ドラえもんの道具、ひとつだけもらえるならどれ? ブログネタ:ドラえもんの道具、ひとつだけもらえるならどれ? 参加中
ウランバートルに帰って2日目。暑いっす。暑い上に、予想外に今回のジープ旅の心身へのダメージがひどくって、ぐったりです。
日本も暑いそうですね。。。

あー、フブスグルに戻りたい。ダルハド盆地が恋しいよぉ。
あともうちょっと北に行ってくれたら、ツァータンの皆にも会えたのになぁ。

去年の10月からずーーーーーーーっと仕事続きで、休み!ってほどに精神的に休める日がないまま現在に至り、かなり「あー、自分はもうおばちゃんと呼ばれても文句が言えない人になっている」と落ち込み気味です。

ひょいっと、日本に帰って、東横線に飛び乗り、学芸大駅前で下車し、とっとっとーと歩いて40秒。お気に入りのバロック喫茶「平均律」に立ち寄って、えりさ姐さん特製のプリンをほおばりながら、おしゃれなシャンパングラスにはいったウィンナコーヒーを飲んだりしながら、えりささんや常連のあやややチー坊、ゆかり姐さん達とおしゃべりできたら、それだけで元気になれるのになぁ。

あと三味線ボーイのケンタ君にハグハグしてもらって、地平線会議の仲間と一緒に「北京」で餃子を食べて、、、あ、そうそうウルフィーと田中夫妻に会いに八ヶ岳南山麓にもいきたいなぁ。

そろそろ福島は奥会津の伊南村のわかおかみ・ふみちゃんとも再会したい。

沖縄は浜比嘉島までいって、はるみちゃんやのぼるさんにお会いしてですね、ちゅらうみファームでヤギとかヨナクニウマとかとスキンシップして、きれいな海で泳いで、島の人たちと交流して、、、

それから北海道ですね。江別にあるログハウス喫茶「ビッグフォレスト」でマスターとやしちゃんとたかはしさんとあって、でっかーいラムステーキをかっくらってですね、でっかい柱時計みたいな水出しコーヒー(ダッチコーヒー)をぐびぐびいただいて、、、

あー、できたらアメリカ合衆国まで足を伸ばしてカンザスにも帰りたいしなぁ、、、もう20年以上帰ってません。ごめんなさい。

あ、そっか、南米も行きたいな。中南米はグァテマラには、元モンゴル観光SV隊員だったかばおさんがいるもんね。あそこの布、すごい興味ある。

そう、今求めているのは、仲間との再会です。

私を全面的に好意的に受け入れてくれる仲間の愛情に飢えています。
自分の中の愛情が枯渇状態で、ガナー君ともギッスギスでせっかく苦労をともにしながら偉業を成し遂げたというのに、早速大喧嘩で絶縁状ををたたきつけられて落ち込んでいるのです。

えー、それもこれも自分の口の悪さが原因ってところもあるのです。
よせばいいのに、余計な一言言っちゃうからなのよ・・・

だってだって、モンゴルだってサービス向上はしたほうがいいと思うんだもん。
日本のサービスが過剰すぎるっていうのも、まぁ否定はできないけれど、それにしてもガナー君、サービス精神とかおもてなしの心とかデリカシーとか全然無いんだもん!!

ないものねだりをしても仕方が無いのですが、やっぱり女子としてはいくつになっても、可愛がってくれる人の愛情とか大きな手とか、ぎゅっていう強いハグとか必要なんです。

なので、、、ドラえもん様が夏休み特別企画でプレゼントを下さるというのならば、子供の頃から高校生までの間で、「ドラえもん」の小学館コミックは全巻新刊購読していた私は立派に愛読者としてプレゼントをいただける資格はあると想うのです。

なので、多くは望みません。
「どこでもドア」ひとつください。

それがあったら、私今みたいに、モンゴルでストレスフルに暮らしてギスギスしたりすることもないと思います。

海外で暮らし、働くという選択肢は私自身が決定したものであり、それを貫いていることに後悔はありません。むしろ、このままうまいこと仕事とのご縁が途切れず、モンゴルの発展に微力なりとも貢献できたり、モンゴルならではの原自然の保護や保全を軸にした異文化交流の要になれたらいいなぁ、と心から望んでいます。

でもね、やっぱり日本という故郷も忘れがたい、よいものなのですよ。

モンゴル人に宴会の席で乞われて日本の歌を歌うときは、やっぱり一番ウケルのが「故郷」です。
モンゴル人も「ミニィ ノタグ」(私の故郷)というのをとりわけ大事にしている人たちなので、歌詞の意味はわからずとも、その旋律にこめられた故郷への限りない愛はしっかり伝わるんでしょうね。

特に三番が好きです。

「志を果たして、いつの日にか帰らん。」
もうこのフレーズで私の胸は万感の思いに咽ぶのです。

でも、いつの日にか帰らん、なんて気張らんでも、私はマルチビザを持っているし、会社も対して商売商売と仕事に追われているわけでもないので、タイミングと資金の都合さえ会えばいつだって帰れるのです。

