モンゴルで会社を経営、あるいは合弁会社などの形でモンゴルの企業に参画していたり、親しいモンゴル人に投資をしていらっしゃる方もずいぶんいらっしゃいます。

特に、世界的にも注目の集まっているウラン鉱脈や、タワントルゴイ、オユートルゴイといった戦略的経済鉱区も国際契約批准以降、かなりホットな投機対象になっていく模様。

遊牧の国、牧畜⇒カシミア原産国っていうイメージが強いモンゴル国ですが、意外にも遊牧民自体は全人口のわずか25%を占めているだけ。

カシミア・カシミア製品が国の重要な外貨収入源であることはもちろんですが、それ以上にレアメタルでドカーンと稼いでいます。

今年から本格的に経済鉱区の鉱山開発・調査が始まるので、2-3年後くらいには、民主化・市場経済化以降、ずーっと下落曲線を描いている現地通貨トゥグルグがぐぐぐぐぐーっと力をつけ、為替相場に大きな変動があるかも?という手ごたえがあります。

国内企業でも、年間配当20-25%、1万ドル単位からの個人投資の広告なども新聞で連日バンバン出てたり。

「お、こりゃ、儲かるかもー?」ということで、日本からも銀行・証券会社等の金融機関経由での投資を検討していらっしゃる方も増えることでしょう。

また、当ブログでもコメントやメッセージを通じて、ロシア連邦で右ハンドル車規制などでだぶついている日本の中古車輸出業等での進出をご検討、あるいは実際に合弁会社や日系企業としてモンゴルでご活躍の方も多く、また興味をお持ちの方も多いのだなぁ、と実感する今日この頃です。

日本に一時帰国してちょっと地方の中古車販売店や中古車オークションなどをのぞいてみたりすると、ほんとびっくりするくらい安いんですね、きれいな車たちが。

日本に長期留学・就職・在住していたり、日本人と恋愛関係があったり、国際結婚したりとある程度まとまった資金を持ってモンゴルに戻ってくるモンゴル人や、モンゴル人やモンゴルに恋して、この国で暮らそう!って思った人が真っ先に始めるビジネスとしても、日本車の中古車・部品輸入販売業は手っ取り早い。1990年代当初は車といえば、ロシア製・チェコ製のUAZシリーズ、LADA、NIWAなどコメコン諸国製ばかりでした。大体、車に乗ってる人なんて政府高官・政治家・地方行政のお役人様や国営工場や国営農場の責任者、お医者さんとトラック輸送の運転手さんぐらいで、渋滞なんて考えられなかったのでした。
1989年から始まった民主化の動きにより、1990年春から日本モンゴル合同学術調査「ゴルバンゴルプロジェクト(チンギスハーンの陵墓探しをメインにしたモンゴル国東部の本格的な考古学調査)」が3年間の予定でスタートしたときに、調査用に三菱の中国国内工場で特注で作ってもらった7台のパジェロと1台のデリカが、民間ベースで走るようになった最初の日本車だと思います。

そして1995年、JICAの開発調査で市場経済制導入後、モンゴル人遊牧民が所属していたネグデル(牧畜生産隊の単位でいわゆる農協みたいな役割・生産品の集荷納入・中央工場への出荷・日用品等の購入販売・人や家畜の医療サービスなどを一手に引き受けていた社会主義体制バリバリの組織)、農業・飼料用作物の拠点だった国営農場(サンギーンアジアホイCAA)が解散・機能崩壊してしまったことで、地方の第一次産業従事者やモンゴル国全体の流通生産機能はどう変わったかを全国的に実態調査する、という2年がかりのプロジェクトで、TOYOTAの真っ白なランドクルーザーとピックアップトラックが輸入されたのが、最初のランドクルーザー。当時はディーゼル燃料が地方では不足気味だったので、ガソリン車が好まれていました。

なんでこんなに詳しいか、というと、私は上記2件のプロジェクトに通訳コーディネーターとして参加させていただいてたからなんですね。

日本車がモンゴルを縦横無尽に疾走するまでは、モンゴルでは車とは、壊れるもの、ドライバーとは車を運転し、修理整備が自分でできる人、と思われていました。女性が車を運転するなんて想像もつかず、男の子たちのあこがれの職業No.1は「トラック運転手」だったのです。

どんな悪路を走っても、パンク以外は壊れない。オフロードでいくらガタガタしても部品のネジが緩まないというTOYOTAやMITSUBISHIはモンゴル人の「車概念」を変えた!といってもいいんじゃないかしら?

