そのニュースを知ったときは、「またか」と思ったり、「なんと悲惨な、残酷な」と思ったりしました。
せっかく無事に元気にこの世に産まれ出てきたのに、なんで親の都合で死ななきゃいかんかったの?と憤ったりもしました。
そのたんびに児童相談所の対応が槍玉にあがりますが、やっぱり本来、子供の養育義務は親権をもった大人にあるでしょう、と正論を吐いてみたり。
でも、もし、児童相談所のスタッフが、早とちり上等!とドアをぶちやぶるなり、テレビの刑事ドラマみたいに管理人さんにいって子供達が取り残された部屋をあけてもらってたら、、、とか。
ただ、その場で救えてもやっぱり子育て意欲が限界というかプッツン切れちゃってたら、同じことが繰り返されるのは時間の問題だったのか、、、とか。
少子化問題も深刻だとは思うんだけど、人一人育てるのも大変なわけで。
マジメで「いい母親にならなくっちゃ」って思いと、「同級生は皆、仕事や恋でキラキラしてるので、なんでアタシだけ・・・」って焦りというか不公平感みたいなのとの葛藤とかもあったんだろうなぁ。
でも、まさか下村早苗容疑者がアメブロガーだったとは思わんかったー。
一千万人を超える利用者がいるわけだから、中にはいろんな人がいるんだろうけれど。
昨日、2ちゃんねるで話題のニュースをピックアップして彼女のものと思われるアメブロのURLをゲットした。あらー、、、赤裸々でプライバシー丸出しの本音ブログ。
でも昨日の夜8時の段階では、なんと読者数は1人。
10以上の記事が更新されているブログで読者数が1人って初めて見たよ・・
それが今日は、読者数7人になってる。事件を知ってから読者登録したんですね。
そしてコメント数もすんごいことになっている。
彼女自身がこのブログを管理することはできていないから、最初からコメントも承認制ではなかったんでしょうね。
読者登録すらも承認制ではなかったのだろうことは、最初に唯一読者として登録されていたブログサイトが、ゴシップ系で、某アイドルが覚醒剤法違反かなにかの後に浅草のストリップ劇場で復活した舞台の写真つきレポみたいな記事だったことからもわかります。
そもそもが管理が苦手な人だったのだろうなぁ。
夫や子供へもフワフワと優しい愛を感じながら、人並な幸せを感じて、、、
でも、付き合い始めてから結婚までのスピードとかね、子供たちの父親が当時は学生で「できちゃった」を知ってすぐに大学を中退し就職し、結婚し、、、でも付き合い始めの頃から彼氏の実家に転がり込んで、、、というのは若いお母さん、お父さんにとってはほんとその場、その場のナリユキだったりもしたのだろうな、とおばちゃんは思ってしまうのでした。
言葉遣いが日本を遠く離れて、日常的にNHKの「正しい日本語」がメインで聞いている私にとっては、彼女の文章、よく理解できない。しょこたん語なんだろうか?
19歳で妊娠、二十歳になって1週間後にはママになって、、、
もっと若くしてママになってもうまく世の中をわたり、子供を育て、無事、ちょっと若いおばあちゃんになれてる人もいるとは思うのですが、娯楽があふれている、そしてお金がないとちょっと生きづらい日本でのヤンママって大変だ。
そしてこの「さな」さんが愛していた「なお」ちゃんはどこにいっちゃったんだろう?
最後の更新記事が、2008年4月23日00:56:36。
記事はとても短くて
「さなのHappy Diary (絵文字なんだけど、再現も解読もできないや・・・)」で
記事タイトルは「再開するっぺー」とある。
もう!
今日はほんとにほんとに腹立つことありました。
もうどうにでもなれい、ばかやろう!的な感じです。
また頭が痛くなってきたのでここでおわります。ばいきん★
でも、その後、どうなったのかわからない。
そして、ばいきん★(くろぼし)は誰のことなのか?
