動物には好かれる?嫌われる? ブログネタ:動物には好かれる?嫌われる? 参加中
なんの疑念も戸惑いもなく、動物とは心通って愛されてるなぁって感じます。好き好き好きーって第一印象でお互い、ぞっこんLOVEってなるんだよね。


私が暮らしているモンゴル国では、結構、動物に好かれるって重要なことです。
犬しかり、馬しかり、羊ヤギしかり、ラクダしかり、トナカイしかり、、、野生動物しかり・・・
生活を共にするパートナーですからね。
彼らのご機嫌をそこね、嫌われてしまっては死活問題なのです。

意志の疎通が取れているから好かれる、意志が通じないから嫌われるっていうのは、正直動物に関してはあんまりないでしょう。
相性がうんぬん、とか性格の一致、不一致とか心配しないでいられるから動物が大好きです。
彼らには悪意はない。
不快・愉快はあるけれど、不快な気持ちになったから嫌うっていうことはない。

動物に好かれるかどうかは、ただこちら側の心構え次第。
リラックスし、相手に対して苦手意識をもたないで、受け入れる構えが出来ていれば、動物たちとはすぐに仲良しになれます。

過剰に「動物好き」を動物たちにアピールする必要もない。

自然体が一番です。

仲ようやろうや!

それだけ。

気持ちがリラックスしていれば、相手のほうから寄ってきます。
相手が近づいてきたら、そおっとこちらも手を伸ばせばいい。

あとは、相手の気持ちがよい、って思うことだけしていればいい。

そんな風にしてれば、動物はきっと「この人と仲良くしたい」って、「この人を守ってあげよう」、「この人の役にたちたい」って気持ちを行動で示してくれます。

犬と仲良しになるっていうのは、モンゴルではあらゆる場面で必要です。
都会の犬はペットですが、田舎の遊牧民は番犬を飼っています。彼らは基本的に「外部から来るものは敵」という行動原則を持っていますから、「私、犬すきー」なんてナデナデしようなんてしないほうがいいです。
とりあえず、おとなしく、遊牧民ゲルにいざなわれるままに入る。楽しい団欒を経てからゲルを出れば、基本、犬は襲ってきません。
でも臭いをかぎにきます。
ここでじっとしておくのが、その後のいい関係を築くコツです。
田舎の犬って職業「番犬」なので、都会のペットみたいに、人間に甘やかされることになれていないから、通常日本人が「犬ってこうやってあげると喜ぶのよね」的なツボと、ずれている。
制服姿が爽やかでイケメンなおまわりさんの勤務中に、「あーら、可愛いのねぇ」なんて迫ったところで、「仕事の邪魔するな!」って嫌われるだけです。
それと同じこと。

ゲルを出入りし、主人たちと和やかにお話しているのがわかれば、人懐こいワンコは自然とよってきます。

動物に好かれるには、風の谷のナウシカの「ナウシカ」みたいなのが理想かな。

馬とかトナカイに好かれるには、私はちとハンデがあります。つまりは標準よりも体重が重いため、彼らの負担が大きい。だから余計に、「あなたたちのこと、大好き。いつも乗せてくれてありがとねー」っていうのをアピールです。乗っているときの操作の意思表示がハッキリ伝わり、お互いの行きたい方向が一致していれば、自然と信頼関係が生まれます。馬やトナカイ、ラクダにもそれぞれ本能的習性以外に個性があります。それをいち早く感じ取り、その個性にあった騎乗をしていれば気分爽快なトレッキングが楽しめます。休憩のときとかに鼻面を押し付けてきたり、頭を肩に乗せてきたりしたらシメタモノ。甘えているんですね。そういう状態で相手のほうからアクションがあったときに、こちらの好意を体で表現してあげる。
言葉がわからなくても声をかけてあげる。極端な大声や早口は警戒心を起こしてしまうから、短い掛け声がいいみたいです。

ラクダはイマイチ、私、すかれてる、という実感が持てないし、そもそも、今年の夏でなんとなく1人で乗って操作できるようになりましたが、全然、意志の疎通がとれてるのかどうか・・・おっかなびっくりなのです。でもラクダは気性が激しいというよりは感情豊か。喜怒哀楽がハッキリしているので、怒むかっがあからさま出ない場合は、一緒についていってくれてる遊牧民の指示にしたがっていれば、暴れて振り落とされちゃう、とか噛み付かれるとかゲロ爆弾を投げつけられる、なんていうビックリな反抗的態度の餌食にならないみたいです。