その後、NATO軍となぜか関わっていたモンゴル軍車両部隊などがNATOの使い古しのベンツなどをシベリア鉄道沿いの道路を走って持ち帰ってきたりするようになりました。

1992年以降、「ガンザギン ナイマーチン」とか「ガハイ ウーレグチ」などと呼ばれるモンゴル人青年行商人たちが北京-ウランバートル-モスクワ国際列車やトラックを駆使して「担ぎ屋」として暗躍し、ある程度資金力が出てくると、ベルリンからベンツの中古車を2人交代24時間ノンストップでウランバートルまで走り続けて輸入するという荒業ビジネスが活発になりました。なぜ24時間ノンストップか、というと、うっかり仮眠なんかをとっていると、ロシアンマフィアや山賊、追いはぎに襲われるからなのです。

車輸入販売業というのは、きわめて個人的な形で成長していった業態なのですが、やがて、日本に留学し大学・大学院を卒業し、日本で就職する若者たちが、祖国の家族親戚や同級生などと連携して、日本の中古車輸出をビジネスとして進めるようになってきました。

日本からも夜の外食産業などに勤めていたモンゴル人女性と恋仲になった日本人男性などがモンゴルに移住するケースも増えたり、モンゴルと日本の親善交流などによって直行便がチャーターされるときは、乗客は観光客で20kg程度の軽い荷物だけれど、コンテナ荷物・エアカーゴでたっぷり中古車や車の部品が積み込まれてモンゴルに入ってきました。通関手続きも、車両機械ということでの関税などもあるし、かなり煩雑なのですが、何度もやっていれば、また政府高官・税関長クラスとの懇意になれば、かなりの便宜も図られるようになり、世界の高級・高性能車として名だたるドイツ・日本からの中古車がウランバートルを中心に激増したのでした。

2000年以降は、90年代に留学し、そのまま留学先でキャリアを積み、ビジネスを覚え、資金力あるいは資金調達力をつけた若者たちがモンゴルにも戻ってくるようになり、ビジネスはますます盛んになってきています。またウランバートル市内限定で小型車・軽自動車などを転がす女性ドライバーも増えてきたので、車=男の乗り物またはお金持ちの所有物、という概念がまた変化してきたのです。

東京都など日本の地方自治体が大気汚染防止・二酸化炭素排出抑制の対策として「ディーゼル車両走行規制」などの条例を発布するようになると、街を走れなくなった黒い煙を吐き出すディーゼル車がロシア経由で大量にモンゴルに投入されるようになりました。

90年代初頭からの「腐っても日本車」信仰があり、日本では20万円でも引き取り手もなくなってるようなデリカなどが$6000-8000で飛ぶように売れていた時代。

あれよあれよと「車を持てる世代」が増え、渋滞が生じ、世界でも1、2位を争う大気汚染首都の国へと転がっていきました。

車や車部品に対する関税システムもころころ変わります。
2008年以降は、排気ガス問題もあって、製造年が古い車、エンジンの排気量が大きい車ほど輸入税率があがる仕組みになっています。

2002年頃は外資系企業誘致が奨励されていたので、私がモンゴルで起業した頃は、最低資本金額は1万米ドル相当、起業後3年間は事業税免除などの優遇措置がとられていました。
そのため、私のような素人経営者や中国人・韓国人など個人経営者がどっと起業しました。

2001年の時点では、資本金額の制約がなく1000ドル起業が可能、とききつけて、会社をやめてモンゴルに乗り込んだのですが、もろもろの手続きに手間取っていたり、日本で資金稼ぎなどをやっていた間に法律が変わってしまい、いざ、起業!と思ったら資本金額が10倍に変わってた・・・まぁ、この辺で焦ってよく知らないモンゴル人を友達から「経理財務の専門家だから」と紹介され、「モンゴルだと合弁企業にしないと、経営の際にモンゴル当局から有形無形の嫌がらせや邪魔をされる」といわれて、「ま、いっか」と若気の至りというか、モンゴルでベンチャービジネスをする!という興奮に浮かれて、どたばたと合弁会社として起業しちゃったんですね。

ただ、事業については「自分が仕組みのわからないビジネスには手を出さない」っていうのを基本ルールにしていました。「自分の持ち出しと身内からの借金以外は、銀行融資や個人間の借金などはしないで地道に稼いだお金で投資していく」という形が経営スタイル。

でも、21世紀はじめのモンゴル人の企業家って、金利も高いのにバンバン銀行や民間の金融機関からお金を借りて、ハイリスク・ハイリターン・ショートタームでのビジネスを展開してました。利益配当は5年間は無配当で資金力をつけ、自腹持ち出し分を回収し、投資額の回収ができたところで配当スタート、という方針だったのですが、せっかく日本人と組んだのだからビッグなビジネスをしたいモンゴル人共同経営者は、ノンバンクを起業、私ともうひとりの日本人出資者も株主となったけれど、出資金返済しないままばっくれられました。
数百万円、数千万円規模での詐欺にあった日本人が出たり、資金繰りにこまっての自殺や撤退などがあったのも2004-2008年くらいの間ではなかったのかなあ。