この吐き出すようなメッセージに昨日の夜8時の時点ではコメントはなく、、、そして、私たちは、彼女が置き去りにした子供2人の死亡をもって、「さなちゃん」のその後を知ることになるのでした。
今日、ふと見たら、コメント炎上状態でびっくりです。カノジョが読めるわけないのに・・・。
さて、私にとってはごくごく身近なモンゴルでの例。
乳飲み子を置き去りにしたことすら、「つい、うっかり」で、だんなから預かった1か月分の生活費に手をつけて友達と飲み歩いて一晩で使い切って、正気にもどって、「やばい、だんなに叱られる。家に帰れない」と生後6ヶ月でまだ乳離れしてない娘をほったらかしにしたまま、自分の実家に潜伏すること10日間、、、そのうち、金持ち韓国人をだまくらかして「再婚」するために、一家総出でだんなをこき下ろし、離婚裁判で夫を絶望のどん底に突き落として、親権をもぎとり、さらに、父親や兄に頼んで、子供を元妻の実家へと送り届けた元夫を3ヶ月以上寝たきりになるような半死半生のリンチにあわせ、そのくせ自分は金持ち韓国人との男遊びにふけり娘は放置、あるいは売春の手引きまでしちゃったりして、、、子育てらしきことは、かわいいピラピラのフリルやスパンコールがついた洋服を買い与えるぐらいで、幼稚園の送り迎えも小学校の宿題の面倒もみないでほったらかしで、偏食・少食魔王のワガママ娘に育った子供を甘やかし、ある日突然、空港まで連れて行って、「じゃ、ママはこれから韓国行くから。いつ帰れるかわからないけど元気でね、ベイビーちゃん」と置き去りにできる母親。
そして、娘は、両親の離婚で物心ついた3歳ぐらいで、仲良し家族だった環境を破壊され、そして、再び6歳になる直前で、母親に捨てられたことで、すっかり精神的にひっちゃぶれたことになっている。
必死に新しい環境に慣れようとすればするほど、事態は自分にとって思い通りにいかない不愉快なことになり、父親を独占しようとすれば、家庭が壊れる。
今日一日のことを思い出そうとすると、母親に「バイバイ」されたあの空港のことまで思い出される。
だから思い出すのをやめることにした。。。
今日学校で何を勉強したか、そんなことも忘れることにした。
6歳の女の子がこんな決意を無意識にしてしまうって哀しすぎる。
心はいつも「ママー、ママー」って叫んでる。でも、パパの手前、ママの話は厳禁。
パパが不愉快になるから。
そんな娘の苦悩も苦闘もおかまいなしに、母親は異国での出稼ぎの辛さにホームシックにかかると、娘に突然、短い電話をかけてくる。
そのくせ、何ヶ月も音信不通になる。
、、、下村容疑者との共通項を感じちゃうのですが、このとんでもはっぷんな女が、私が愛しながらも手をこまねいてうまく付き合えないでいる継子・子狐の母親です。
思わぬ縁で、自分の身近にも「絶望した」さなちゃん的なモンゴル女性が登場してしまったので、なんともやりきれない。
元気で生きていてくれさえすれば、虫歯だらけでも、多少偏食で少食でスナックとチョコ菓子ばっかり食べてるワガママ娘でも、それだけで嬉しい存在なのだ、と子狐を受け入れられるような、、、気もするけれど、やっぱり現実は厳しいからね。
生き延びるってことは日本ではそんなに難しくなさそうで、実際は、一部環境では子供にとっても親にとっても大変なんだろうな。
子供達のパパの「なお」ちゃんはどこ行っちゃったんだろう?
