一時帰国から戻ってきてからの1週間のウランバートルは日中は気温が+10℃前後、夜中は-5℃前後と、私にとっては一番動き回りやすい気候です。
先週は、日本で予定していた仕事を全部クリア。
タイムリミットを気にしながら動いた1週間でした。
そして気づいたのは、「制約」と「課題」というのは人が効率的に動くために有効である、ということ。
いまさらー・・・って感じですよね。
でも意識的に、外的制約との兼ね合いを考慮にいれてスケジュールを組んだのは久々だったのです。
そして、何が何でも、そのスケジュールをこなさないと今後に支障が生じる、という切羽詰った感を感じたのも久々だった。
モンゴルで一番時間を食うのは、「Waiting time」。
渋滞とか、約束したはずの人の遅刻とか、行列の順番待ちとか。
日本でももちろん「待ち時間」というのは生じるのですが、モンゴルではこの「待ち時間」を自分のスケジュールにどう組み込むか、が一日を気分よく、効率よく過ごせるかどうかの要。
例えば、税務申告は、いつもお願いしている税理士さんがいて、何をどうするか、はわかっているし、彼女がいなくても、書類を預かったり対応してくれるスタッフが事務所にいるし、「いつまでに」という締切を設定すれば、すぐに彼女から「締切と彼女のスケジュールの折り合い」についての報告が来る。
なので、中1日、と見ておけば大丈夫、とかわかるわけです。
締切5日前くらいに、税理士さんからリマインダーがありますしね。
で、税務署での納税証明書を取るのに2日もかかっちゃったけど・・・
これは、まぁ私が「たかをくくりすぎてた」っていうところもありました。
まさか、モンゴル人が「コンピューター制御で支配されて融通が利かない」なんて日が来るなんて、思っても見なかったのでwww
よくもわるくも、モンゴル人ってネゴシエーションで動くって思ってたのですが、情状酌量の余地がなくなったってことですね。
あと、順番待ち用の整理券発行機なんか設置されてて、自分がどの位待つことになるのか、ってことがある程度覚悟できるようになったのはよいことだと思いました。あきらめもつくしね。
「待ち時間」には、「会うべき相手の予測できない不在」という不可抗力も織り込む必要がある。
携帯電話が普及したといっても、特にお役所相手の場合、担当者が部屋に不在って場合でも、「今、どこですか?」とか「いつ、オフィスに戻りますか?」なんてきいても心象を悪くするだけ。
庶民にできるのは、ただひたすら待つことのみ。
ここでイライラしたりしないように、自分のお気に入りの本や教科書・テキストのように「自分磨き」時間として細切れ時間を使えるように、何かしら活字モノをかばんに忍ばせています。
「相手あわせ」って大事だな、って日本でリフレッシュして感じたのです。
日本で「相手あわせ」になることってあんまりないんだけれど、それは、日本人同士だと無意識・あるいは常識的に「相手の都合を考えて行動する」っていうマナーが浸透しているからかなあと思いました。
特に久々の日本だと、モンゴルペースになってしまってて、私がパキパキ行動できないこともよくあります。
そういうとき、周りの友人知人が私に気遣ってくれて、「私の心地よさ」を最優先してくれている、っていうところがあるのです。
で、この「心地よさ」への気遣いってとても嬉しいし、気持ちよくスムーズな人間関係を実感できる。
この「スムーズな人間関係の実感」って仕事をする上でも生活する上でも大事ですよね。
なので、日本でこの「大事」で「気持ちよい習慣」を味わって帰ってきてから1週間心がけていたのは、「制約」があるなかで、いかに「心地よく時間をすごすか」でした。
モンゴル人って「仕方ない」と「めんどくさい」を生活のここかしこにこびりつかせて暮らしています。
「効率悪いなぁ」って思ってても、「仕方ない」ってあきらめて、ずーっと待ち続けて、時間を無為に過ごす。
あるいは、「めんどくさい」ってあきらめて、待つこと自体をやめちゃう。
自分たちが諦めることに慣れちゃっているから、他人の「めんどくさい」とか「仕方ない」とかっていうネガティブ感情を伴う「無駄時間の発生の強制」に対しても、鈍感。
長年の習慣だし、こういう風潮の中でモンゴル社会は成り立っているのですから、このこと自体に、イライラしたり「モンゴル人は・・・」と批判的に受け止めて考えるのは、私達日本人にとっては、「精神的ストレス」以外にもたらされるものはなにもない。
私も長年、イライラしてきました。
「もっとこうすればいいのに!」ってこといっぱい目に付きました。
でも、「税務署でのPCオンライン制御で書類作成される」っていう極めてシステマティックで公正な対応に、「がっくし」となったのです。