そもそもが「仲良し」といった程度の信頼関係が基盤で「儲かる」というモチベーションではじめた企業などだと、ころころとご都合主義で変わる政策や法律に振り回され、次第に「金絡み」という溝がダンダン広がり、不信感となり、、、企業経営自体がグタグタになっていく。

仲良しでいい人なモンゴル人ほど、経済観念がゆるく、経営手腕は低く、「経営者」であっても「経営」のなんたるかは理解せず、ただ「皆が儲けている」と見えるビジネスを追っていく。投資している日本人としては、気が気ではない。

いい人だから、一生懸命やってるから、応援してあげたいから、、、とずぶずぶとモンゴルにはまっていく。

そうなってくると、国の体制に搾取されているのか、モンゴル人に搾取されてるのか、だまされているのか、もう全然わからなくなってくる。

名義だけモンゴル人で、出資は100%日本人の不動産物件というトラブルも多発してます。
モンゴルの不動産で外国人、あるいは外資系企業が購入所有できないのは「土地」ですが、マンションや一軒家など上物物件は外国人でも所有が可能と法律が改正されているのに、「モンゴル人名義にしないと・・・」と昔の法律を見せられたり、口頭で説明を受け、「信頼関係」だったり「恋愛関係」にある人を疑うのも、、、とお金を出しちゃう。そして、何かのことで「金の切れ目が縁の切れ目」となり、醜悪な諍い勃発。裁判・・・10年近くかかって勝利できた人ももちろんいますが、私にはそれほどの熱意はありませぬ。

お金には名前がかけませんが、不動産物件や車両、工場施設などは個人名義・企業機関名義での購入所有が可能です。ですから、「所有権」をはっきりさせられるものは出来る限り、自分名義にしたほうがいい、と最近思います。実際、私は現金・預金は「経理と財務の専門家」の周到綿密な細工により失いましたが、ちゃんと行政機関に所有者として名義登録されていた不動産物件、車両は取り戻すことができました。

かなりの「勉強料」と歳月を費やしましたが、この「痛い目」によって、私はモンゴルビジネスの基礎構造やサバイバルノウハウを理解しました。

遠隔操作的に、モンゴル人からの報告たよりの経営をしているときは、自分で財務分析を毎月、あるいは取引ごとに検討確認をしていかないと、モンゴル人パートナーの悪意・善意に関わらず、大損をかぶる羽目になります。

外国人だけでなくモンゴル人だって、損をしている人たちはいる。
モンゴル人同士でも友達同士の出資の企業は3年以上もつケースはとても少ないのです。
そもそも、起業してから3年以内に解散・倒産・操業停止する企業は80%あまりという「持続が難しい」国なのです。

よほどビジネスに対しての熱意・執着、あるいは手腕、ビジョン、ミッションを持ち、自分なりのビジネスの道筋や展開を予測ができない状態だと、「疾風のように現れて、疾風のように去っていく」という騎馬民族民の気質とやりあい、ビジネス構築していくのは難しいってことですね。

そうはいっても、10年以上、欧米諸国や日本・韓国などの資本主義国で、経営学や経済学、法律、商学などを学んだり、情報科学、工学などを修め、日本の大手企業に勤めてビジネスや会社組織の経営ノウハウなどを実践的に学んだモンゴル人たちは、ものすごく優秀な「ベンチャービジネスマン」達だと思います。

賢いだけに「自分たちが儲ける」手段や野望も硬く熱いものを持っている。
なので、そういう有望株な人たちと一緒にビジネスをしたり、投資をすることで儲けようっていう日本人も、きちんと、「儲ける」ための仕組みをがっちり作ったうえで関係を築き、応援していかなければ、してやられます。

相手が提案してくるシステムを鵜呑みにするのではなく、自分が儲けるためのシステムも提案し、お互いのWin-Winな形がどうなるのか、双方が納得してビジネスをスタートすること。
そして、短期的にシステムがうまく機能しているか、もっと円滑・儲けられるシステムがないか、と密な連絡検討を繰り返すことで、「皆が納得して儲けられる、ズルをしない仕組み」を皆で考えて実践していくってことが大事でしょうね。

鉱山開発しかり、自動車販売業しかり、そのほかのビジネスしかり。

モンゴル人はまだまだ個人的な利益追求に重きを置く人が多いし、国家は、外国人から、つまりは「金を持ち込んでくるところから、取る」という方針です。モンゴルにたくさんお金を落とす外国人が「いい外国人」で、たとえ正統な取り分であっても、「モンゴルで稼いだものを外国に持ち出す人」は「搾取外国人」扱いになるってのが基本ロジックです。外貨不足で現金の循環が悪くなっている不況時の今は特にそういうところがあります。

