人生の中のユーモラスな部分に焦点を当てた「100歳の少年と12通の手紙」
「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」「地上5センチの恋心」などで知られる、フランスの人気劇作家・..........≪続きを読む≫
哀しい話をユーモラスに描くのって、すごく難しいと思います。
ホラ、哀しいでしょ。
ね、かわいそうでしょ。
なんとかしてあげたくなるでしょ。
そんなエピソードの積み重ねって、制作している側、あるいは活動を公表している人のエゴで、かわいそうさにおなか一杯になって、そんな強調せんでも・・・てな憤りすら覚えてしまうつむじ曲がりです。
テレビ番組の制作とかでも、一般的な「流れ」みたいなストーリー展開が作りやすいから、ついつい取材段階で、そういう要素ばかりになっちゃったりする。
孤児院行くとか、ホスピス行くとか、スラム街行くとか。
一生懸命に信念を持って活動している人には申し訳ないのですが、わりと日常的に片親っことか貧困家族と生身で付き合わなければいけない私としては、「なんで、そこなん?」って思ってしまう。
なんで大勢を対象に、アピールしやすいところを狙って、助成金とか支援金とかODAがらみにするとか寄付金集めするとか、そういう大仰なことにしなきゃならないじゃ?
なんで、自分が1対1で本気で人1人幸せにするって覚悟でとことん付き合わないで、他人を巻き込むの?
とかね。
黒だるまが出てくるんだわ。
ほんとにのたうちまわっても、涙振り絞っても、お金、出てこない。生活費困って、誰かをのろって、一人ぼっちで泣き叫んでもどこにも届かない声とか。
そういうこと、あった上で、一生の覚悟を持ってね、やってるんだったら別だわ。
自分も地獄見る覚悟で、全財産をなげうってでも誰かを助けようっていうなら、それがたとえ偽善でも、すごいって思う。
自分は安全地帯にいて、命綱つけて、マジやばい!ってなったら「やっぱりダメなところはダメなんだ」みたいな自分は悪くない的言い訳をおいて撤退。
そういう団体、多いんだわ。多すぎるんだわ。
自分の余分なお金で活動して、それを慈善活動として広報し、マスコミでアピールするんだったら、いやったらしいんだわ。
だから、そういう意図が見え隠れする「お涙頂戴映画」は大嫌いなのです。
このニュースに出ている映画が、この記事どおりだったらいいなって、私、この映画を見るためだけに日本に帰ってもいい、っていうくらい期待しています。
人の命は限りがある、それは仕方がない。
その残りをどう生きるか。
それは死に逝く本人と共にその周囲の人たちに課せられた大課題です。
子供が不治の病で・・・となって、泣いても怒っても暴れても、何してもどうしようもないなら、もう笑うしかない。
精一杯生きるしかない。
救われるのか、どうかじゃなくて、人はできることしかできないってことなんだと思う。
それとね、大好きな人には手紙を書こうって、なんとなく思ったのでした。
「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」「地上5センチの恋心」などで知られる、フランスの人気劇作家・..........≪続きを読む≫
哀しい話をユーモラスに描くのって、すごく難しいと思います。
ホラ、哀しいでしょ。
ね、かわいそうでしょ。
なんとかしてあげたくなるでしょ。
そんなエピソードの積み重ねって、制作している側、あるいは活動を公表している人のエゴで、かわいそうさにおなか一杯になって、そんな強調せんでも・・・てな憤りすら覚えてしまうつむじ曲がりです。
テレビ番組の制作とかでも、一般的な「流れ」みたいなストーリー展開が作りやすいから、ついつい取材段階で、そういう要素ばかりになっちゃったりする。
孤児院行くとか、ホスピス行くとか、スラム街行くとか。
一生懸命に信念を持って活動している人には申し訳ないのですが、わりと日常的に片親っことか貧困家族と生身で付き合わなければいけない私としては、「なんで、そこなん?」って思ってしまう。
なんで大勢を対象に、アピールしやすいところを狙って、助成金とか支援金とかODAがらみにするとか寄付金集めするとか、そういう大仰なことにしなきゃならないじゃ?
なんで、自分が1対1で本気で人1人幸せにするって覚悟でとことん付き合わないで、他人を巻き込むの?
とかね。
黒だるまが出てくるんだわ。
ほんとにのたうちまわっても、涙振り絞っても、お金、出てこない。生活費困って、誰かをのろって、一人ぼっちで泣き叫んでもどこにも届かない声とか。
そういうこと、あった上で、一生の覚悟を持ってね、やってるんだったら別だわ。
自分も地獄見る覚悟で、全財産をなげうってでも誰かを助けようっていうなら、それがたとえ偽善でも、すごいって思う。
自分は安全地帯にいて、命綱つけて、マジやばい!ってなったら「やっぱりダメなところはダメなんだ」みたいな自分は悪くない的言い訳をおいて撤退。
そういう団体、多いんだわ。多すぎるんだわ。
自分の余分なお金で活動して、それを慈善活動として広報し、マスコミでアピールするんだったら、いやったらしいんだわ。
だから、そういう意図が見え隠れする「お涙頂戴映画」は大嫌いなのです。
このニュースに出ている映画が、この記事どおりだったらいいなって、私、この映画を見るためだけに日本に帰ってもいい、っていうくらい期待しています。
人の命は限りがある、それは仕方がない。
その残りをどう生きるか。
それは死に逝く本人と共にその周囲の人たちに課せられた大課題です。
子供が不治の病で・・・となって、泣いても怒っても暴れても、何してもどうしようもないなら、もう笑うしかない。
精一杯生きるしかない。
救われるのか、どうかじゃなくて、人はできることしかできないってことなんだと思う。
それとね、大好きな人には手紙を書こうって、なんとなく思ったのでした。