PCオンライン制御によって、時間節約、システマティック、公正、という日本人的には理想的で効率的な状況が確立されたことによって、以前は、「担当者との交渉で情状酌量采配可」だったことができなくなった。
日本人のように時間効率を考えてスケジュールを上手に詰め込む段取りって、モンゴルでは機能しづらい。
キチキチに時間を詰め込まないというのは逆にいうと、「自分のための時間」や「余裕」を織り込んだ上でのスケジュールができるってことです。
自分のための「ゆとりスケジュール」と思って、ぶらぶら時間は、「自分のために与えられたギフト」と感謝すればいい。
タイムリミットぎりぎりになって、、、ってことはモンゴルでよくあるパターン。
で、ぎりぎりで「なんとかなる」あるいは「なんとかする」、あるいは「どうにもならずに開き直る」って3パターンでそのタイムリミットを迎えることになります。
でもね、どのパターンだったとしても、意外と、「So what?」って感じで、あんまり大勢に影響はないのです。
自分のベストを尽くした上で、「どうにもならない」ってこと、モンゴルではよくあります。
「あの人さえ、こうしてくれていたら・・・」とか
「あの役所の制度さえ、、、融通が利いてたら・・・」とか
「ぜんぜん他人の話を聞いてくれない」とか
挫折感に打ちのめされることもよくある。
でも、打ちのめされているのは自分だけなんですよね。。。
モンゴル人は「屁の河童」なのです。
タフというか鈍感というか・・・
でも、鈍感だったとしても、打ちのめされるよりはぜんぜんマシ。
「時間的制約」に対して、自分のチャレンジがどこまで通用したのか、っていう検証で十分です。
で、もっともっと余裕時間をもって次のチャレンジに挑めばいいだけなんだってこと。
「ベスト」って何?って自問自答をしてみる。
すると、案外、「自己ベスト」って役に立たないって気がしてくる。
「自分だけの話」でベストを尽くすのは当たり前のことだしね。
「プロジェクト」として他人とチームを組んで何かをやる場合は、「自己ベスト」ではなく「Team record」が「及第点かどうか」だし、こういうのって、「目標達成」っていうよりは、まずは「プロセスの評価検討」に重きをおいて、仕事に取り組むほうが、むしろ面白い。
「目標達成」って私はわりとムキになるタイプだから、周りがついてけなくなって、独走=暴走になっちゃうから、結局、「次につなげる」のが難しくなるのです。
自分が「自己ベスト」を達成するために、周囲のモンゴル人たちを振り回してしまうと、「次のチャレンジ」がしづらくなっちゃうのです。
パートナーとうまくいかなくなるし、周囲の人たちのモチベーション設定が難しくなる。
モンゴルでのビジネスは1年、1年の更新作業によって積み重なっていく。
それは、登記簿や経営許可、滞在許可の更新が1年ごとである以上、1年スパンでもろもろ検討しなきゃいけないし、そのたびに、法律改正とかいろんなことで制約を受けてドキドキする。
めんどくさい!って思っても、そのめんどくささをクリアしないと、次の扉を開くことができない。
ただ、「扉を開く」って私にとって、「仕事してる」って実感持てる作業なんだなって感じたのです。
今回は、全部自分で手続きに取り組んでいるから、特にそう思うのかもしれない。
「面倒くささ」や「やるせなさ」などを全部自分が受け止めているからで、これが弁護士さんにお金を払ってやってもらってたりしたら、「お金払ってるのに!」ってイライラしたかもしれません。
いろんな「面倒くささ」を背負うのも仕事の一部であるコーディネーターとして、今回、「自分のための手続き」のために、奔走してみたのはよかったことです。
毎年のことですが、「イライラ」や「やるせなさ」と「焦り」を、どう自分の仕事にプラス要素として転換していくか。
これは私の課題です。そして経験として大事なことです。
「待つ時間」が多いからこそ、私は「自分のための将来」を考えたりする一人だけの時間を持てるのです。
モンゴルで仕事をしたり、一人旅をしたりすると、「よくわからない待ち時間」が発生することがよくあります。
もったいない、とか自分の「ノルマ」や「目標」をこなせない、とイライラしちゃうことは仕方ない。
そう、仕方ないんだってことを受け止めてしまうと、周りに対して、イライラを発散したりぶつけたりしなくてすみます。
日本での暮らしはあまりにも効率的で、あんまり待ち時間を「自分時間」に転換できない。
でも、モンゴルだからこそ、こういう「無駄」が頻繁に生じるんだって思えば、逆にラッキーなことではないでしょうか?