離婚して親権が母親が持つことになったから、といっても父親としての養育義務は子供が成人するまでは基本的にはあるはずなんだろうになぁ。。。きっと今頃、打ちひしがれていることでしょう。
子供が「できちゃった」ってことで即、大学中退を決意し、働いて、まだつきあって間もない「カノジョ」と子供を「養おう!」って決意できたお父さんの存在。
更新されなくなった「ほんとにほんとに腹たつこと」は「ほんとにほんとに深刻なこと」だったのかもしれませんね。
モンゴルでは離婚当時の子供の年齢が16歳以下の場合は、ほぼ母親に親権が認められます。
でも16歳までは養育義務は両親ともに生じます。
で、できちゃった子、というのは結婚してもしなくても、世間的には平等に扱われるから、日本のような「庶子」といった差別扱いはありません。
母親に親権がいったとからといって、父親の愛情がその時点で切れるってことではないってガナー君の子育て奮闘ぶりを見ていると思います。
実家の親兄弟姉妹のサポートがあってこそ、だとは思いましたが、ガナー君はまだ3歳になるやならぬや、ぐらいの幼い子狐を抱えて、必死で働き、幼稚園の送り迎えをし、オムツの洗濯やらパンツの洗濯やら、繕い物やらもしていました。
「あいのり」に出てた「ひきずり聖二」もびっくりなくらい、「あれだけひどい仕打ちをした元嫁によくもまぁ、これだけ未練を残せる・・・」と周囲が言葉も出ないくらいの愛情を持ってのストーカーをしてた時期もありました。
女性不振の塊で、何かあると、「女ってやつは」と憎悪で激情を抑えられなくなるガナー君に、私もあきれ果てたり、愛想を尽かしたくなったりしたこともあります。
親権を持っていかれ、そのくせ全然、子育てにかかる費用はビタ一文出すもんか!という徹底した元嫁たちの態度にめげることもなく、幼稚園、小学校でかかる全ての教育費、生活費を負担し続けています。
ウィークデーの子供の送り迎えや宿題の面倒は父親、週末の金曜日夕方に母親が引き取る、という不平等極まりない取り決めすらも、「ついうっかり、忘れて」守れなかった母親・女狐。
厳寒期は「寒いから」と携帯電話のメッセージひとつ「今日はアナタが引き取って、うちまで車で連れてきて」。そして、継母扱いされている私が-30℃を超える夕暮れ、30分余りも外で「その場駆け足」する私が継子・子狐をピックアップする羽目になっていた。
これってどうよ!!
でもね、子狐は母親がこの世一番好きなのです。パパのガナー君と同じくらい大好きなのです。
私がどれだけ愛情やら物質的供給やらをしたところで、やっぱり私を受け入れることは「実母に対する裏切り」になるからと拒否し続けるのです。
「パパと仲のよいおばちゃん」であるうちはいい。
「でも、ママになるならいらない」
それほどまでに子供の母親への愛情は深く、絶対的なものなのです。
父親・ガナー君もまた、私をそれなりに愛していてはいても、やっぱり子供が一番大事で、唯一守らねばならぬ存在なのです。
子狐は乳飲み子のとき、オッパイさえ飲んでいれば、夜泣きすることもなく、ずーっとスヤスヤ眠っている手のかからない子だったそうです。ガナー君・女狐・子狐の親子3人が平和で温かい、結束の固い家庭生活を送っていたわずか2年足らずの蜜月の思い出。
今の、ちょっとしたことで火がついたようにヒステリックに泣き喚く子狐からは想像できないけれど、それは、子供にとっても耐え難い環境の変化って奴に対する精一杯の抵抗であり生存本能のなせる業なんだろうな。
正直、子狐の親権が母親にあるならば、そのままそっとしておいて、私に子宝が恵まれるように私を大切に、がんばってよ!といいたいところです。
でも、子供が成長過程で必須である、親の愛情というものが注がれないことが明らかな環境に子供を委ねて、自分たちは「新しいチャレンジで子作りがんばりまーす」ってのもやっぱりできません。
子供の存在は厄介だなぁって、「後から来ちゃった」的な存在になってしまった私は思います。
焦る気持ちもないではないけれど、やっぱり、「子供が欲しい」と思ったからといって、そう簡単に出来ないっていうのも、「よく考えなさいませ」という天の啓示の気もします。
母子ともに健康な妊娠期間を過ごし、無事に出産するってことは、女性にとっては、命がけのチャレンジです。特にデブチンに肥大化したアラフォーにとっては、「超高齢リスク」を背負っての話になっちゃう。
