き寄せ魔法」でたぶん、そういうことにもなろう、というもの。横綱=神様みたいなもんですもの。

大相撲を両国国技館の升席で観戦するチャンスがあったとき、大相撲大好きなモンゴル人のアテンドだったのですが、何やら、神々しい思いというか、あぁ、「This is Japan!」な感じだなぁって感激のあまり、すさまじい勢いでモンゴル人力士のお相撲グッズを購入してしまったものです。

興行・娯楽だと思ってみれば、日本の相撲って素晴らしいです。
適当に飲み食いしたり、トイレにいったりする時間はたっぷりあるし、取組前の緊張感の中でのおしゃべりも楽しめるし、勝負は一瞬ながくて5分程度でついちゃうから、勝敗についてのひと語りも次の取組まで十分楽しめる。

間合いのなかなかよろしいものなのです。

モンゴルではモンゴル相撲は国技として規定されて(たはず)、力士たちの番付などは相撲協会が協議しますが、横綱とかの「任命」というか「承認」はモンゴル国の元首である大統領令によって決定します。

大相撲も賜杯を天皇杯、内閣総理大臣杯など、この国を「統べる」人たちによって優勝者に授与されます。
こんな栄誉はなかなかありません。

まぁ、そういう意味で、これまでの大相撲って、ダークな噂がとびかっていたところで、暗黙の了解として、「日本を象徴する競技」として世界に知られ、愛されてきたんだけどなぁ。

JUDOなんかは、世界規模で普及された結果、欧米人が台頭してきたため国際ルールによって、外国人の都合よいように変更されちゃって、もはや、武道というよりは、勝敗をはっきりさせるためのスポーツになっちゃった。

人の道を究めるために、「柔よく剛を制す」の精神でのしなやかな技の掛け合いとかはなくなり、いかに規定時間内にポイントを稼ぐか、みたいなポイント合戦になってしまった。スポーツとしてみるのは確かに素人にもわかりやすく、スピードもアップされたから試合の円滑な進行にはよかったのかもしれないけれど、でも、どっかモヤモヤしちゃう。

八百長問題とか野球賭博とか「かわいがり」とか、まぁ、ここ2、3年で大相撲が震撼させられるような事件が相次いでいるわけで、これらの不祥事、人の道に外れた行為が組織的に行われていたってことから比べれば、品格がない横綱だった、とかぐらいであんなに日本文化に対するリスペクトが態度に現れず、モンゴル人丸出しで土俵で戦っていた朝青龍なんか、かわいいもんだった、と思う。

つまりは、朝青龍関の不祥事って、旭鷲山関のちょんまげひっつかんで反則負けになった、とかぐらいで、それ以外は、プライベートな時間での「ヤンチャ」だけなわけです。
「横綱は神様だから皆のお手本にならなければいけない」って言ったところで、そのお手本がどんなものか、どのような精神で追及すべきものなのか、をホントの意味で、「お手本」として伝承することができなかった、というのは、大関どまりだった親方の朝潮「大ちゃん」だけのせいじゃなく、協会全体の問題だったんだなぁ、って今となっては思うわけです。

モンゴル人にとって、今の騒動は、はっきりいって、「朝青龍を追い出しといて、いまさら・・・」と冷ややかなんじゃないかしらん、って思う。
大相撲人気のおかげで、親日派が増えたのは確実だし、モンゴル人力士が大活躍したおかげで、日本でもモンゴルがメジャーになれたわけです。
文化交流、経済交流、とにかく民間交流が盛んになった背景には、モンゴル国内の大相撲人気があったことは確実。
それだけに、「恩義」を大事にするモンゴル人にとって、立役者である横綱を石つぶてをぶつけて追い出した、みたいな相撲協会に対しての恨みつらみはまだ根強い気がします。

野球賭博も、正直、野球というスポーツが普及してないモンゴル人にとっては、まったくもって、意味わからなかったと思うしね。

国技だっていう意識は、まずその競技に携わっている人たちの心の中に宿ってないとダメだと思う。
剣道をやっている人間にとっては、別に竹刀なり木刀なり日本刀なりを握って、チャンチャンバラバラと丁々発止の勝負をしているとき以外だって、剣士としての心がけというか、生き様が大事なのです。
剣を握って強いかどうか、っていうことよりも、心の持ち方やいかに美しく、生きるか、真剣勝負で全力投球して一瞬一瞬を送っているか、が大事。

そういう「武士道」の美しさを今に残している競技といえば、もはや剣道だけじゃないでしょうか?

とはいえ、大相撲もがんばってほしいです。
何世紀にもわたって継承され、今なお、一番神々しさというか、日本らしさを象徴的に表現し続けている伝統美を持っている相撲道に立ち返り、踏ん張ることによって、相撲の原点の輝きを取り戻していただきたいと思います。

ま、国技だなんだっていって、テレビの取材を受けても、領収書なしで50万円とか平気で「ごっつぁんです」で済ましちゃうとかいう、ふんぞり返った態度は改めてもらえるいいチャンスかも、、、と思うわけです。

相撲に命がけ=生活かかってるっていうことで、幕下に落ちたら給料なしの奴隷同然の生活になっちゃう、という天と地の差が極端な給与体系などにも、問題があったと思います。

武道にとっての命がけは、お金を稼ぐ手段というよりも先に、その生きる道を究めるってことへの執念というかひたむきさのことではないでしょうか?

抜本的な改革をして、全相撲関係者が精神を入れ替えるよいチャンスと受け止め、今こそ、真剣に相撲道に立ち返ってください。


ま、最初っから国技だなんて認めてないから、自分的にはがっかりもしてませんけどね。
せっかく、第二、第三の横綱を目指して相撲に励んできたモンゴル人青少年が何千人もモンゴル国にいたのに、そういう交流までも断ち切れちゃうのは残念だから、なんとかがんばれーーーーって応援しておく。





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