だって、日本で働いているとき、私はしょっちゅう「プライベートタイムがない」ってぼやいていましたもん。
無駄時間になってしまった「ぽっかりWaiting time」に周囲をぐるりと眺めてみると、たくさんのモンゴル人がそれぞれに「待ち時間」を一緒にすごしているのが見えるのです。
彼らが何をしているのか、どんな風にすごしているのか、観察するのも面白いなぁ・・・
泰然自若でいっつも「マイペース」のモンゴル人を見ていると、ノルマに振り回されるのって、「自分の人生」で損してるって思えてきます。
モンゴルにいるっていうだけで「不可抗力的制約」なのだから、それ以上に、自分に厳しい限定条件を課して苦しむ必要はないかもしれませんね。
逆に、厳しい条件だからこそ、自分の創意工夫で、どれだけ「ゆとりをもって目標達成できる段取り」ができるか、を目標にして、取り組むことで、日本や世界のどっかに行ったときに、タフでおおらかなハッピーピープルとなれるかも?
イライラ環境の中で、ハッピーでいられる自分、になれたら、私はほんとに素敵なことだって思うようにしています。
先週は、日本で予定していた仕事を全部クリア。
タイムリミットを気にしながら動いた1週間でした。
そして気づいたのは、「制約」と「課題」というのは人が効率的に動くために有効である、ということ。
いまさらー・・・って感じですよね。
でも意識的に、外的制約との兼ね合いを考慮にいれてスケジュールを組んだのは久々だったのです。
そして、何が何でも、そのスケジュールをこなさないと今後に支障が生じる、という切羽詰った感を感じたのも久々だった。
モンゴルで一番時間を食うのは、「Waiting time」。
渋滞とか、約束したはずの人の遅刻とか、行列の順番待ちとか。
日本でももちろん「待ち時間」というのは生じるのですが、モンゴルではこの「待ち時間」を自分のスケジュールにどう組み込むか、が一日を気分よく、効率よく過ごせるかどうかの要。
例えば、税務申告は、いつもお願いしている税理士さんがいて、何をどうするか、はわかっているし、彼女がいなくても、書類を預かったり対応してくれるスタッフが事務所にいるし、「いつまでに」という締切を設定すれば、すぐに彼女から「締切と彼女のスケジュールの折り合い」についての報告が来る。
なので、中1日、と見ておけば大丈夫、とかわかるわけです。
締切5日前くらいに、税理士さんからリマインダーがありますしね。
で、税務署での納税証明書を取るのに2日もかかっちゃったけど・・・
これは、まぁ私が「たかをくくりすぎてた」っていうところもありました。
まさか、モンゴル人が「コンピューター制御で支配されて融通が利かない」なんて日が来るなんて、思っても見なかったのでwww
よくもわるくも、モンゴル人ってネゴシエーションで動くって思ってたのですが、情状酌量の余地がなくなったってことですね。
あと、順番待ち用の整理券発行機なんか設置されてて、自分がどの位待つことになるのか、ってことがある程度覚悟できるようになったのはよいことだと思いました。あきらめもつくしね。
「待ち時間」には、「会うべき相手の予測できない不在」という不可抗力も織り込む必要がある。
携帯電話が普及したといっても、特にお役所相手の場合、担当者が部屋に不在って場合でも、「今、どこですか?」とか「いつ、オフィスに戻りますか?」なんてきいても心象を悪くするだけ。
庶民にできるのは、ただひたすら待つことのみ。
ここでイライラしたりしないように、自分のお気に入りの本や教科書・テキストのように「自分磨き」時間として細切れ時間を使えるように、何かしら活字モノをかばんに忍ばせています。
「相手あわせ」って大事だな、って日本でリフレッシュして感じたのです。