野生動物に好かれるかどうか、、、っていうのはね。
好かれるというよりは、嫌われない。警戒されないっていうことですね。
エコツアーの一分野であるネイチャーツアー(自然観察ツアー)でバードウォッチングとかゴビの野生動物ウォッチングサファリなどの解説ガイドで行ってるときなどは、姿を見せてもらえればそれでオッケーなのです。

でも自分が針葉樹林タイガで暮らしていたときは、動物にというか自然に愛されないと、獲物が取れないからくっていけなくなります。女は普通、狩りにはつれていかない、という掟がありますが、自分では銃を撃たない、狩猟中はツァータンたちのいうことを聞く、外国人だから、ま、いっか、といった三原則で掟破りの同行をさせてもらえてたのは、ひとえに私と一緒にいると獲物と遭遇しやすい、というラッキー引き寄せ体質であり、動物の痕跡を見つけるのが得意だったから。ムルチ(Мөрч)という獲物の痕跡をみつけ、ひたすら跡を追跡するというのが猟犬とかハンターのひとつの資質があるのですが、私はこのムルチ体質なんだそうです。
ちょっとした小枝が折れてる、とか地面が泥上にたまった落ち葉についた窪み、木の皮についた傷などから、どんな獲物がいつ、どんな状況でそのあたりを通ったか、といったことを感じるのが得意です。
ツァータン達の場合は、狩猟というのはもう旅であり合宿であり、1日、2日で終わるというものではないため、1度その動物が「いた」ということさえわかればひたすらその跡を追いかけ、あるいは獣道で待ち伏せしたり、巻き狩りのように追い込んだりして、獲物をしとめます。遊びではなく食料確保のためですから、ちょっとやそっとの困難であきらめたりはしません。

狩りの獲物=食料・現金収入源足りうる動物や鳥、魚などに恵まれるというのは、野生生物の生活環境をよい条件で維持し、共存共栄していることが大事です。
つまりは動物に愛されるためには、心地よい生活環境を共有しなくてはいけないんですね。

ツァータンだけでなく狩猟と遊牧を半々で営んでいるモンゴル北部のダルハド族、ブリヤート族なども共通で、未だにシャーマニズムが継承されている背景には、自然の声に真剣に耳を傾け、そのメッセージを尊重して暮らす、というライフスタイルが生存条件であるからだと思います。

都会にいると、なかなか自然の声が聞こえなくなってしまいがちですが、ウランバートルのような大気汚染にさらされた都会でも、日本でも、ちゃんと自然のメッセージは日々送られています。

鳩やカラス、オナガ、鴨、カイツブリ、すずめ、野良猫、野良犬、街路樹・・・
小さかったり、あまり目に付かない地味な野生生物たちが発するメッセージは、早朝はとても饒舌です。

人間同士のコミュニケーションも同じだと思うのですが、動物に好かれたいって思ったら、まずは相手の声に耳を傾け、共感することが先決。

私はそんな原則で動物たちとつきあい、相思相愛になっている、と思います。
新しい環境に足を踏み入れるときは、まずは自分の感覚アンテナを全開にして、自分を発するよりは、まず情報収集をしたいという感覚で探ります。

人間同士で相思相愛になるのはどうすればいいのか?と日々、悩み、困惑し、イラついたり、不安になったりしていますが、ほんとは、言葉や共通のボディアクションなどもあるわけだから、案外神経質にならずに自然体でいれば、うまくいったりするのかな・・・

ま、動物に好かれる人に悪人はいないっていいますから、基本、私はとってもいい人なんだと思います。

犬とか目があった瞬間にマウントしかけられたり、おなか出してゴロゴロ甘えられたりするし、王子の飛鳥山公園にいた孔雀は絶対にぶわーっと即座に羽を広げて見せびらかしてくれる。
宮島の鹿は、よばなくてもグイグイ集まってくる。(弁当目当てで貪欲になってるだけなのかも?)
インコやオウム、シジュウカラなどいわゆるペットには求愛行動をしめされる。

あった瞬間にこれだけ愛されている私なのに、なぜか意中の男性には、好意は示されても愛情全力投球みたいにぶつかってきてくれることがあんまりない・・・いや、あるのかな?

もうちょっとマジメに、かつ希望に満ち溢れて向き合えば、ヒト科のオスもおとせたりする?