20歳そこらのギャルな女の子が子供作ってママになるのも大変だけど、40歳そこらの熟女が初ママになるのも大変だってことです。
いずれにせよ、「私がママよ」と奮闘し、全身全霊の愛情を子供に注ぐことは大前提ではありますが、周囲の協力っていうのも子育てには必須ってことだと思います。
モンゴルも孤児院はあちこちに点在しています。
捨て子もあれば、親が育てられなくなってのシェルター的な使われ方もあります。
豊かな国でも経済的に「これから」の国でも、子育てって難しいのです。
きれいごとや当たり前の愛情だけじゃ子供は育てられないのです。
モンゴルでは子育て環境のハードさから、病気や怪我の医療的対処が日本ほどうまくできずに幼くして死んじゃうことも多いです。
社会主義時代は「子は国の宝」と、働くママも、バンバン子供を生んで、バンバン産休・育休(なんと3年間まるまる有給の育休だったんだって!)とって、子沢山だと国から勲章までもらえちゃって、保育園も幼稚園も学校も小学校から高等学校まで教育費がタダで、大学生は「奨学金」といって、一般職の勤労青年よりもずっと高額の給料がもらえちゃってました。
子供がいるのは女にとっては当然だったのです。
市場経済化になって、子供の世話どころじゃなくなったのは親だけでなく、国も一緒でした。
一応、公立の小学校は授業料タダ、となってはおりますが、教科書やテキストの一部は有料だし、学期ごとにあるイベントやらなにやらでお金がかかります。先生へのプレゼントとかもせねばならないし、親の負担も楽ではありません。
公立の学童保育制度があるわけではなく、子供の教育環境の格差は益々広がっています。
日本の友人の学童保育費などの話をきいて、なんとモンゴルよりも安いではないか!と愕然としてしまったこともあります。
子狐には、「あんたも大変ね」といってやりたいところですが、まだまだ継子・継母バトルは長引きそうな感じです。
私も腹をくくらなければいけないんだろうね。。。
とにかく、血のつながりに関わらず、社会的立場に関わらず、ひとたび「母になる」と決意したら、それは地獄の底に突き落とされたとしても「母親」という立場は放棄してはいかん意地と宿命として背負わねばならぬ、とびびっている今日この頃です。
それにしてもさなちゃんブログ、サイバーエージェントはいつまで「さらし」ておくのでしょうか?
とても残念なことはね、「さなちゃん」がブログを「再開」して、子育ての苦労とかシングルマザーの悩みとかもさらけ出す場として活用していたら、アメブロで大活躍中の同じような境遇のブロガーさん達と一緒にがんばれていたような気もする。
子育ての悩み相談ブログとか、シングルマザーの起業とか、いろんな女性がほんとに軽やかにたくましく奮闘し、活躍してる人アメブロガーが増えてきたのは、さなちゃんがブログをやめちゃった2008年後半以降な気がします。だからこそ、残念。
ブログ、あきらめなかったら、光が見えてたかもしれないのに・・・
誰かとつながれたかもしれないのに・・・
私は、下村容疑者の事件背景みたいに日本のマスコミで報道されているホスト狂いも育児放棄もあんまりビックリすることではないと思っています。ただ、下村容疑者は寂しかっただけなんだと。
誰か、自分がよりかかれる人が欲しくて、欲しくてしかたなかったんだと。
寂しさ、孤独感って人を残酷な狂気に突き落とすから。
とりあえず、自分がそういう孤独ゆえの鬼女にならぬように、明るく、元気に、そして現実を温かく、前向きに受け止められる自分でいられるように奮闘するしかないな、と思うのです。
そして、周囲とのコミュニケーションは大事です。子育てってどうしても母VS子のガチ勝負になって、閉鎖的になりがちだからこそ、周囲の家族とか友達とかコミュニティが積極的にママと繋がり協力体制を作る努力をしないとね。
「さなのHappy Diary」を私も野次馬根性で、全記事読破しちゃったのですが、事件の容疑者だとしても、やっぱり、普通の女の子だったんだ、としか思えません。
一生懸命、ささやかな幸せをつかもうとして、どこかでナニカを踏み外しちゃった孤独な女の子。
でも、母となったという宿命を背負いきれなかったことこそが、カノジョと子供たちの最大の悲劇だったのだと思います。