日本で「相手あわせ」になることってあんまりないんだけれど、それは、日本人同士だと無意識・あるいは常識的に「相手の都合を考えて行動する」っていうマナーが浸透しているからかなあと思いました。
特に久々の日本だと、モンゴルペースになってしまってて、私がパキパキ行動できないこともよくあります。
そういうとき、周りの友人知人が私に気遣ってくれて、「私の心地よさ」を最優先してくれている、っていうところがあるのです。
で、この「心地よさ」への気遣いってとても嬉しいし、気持ちよくスムーズな人間関係を実感できる。
この「スムーズな人間関係の実感」って仕事をする上でも生活する上でも大事ですよね。
なので、日本でこの「大事」で「気持ちよい習慣」を味わって帰ってきてから1週間心がけていたのは、「制約」があるなかで、いかに「心地よく時間をすごすか」でした。
モンゴル人って「仕方ない」と「めんどくさい」を生活のここかしこにこびりつかせて暮らしています。
「効率悪いなぁ」って思ってても、「仕方ない」ってあきらめて、ずーっと待ち続けて、時間を無為に過ごす。
あるいは、「めんどくさい」ってあきらめて、待つこと自体をやめちゃう。
自分たちが諦めることに慣れちゃっているから、他人の「めんどくさい」とか「仕方ない」とかっていうネガティブ感情を伴う「無駄時間の発生の強制」に対しても、鈍感。
長年の習慣だし、こういう風潮の中でモンゴル社会は成り立っているのですから、このこと自体に、イライラしたり「モンゴル人は・・・」と批判的に受け止めて考えるのは、私達日本人にとっては、「精神的ストレス」以外にもたらされるものはなにもない。
私も長年、イライラしてきました。
「もっとこうすればいいのに!」ってこといっぱい目に付きました。
でも、「税務署でのPCオンライン制御で書類作成される」っていう極めてシステマティックで公正な対応に、「がっくし」となったのです。
PCオンライン制御によって、時間節約、システマティック、公正、という日本人的には理想的で効率的な状況が確立されたことによって、以前は、「担当者との交渉で情状酌量采配可」だったことができなくなった。
日本人のように時間効率を考えてスケジュールを上手に詰め込む段取りって、モンゴルでは機能しづらい。
キチキチに時間を詰め込まないというのは逆にいうと、「自分のための時間」や「余裕」を織り込んだ上でのスケジュールができるってことです。
自分のための「ゆとりスケジュール」と思って、ぶらぶら時間は、「自分のために与えられたギフト」と感謝すればいい。
タイムリミットぎりぎりになって、、、ってことはモンゴルでよくあるパターン。
で、ぎりぎりで「なんとかなる」あるいは「なんとかする」、あるいは「どうにもならずに開き直る」って3パターンでそのタイムリミットを迎えることになります。
でもね、どのパターンだったとしても、意外と、「So what?」って感じで、あんまり大勢に影響はないのです。
自分のベストを尽くした上で、「どうにもならない」ってこと、モンゴルではよくあります。
「あの人さえ、こうしてくれていたら・・・」とか
「あの役所の制度さえ、、、融通が利いてたら・・・」とか
「ぜんぜん他人の話を聞いてくれない」とか
挫折感に打ちのめされることもよくある。
でも、打ちのめされているのは自分だけなんですよね。。。
モンゴル人は「屁の河童」なのです。
タフというか鈍感というか・・・
でも、鈍感だったとしても、打ちのめされるよりはぜんぜんマシ。
「時間的制約」に対して、自分のチャレンジがどこまで通用したのか、っていう検証で十分です。
で、もっともっと余裕時間をもって次のチャレンジに挑めばいいだけなんだってこと。
「ベスト」って何?って自問自答をしてみる。
すると、案外、「自己ベスト」って役に立たないって気がしてくる。