ただ、タイミングと資金の都合をあわせるのが大変ってだけで、予定よりもずるずる、ずるずると延びて冬、春の充電が全くできないままなのです。

どこでもドアがあったら、タイミングも関係ありません。
それこそ、いつでもどこでもです。

なんならうちのベランダのドアのひとつをどこでもドアにしておいたっていいくらいだ。

自分がどこへでもいけるっていうのも素敵ですが、どこでもドアは、「裏」と「表」両面からの往来が可能なのですから、実家につけておけば、モンゴル文学を学んでいる乗馬大好き永遠の乙女である母もいつでも気軽に乗馬をしにモンゴルに来ることができるようになるのです。

モンゴルの旅行ってまず航空運賃が高い!っていう点もありますが、ほんとに素敵な人たちが素敵な遊牧生活を素晴らしい原自然環境の中で送っている場所まで行くには、とてつもない苦行ともいえる車移動を強いられるという問題があります。私はオフロードゆえにモンゴルの旅を楽しんでいますが、日本の観光旅行者のニーズからすると、モンゴルのオフロードはどうやら「道なき道を行っている」ぐらいのハードさならしいのです。「道なき道」っていっても立派な道だと私には見えるのですが、なかなか日本人とこの「道」という感覚を共有してもらうのは難しいみたい。

で、5泊6日、7泊8日が精一杯、というちゃんと旅行先でお金を落としてくれる旅行者層は、すっかりリゾート化、観光客ズレしちゃったようなところばっかりいってしまい、せっかくのエコツアー、コミュニティベースツアーのチャンスが一極集中的になってしまい地方格差がさらに広がっちゃってるのも致し方ない状況。

どこでもドアさえできれば、私の大好きなフブスグルのツァータンやバヤンウルギー、オブス、ゴビアルタイ、ドルノド、スフバートル、南ゴビ、バヤンホンゴルなどなかなか観光地としては発展してないけれど、観光資源が豊富で魅力的な人たちが暮らしている場所をご案内できるのです。

日本の平均寿命は女性は86歳を超え世界第一位、男性も世界第5位に食い込んでいるそうですね。
日本の高齢者の特徴のひとつとして、元気はつらつでやる気満々チャレンジ精神に満ち溢れたガッツのあるお年寄りが多いってことだと思います。

70過ぎても海外旅行ひょいひょい行ってらっしゃる方、多いですものね。

ですから、どこでもドアが普及したら、見聞を広めたいというやる気に満ち溢れた日本人がますます元気になってはつらつとした後期高齢者として暮らしていけるようになると想うんですね。
そうすれば、平均寿命100歳突破の夢じゃないし、クオリティオブライフの点でもすっごいと思います。



それに家族の看病や介護にしばられて、自分の楽しみを犠牲にしている人たちにも、1泊2日の海外旅行のリフレッシュのチャンスが得られるのです。重病人でも歩けるし旅もしたい、という人がいたら、一時帰宅の代わりにどこでもドアを使って好きなところに一瞬でも旅に行けたら、すごく元気パワーが充填されると想うのです。そして、容態が急変したらすぐにお医者様のところに駆けつけられるようになってる。完全な安全対策もとれます。

どこでもドアの発想は人を自由にしてくれます。

タイムマシンをつかうと歴史が変わっちゃうとかいろいろ複雑なことになりますが、どこでもドアにはそういうコンフリクトは一切ありません。

暑くて寝苦しい夜は、どこか地球の反対側の素敵な春の夜空を眺めながら野宿したくなります。
寒さに凍える夜は、日本にちょろっと帰ってコタツでみかんを食べながら実家の家族団欒のぬくもりを味わいたい。

飛行機とかインターネットとか世の中便利になってきているけれど、ほんとのほんとに便利に、距離感やタイムラグを解消するためには、どこでもドアが必須です。

日本の会社の多くで「単身赴任」という家族が会社の仕事のためにバラバラに暮らさなければいけない、という状況が生じています。いくら心で繋がっている、といっても、やっぱり男性が単身赴任で独り暮らしっていうのはいろんな誘惑や不便があります。残された奥さんや子供さんだってさびしい思いもするでしょう。そもそも家族って何?みたいな根本的な疑問がわいてきちゃったりすることもあると想うのです。遠距離恋愛だって同様。

心と理屈だけでは解決できない心の温もりを本当に実感したいという切望を、どこでもドアは解決してくれるのです。単身赴任といったって、夜は家族と一緒にいられる。辛いって恋人が泣いているときはどこでもドアをひょいと開けて、慰めにいける。

そういうことって大事です。言葉だけじゃ癒しきれないこともあるのです。

今日はそんな温もりと優しいコーヒーの香りが欲しくて欲しくて泣きそうです。
旅とか冒険とかそんなことじゃなく、海外在住者は、故郷と背中合わせでいつも暮らしているんです。

だから、だからどこでもドア、早く開発してください。