二人の子供達に心からの冥福を祈ります。
この「さなちゃん」が起こしたような育児放棄、虐待など大人・肉親によって引き起こされる子供に対する残虐な行為は、これが初めてじゃないし、最後じゃないかもしれない。
でも、未熟な親の子育ての失敗、とか、無責任な親のせいで、とバッサリ切り捨てるんじゃなく、彼女は彼女できちんと司法の場で裁かれ、罰を受けるべきですが、「子供は国の宝」、「人の命は地球よりも重い」という言い古された言葉を今一度見直して、社会全体が子供をはぐくみ、守り、いつくしんでいけるような国づくりを、行政も教育や保育の場、市民が協力しあって検討してほしいです。
せっかく無事に元気にこの世に産まれ出てきたのに、なんで親の都合で死ななきゃいかんかったの?と憤ったりもしました。
そのたんびに児童相談所の対応が槍玉にあがりますが、やっぱり本来、子供の養育義務は親権をもった大人にあるでしょう、と正論を吐いてみたり。
でも、もし、児童相談所のスタッフが、早とちり上等!とドアをぶちやぶるなり、テレビの刑事ドラマみたいに管理人さんにいって子供達が取り残された部屋をあけてもらってたら、、、とか。
ただ、その場で救えてもやっぱり子育て意欲が限界というかプッツン切れちゃってたら、同じことが繰り返されるのは時間の問題だったのか、、、とか。
少子化問題も深刻だとは思うんだけど、人一人育てるのも大変なわけで。
マジメで「いい母親にならなくっちゃ」って思いと、「同級生は皆、仕事や恋でキラキラしてるので、なんでアタシだけ・・・」って焦りというか不公平感みたいなのとの葛藤とかもあったんだろうなぁ。
でも、まさか下村早苗容疑者がアメブロガーだったとは思わんかったー。
一千万人を超える利用者がいるわけだから、中にはいろんな人がいるんだろうけれど。
昨日、2ちゃんねるで話題のニュースをピックアップして彼女のものと思われるアメブロのURLをゲットした。あらー、、、赤裸々でプライバシー丸出しの本音ブログ。
でも昨日の夜8時の段階では、なんと読者数は1人。
10以上の記事が更新されているブログで読者数が1人って初めて見たよ・・
それが今日は、読者数7人になってる。事件を知ってから読者登録したんですね。
そしてコメント数もすんごいことになっている。
彼女自身がこのブログを管理することはできていないから、最初からコメントも承認制ではなかったんでしょうね。
読者登録すらも承認制ではなかったのだろうことは、最初に唯一読者として登録されていたブログサイトが、ゴシップ系で、某アイドルが覚醒剤法違反かなにかの後に浅草のストリップ劇場で復活した舞台の写真つきレポみたいな記事だったことからもわかります。
そもそもが管理が苦手な人だったのだろうなぁ。
夫や子供へもフワフワと優しい愛を感じながら、人並な幸せを感じて、、、
でも、付き合い始めてから結婚までのスピードとかね、子供たちの父親が当時は学生で「できちゃった」を知ってすぐに大学を中退し就職し、結婚し、、、でも付き合い始めの頃から彼氏の実家に転がり込んで、、、というのは若いお母さん、お父さんにとってはほんとその場、その場のナリユキだったりもしたのだろうな、とおばちゃんは思ってしまうのでした。
言葉遣いが日本を遠く離れて、日常的にNHKの「正しい日本語」がメインで聞いている私にとっては、彼女の文章、よく理解できない。しょこたん語なんだろうか?
19歳で妊娠、二十歳になって1週間後にはママになって、、、
もっと若くしてママになってもうまく世の中をわたり、子供を育て、無事、ちょっと若いおばあちゃんになれてる人もいるとは思うのですが、娯楽があふれている、そしてお金がないとちょっと生きづらい日本でのヤンママって大変だ。
そしてこの「さな」さんが愛していた「なお」ちゃんはどこにいっちゃったんだろう?
最後の更新記事が、2008年4月23日00:56:36。
記事はとても短くて
「さなのHappy Diary (絵文字なんだけど、再現も解読もできないや・・・)」で
記事タイトルは「再開するっぺー」とある。
もう!
今日はほんとにほんとに腹立つことありました。
もうどうにでもなれい、ばかやろう!的な感じです。
また頭が痛くなってきたのでここでおわります。ばいきん★
でも、その後、どうなったのかわからない。
そして、ばいきん★(くろぼし)は誰のことなのか?