「自分だけの話」でベストを尽くすのは当たり前のことだしね。
「プロジェクト」として他人とチームを組んで何かをやる場合は、「自己ベスト」ではなく「Team record」が「及第点かどうか」だし、こういうのって、「目標達成」っていうよりは、まずは「プロセスの評価検討」に重きをおいて、仕事に取り組むほうが、むしろ面白い。
「目標達成」って私はわりとムキになるタイプだから、周りがついてけなくなって、独走=暴走になっちゃうから、結局、「次につなげる」のが難しくなるのです。
自分が「自己ベスト」を達成するために、周囲のモンゴル人たちを振り回してしまうと、「次のチャレンジ」がしづらくなっちゃうのです。
パートナーとうまくいかなくなるし、周囲の人たちのモチベーション設定が難しくなる。
モンゴルでのビジネスは1年、1年の更新作業によって積み重なっていく。
それは、登記簿や経営許可、滞在許可の更新が1年ごとである以上、1年スパンでもろもろ検討しなきゃいけないし、そのたびに、法律改正とかいろんなことで制約を受けてドキドキする。
めんどくさい!って思っても、そのめんどくささをクリアしないと、次の扉を開くことができない。
ただ、「扉を開く」って私にとって、「仕事してる」って実感持てる作業なんだなって感じたのです。
今回は、全部自分で手続きに取り組んでいるから、特にそう思うのかもしれない。
「面倒くささ」や「やるせなさ」などを全部自分が受け止めているからで、これが弁護士さんにお金を払ってやってもらってたりしたら、「お金払ってるのに!」ってイライラしたかもしれません。
いろんな「面倒くささ」を背負うのも仕事の一部であるコーディネーターとして、今回、「自分のための手続き」のために、奔走してみたのはよかったことです。
毎年のことですが、「イライラ」や「やるせなさ」と「焦り」を、どう自分の仕事にプラス要素として転換していくか。
これは私の課題です。そして経験として大事なことです。
「待つ時間」が多いからこそ、私は「自分のための将来」を考えたりする一人だけの時間を持てるのです。
モンゴルで仕事をしたり、一人旅をしたりすると、「よくわからない待ち時間」が発生することがよくあります。
もったいない、とか自分の「ノルマ」や「目標」をこなせない、とイライラしちゃうことは仕方ない。
そう、仕方ないんだってことを受け止めてしまうと、周りに対して、イライラを発散したりぶつけたりしなくてすみます。
日本での暮らしはあまりにも効率的で、あんまり待ち時間を「自分時間」に転換できない。
でも、モンゴルだからこそ、こういう「無駄」が頻繁に生じるんだって思えば、逆にラッキーなことではないでしょうか?
だって、日本で働いているとき、私はしょっちゅう「プライベートタイムがない」ってぼやいていましたもん。
無駄時間になってしまった「ぽっかりWaiting time」に周囲をぐるりと眺めてみると、たくさんのモンゴル人がそれぞれに「待ち時間」を一緒にすごしているのが見えるのです。
彼らが何をしているのか、どんな風にすごしているのか、観察するのも面白いなぁ・・・
泰然自若でいっつも「マイペース」のモンゴル人を見ていると、ノルマに振り回されるのって、「自分の人生」で損してるって思えてきます。
モンゴルにいるっていうだけで「不可抗力的制約」なのだから、それ以上に、自分に厳しい限定条件を課して苦しむ必要はないかもしれませんね。
逆に、厳しい条件だからこそ、自分の創意工夫で、どれだけ「ゆとりをもって目標達成できる段取り」ができるか、を目標にして、取り組むことで、日本や世界のどっかに行ったときに、タフでおおらかなハッピーピープルとなれるかも?
イライラ環境の中で、ハッピーでいられる自分、になれたら、私はほんとに素敵なことだって思うようにしています。