この吐き出すようなメッセージに昨日の夜8時の時点ではコメントはなく、、、そして、私たちは、彼女が置き去りにした子供2人の死亡をもって、「さなちゃん」のその後を知ることになるのでした。
今日、ふと見たら、コメント炎上状態でびっくりです。カノジョが読めるわけないのに・・・。
さて、私にとってはごくごく身近なモンゴルでの例。
乳飲み子を置き去りにしたことすら、「つい、うっかり」で、だんなから預かった1か月分の生活費に手をつけて友達と飲み歩いて一晩で使い切って、正気にもどって、「やばい、だんなに叱られる。家に帰れない」と生後6ヶ月でまだ乳離れしてない娘をほったらかしにしたまま、自分の実家に潜伏すること10日間、、、そのうち、金持ち韓国人をだまくらかして「再婚」するために、一家総出でだんなをこき下ろし、離婚裁判で夫を絶望のどん底に突き落として、親権をもぎとり、さらに、父親や兄に頼んで、子供を元妻の実家へと送り届けた元夫を3ヶ月以上寝たきりになるような半死半生のリンチにあわせ、そのくせ自分は金持ち韓国人との男遊びにふけり娘は放置、あるいは売春の手引きまでしちゃったりして、、、子育てらしきことは、かわいいピラピラのフリルやスパンコールがついた洋服を買い与えるぐらいで、幼稚園の送り迎えも小学校の宿題の面倒もみないでほったらかしで、偏食・少食魔王のワガママ娘に育った子供を甘やかし、ある日突然、空港まで連れて行って、「じゃ、ママはこれから韓国行くから。いつ帰れるかわからないけど元気でね、ベイビーちゃん」と置き去りにできる母親。
そして、娘は、両親の離婚で物心ついた3歳ぐらいで、仲良し家族だった環境を破壊され、そして、再び6歳になる直前で、母親に捨てられたことで、すっかり精神的にひっちゃぶれたことになっている。
必死に新しい環境に慣れようとすればするほど、事態は自分にとって思い通りにいかない不愉快なことになり、父親を独占しようとすれば、家庭が壊れる。
今日一日のことを思い出そうとすると、母親に「バイバイ」されたあの空港のことまで思い出される。
だから思い出すのをやめることにした。。。
今日学校で何を勉強したか、そんなことも忘れることにした。
6歳の女の子がこんな決意を無意識にしてしまうって哀しすぎる。
心はいつも「ママー、ママー」って叫んでる。でも、パパの手前、ママの話は厳禁。
パパが不愉快になるから。
そんな娘の苦悩も苦闘もおかまいなしに、母親は異国での出稼ぎの辛さにホームシックにかかると、娘に突然、短い電話をかけてくる。
そのくせ、何ヶ月も音信不通になる。
、、、下村容疑者との共通項を感じちゃうのですが、このとんでもはっぷんな女が、私が愛しながらも手をこまねいてうまく付き合えないでいる継子・子狐の母親です。
思わぬ縁で、自分の身近にも「絶望した」さなちゃん的なモンゴル女性が登場してしまったので、なんともやりきれない。
元気で生きていてくれさえすれば、虫歯だらけでも、多少偏食で少食でスナックとチョコ菓子ばっかり食べてるワガママ娘でも、それだけで嬉しい存在なのだ、と子狐を受け入れられるような、、、気もするけれど、やっぱり現実は厳しいからね。
生き延びるってことは日本ではそんなに難しくなさそうで、実際は、一部環境では子供にとっても親にとっても大変なんだろうな。
子供達のパパの「なお」ちゃんはどこ行っちゃったんだろう?
離婚して親権が母親が持つことになったから、といっても父親としての養育義務は子供が成人するまでは基本的にはあるはずなんだろうになぁ。。。きっと今頃、打ちひしがれていることでしょう。
子供が「できちゃった」ってことで即、大学中退を決意し、働いて、まだつきあって間もない「カノジョ」と子供を「養おう!」って決意できたお父さんの存在。
更新されなくなった「ほんとにほんとに腹たつこと」は「ほんとにほんとに深刻なこと」だったのかもしれませんね。
モンゴルでは離婚当時の子供の年齢が16歳以下の場合は、ほぼ母親に親権が認められます。
でも16歳までは養育義務は両親ともに生じます。
で、できちゃった子、というのは結婚してもしなくても、世間的には平等に扱われるから、日本のような「庶子」といった差別扱いはありません。
母親に親権がいったとからといって、父親の愛情がその時点で切れるってことではないってガナー君の子育て奮闘ぶりを見ていると思います。
実家の親兄弟姉妹のサポートがあってこそ、だとは思いましたが、ガナー君はまだ3歳になるやならぬや、ぐらいの幼い子狐を抱えて、必死で働き、幼稚園の送り迎えをし、オムツの洗濯やらパンツの洗濯やら、繕い物やらもしていました。
「あいのり」に出てた「ひきずり聖二」もびっくりなくらい、「あれだけひどい仕打ちをした元嫁によくもまぁ、これだけ未練を残せる・・・」と周囲が言葉も出ないくらいの愛情を持ってのストーカーをしてた時期もありました。
女性不振の塊で、何かあると、「女ってやつは」と憎悪で激情を抑えられなくなるガナー君に、私もあきれ果てたり、愛想を尽かしたくなったりしたこともあります。
親権を持っていかれ、そのくせ全然、子育てにかかる費用はビタ一文出すもんか!という徹底した元嫁たちの態度にめげることもなく、幼稚園、小学校でかかる全ての教育費、生活費を負担し続けています。
ウィークデーの子供の送り迎えや宿題の面倒は父親、週末の金曜日夕方に母親が引き取る、という不平等極まりない取り決めすらも、「ついうっかり、忘れて」守れなかった母親・女狐。
厳寒期は「寒いから」と携帯電話のメッセージひとつ「今日はアナタが引き取って、うちまで車で連れてきて」。そして、継母扱いされている私が-30℃を超える夕暮れ、30分余りも外で「その場駆け足」する私が継子・子狐をピックアップする羽目になっていた。
これってどうよ!!
でもね、子狐は母親がこの世一番好きなのです。パパのガナー君と同じくらい大好きなのです。
私がどれだけ愛情やら物質的供給やらをしたところで、やっぱり私を受け入れることは「実母に対する裏切り」になるからと拒否し続けるのです。
「パパと仲のよいおばちゃん」であるうちはいい。
「でも、ママになるならいらない」
それほどまでに子供の母親への愛情は深く、絶対的なものなのです。
父親・ガナー君もまた、私をそれなりに愛していてはいても、やっぱり子供が一番大事で、唯一守らねばならぬ存在なのです。
子狐は乳飲み子のとき、オッパイさえ飲んでいれば、夜泣きすることもなく、ずーっとスヤスヤ眠っている手のかからない子だったそうです。ガナー君・女狐・子狐の親子3人が平和で温かい、結束の固い家庭生活を送っていたわずか2年足らずの蜜月の思い出。
今の、ちょっとしたことで火がついたようにヒステリックに泣き喚く子狐からは想像できないけれど、それは、子供にとっても耐え難い環境の変化って奴に対する精一杯の抵抗であり生存本能のなせる業なんだろうな。
正直、子狐の親権が母親にあるならば、そのままそっとしておいて、私に子宝が恵まれるように私を大切に、がんばってよ!といいたいところです。
でも、子供が成長過程で必須である、親の愛情というものが注がれないことが明らかな環境に子供を委ねて、自分たちは「新しいチャレンジで子作りがんばりまーす」ってのもやっぱりできません。
子供の存在は厄介だなぁって、「後から来ちゃった」的な存在になってしまった私は思います。
焦る気持ちもないではないけれど、やっぱり、「子供が欲しい」と思ったからといって、そう簡単に出来ないっていうのも、「よく考えなさいませ」という天の啓示の気もします。
母子ともに健康な妊娠期間を過ごし、無事に出産するってことは、女性にとっては、命がけのチャレンジです。特にデブチンに肥大化したアラフォーにとっては、「超高齢リスク」を背負っての話になっちゃう。
20歳そこらのギャルな女の子が子供作ってママになるのも大変だけど、40歳そこらの熟女が初ママになるのも大変だってことです。
いずれにせよ、「私がママよ」と奮闘し、全身全霊の愛情を子供に注ぐことは大前提ではありますが、周囲の協力っていうのも子育てには必須ってことだと思います。
モンゴルも孤児院はあちこちに点在しています。
捨て子もあれば、親が育てられなくなってのシェルター的な使われ方もあります。
豊かな国でも経済的に「これから」の国でも、子育てって難しいのです。
きれいごとや当たり前の愛情だけじゃ子供は育てられないのです。
モンゴルでは子育て環境のハードさから、病気や怪我の医療的対処が日本ほどうまくできずに幼くして死んじゃうことも多いです。
社会主義時代は「子は国の宝」と、働くママも、バンバン子供を生んで、バンバン産休・育休(なんと3年間まるまる有給の育休だったんだって!)とって、子沢山だと国から勲章までもらえちゃって、保育園も幼稚園も学校も小学校から高等学校まで教育費がタダで、大学生は「奨学金」といって、一般職の勤労青年よりもずっと高額の給料がもらえちゃってました。
子供がいるのは女にとっては当然だったのです。
市場経済化になって、子供の世話どころじゃなくなったのは親だけでなく、国も一緒でした。
一応、公立の小学校は授業料タダ、となってはおりますが、教科書やテキストの一部は有料だし、学期ごとにあるイベントやらなにやらでお金がかかります。先生へのプレゼントとかもせねばならないし、親の負担も楽ではありません。
公立の学童保育制度があるわけではなく、子供の教育環境の格差は益々広がっています。
日本の友人の学童保育費などの話をきいて、なんとモンゴルよりも安いではないか!と愕然としてしまったこともあります。
子狐には、「あんたも大変ね」といってやりたいところですが、まだまだ継子・継母バトルは長引きそうな感じです。
私も腹をくくらなければいけないんだろうね。。。
とにかく、血のつながりに関わらず、社会的立場に関わらず、ひとたび「母になる」と決意したら、それは地獄の底に突き落とされたとしても「母親」という立場は放棄してはいかん意地と宿命として背負わねばならぬ、とびびっている今日この頃です。
それにしてもさなちゃんブログ、サイバーエージェントはいつまで「さらし」ておくのでしょうか?
とても残念なことはね、「さなちゃん」がブログを「再開」して、子育ての苦労とかシングルマザーの悩みとかもさらけ出す場として活用していたら、アメブロで大活躍中の同じような境遇のブロガーさん達と一緒にがんばれていたような気もする。
子育ての悩み相談ブログとか、シングルマザーの起業とか、いろんな女性がほんとに軽やかにたくましく奮闘し、活躍してる人アメブロガーが増えてきたのは、さなちゃんがブログをやめちゃった2008年後半以降な気がします。だからこそ、残念。
ブログ、あきらめなかったら、光が見えてたかもしれないのに・・・
誰かとつながれたかもしれないのに・・・
私は、下村容疑者の事件背景みたいに日本のマスコミで報道されているホスト狂いも育児放棄もあんまりビックリすることではないと思っています。ただ、下村容疑者は寂しかっただけなんだと。
誰か、自分がよりかかれる人が欲しくて、欲しくてしかたなかったんだと。
寂しさ、孤独感って人を残酷な狂気に突き落とすから。
とりあえず、自分がそういう孤独ゆえの鬼女にならぬように、明るく、元気に、そして現実を温かく、前向きに受け止められる自分でいられるように奮闘するしかないな、と思うのです。
そして、周囲とのコミュニケーションは大事です。子育てってどうしても母VS子のガチ勝負になって、閉鎖的になりがちだからこそ、周囲の家族とか友達とかコミュニティが積極的にママと繋がり協力体制を作る努力をしないとね。
「さなのHappy Diary」を私も野次馬根性で、全記事読破しちゃったのですが、事件の容疑者だとしても、やっぱり、普通の女の子だったんだ、としか思えません。
一生懸命、ささやかな幸せをつかもうとして、どこかでナニカを踏み外しちゃった孤独な女の子。
でも、母となったという宿命を背負いきれなかったことこそが、カノジョと子供たちの最大の悲劇だったのだと思います。
二人の子供達に心からの冥福を祈ります。
この「さなちゃん」が起こしたような育児放棄、虐待など大人・肉親によって引き起こされる子供に対する残虐な行為は、これが初めてじゃないし、最後じゃないかもしれない。
でも、未熟な親の子育ての失敗、とか、無責任な親のせいで、とバッサリ切り捨てるんじゃなく、彼女は彼女できちんと司法の場で裁かれ、罰を受けるべきですが、「子供は国の宝」、「人の命は地球よりも重い」という言い古された言葉を今一度見直して、社会全体が子供をはぐくみ、守り、いつくしんでいけるような国づくりを、行政も教育や保育の場、市民が協力しあって検討してほしいです。