なので、小さくマメに稼ぎ、自己実現のマイルストーンも小刻みにおいて、堅実な企業経営をするっていうのが、私のような素人経営者にはあっているようです。

去年、税務監査を受けまして、その後、謀反物の共同経営者と袂を分かつため、彼の持ち株を私が買い取る形で決着をつけたのですが、合弁会社から100%外資系へと登記簿の記載変更をするために、税務署から納税証明をとりつけようとしたとき、びっくりしたのが、2年近く経営活動ができなかったために大赤字経営になっている弊社に対して、「400米ドル相当の事業税前納をしなければ納税証明は出せない」などとわけのわからないことを言われたことです。確かに税法改正で、そんなような内容が記載されている。
事業活動をしても、累積でいけば、到底しばらくは赤字決算。
それは税務監査をした税務署員たちなら、わかっているはず。
そして、外資系だろうが、合弁企業だろうが、モンゴルで法人登録している限り、基本路線はモンゴル法人として扱われるのが前提で、それもまた法律にある。
なので、弁護士を通じて交渉してもらい、結局、未払い税はない、ということで前納なしで証明書を発行することに成功しました。

様々な「ハテナ」マークだらけの法律ですが、法律としての理論が崩壊、あるいは矛盾がある場合は、闘ってみるというのは、正統な防衛手段であると思います。

この論法、理論構築はモンゴルの弁護士も、こちらが本気を出してあたらなければ、全然やってくれません。
また相手を納得させるためには、外国人である当人が面に出たほうがいい場合と、裏に控えて、専門家にまかせたほうがよい場合もある。

この攻め際こそが外国人がモンゴルでビジネスをやる場合の難しさなのかなぁ・・・

まだ不労所得が得られるようなサイクルは作れていません。
自分のことも100%活用できていない気もします。

でも、去年、すっきりしたことや、企業経営者や経営コンサルタントなる人たちとの活動を通じて、自分なりの使命、あるいは私だからできること、というのが見えてきた気がします。

何人かの読者の方から個人的なメッセージでのお問い合わせをいただきましたが、無料ベースでやるならば、できるだけ多くの人が共通に抱えている問題として、ブログ記事という形でお答えさせていただくことにしました。

具体的な戦略、あるいは支援サポートが必要、ということならば、それこそビジネスとして私も、対策チームを結成して本腰すえて、きちんと報酬をいただいた形で承りたいと思います。
会社の生命線が切れるか、切れないか、撤退するかどうか、という瀬戸際の問題を面識もないのに、報酬もいただかず、バックボーンも把握しないままに、あーだこーだとメールで返信、なんてことで、企業のサバイバルのサポートなんかできないって思うんです。でも、メールでお答えできる範囲のことは、この記事にてお返事とさせていただいたと思います。

私だって命がけでモンゴルで奮闘しています。
だから、モンゴルに心をおいて、モンゴルでがんばろうっていう人は応援したい。でも、無責任に「がんばってください」なんてのは嫌なんです。

私もモンゴル人と闘っているとき、多くの人から「がんばってください。」という声をいただきましたが、実際にそれは心の慰めになっても、ちっとも武器にはならなかった。
私は孤軍奮闘で精神も体もぼろぼろになりながら、「なぜ、ここまでやらなきゃいけないんだ。もう撤退すればいいじゃないか。」と血反吐でよごれた口元をぬぐって醜く汚れた自分の顔を鏡でみながら思ったこともあります。
でも、やめよう、と思ったことはなかった。
なぜならば、私の死闘は、モンゴルと繋がろうとする「普通の日本人」、「モンゴルを好きな日本人」が抱えるであろう苦難であると感じていたからです。実際、闘争中、何人もの「私もモンゴル人にだまされた」とか仲たがいの挙句、金品を奪われた、騙し取られた、心をもてあそばれた、という日本人のお話をうかがったりもしました。

私にとっては、モンゴルは宿命であり、一生かけて見届けなければいけない対象です。自分の血反吐や涙も含めて、全てが研究対象なのです。身を切らねば学べないことってある。
でも、この痛みを私のあとからビジネスに乗り出す、「モンゴルを好き」「モンゴルを応援したい」と思っている善意の人たちに味あわせたくはない。
だから、勝ちたかったし、自分が納得できるまで闘いたかった。
そして、闘いぬいた挙句、自分なりの結論を出しました。ビジネスマンとしてはいかがなものか?という残念な痛手を受けましたが、「人として」大事な生き様を見つけることができました。

モンゴルってストレスがたまる土地柄ですが、そうは言っても、癒しのパワーもある、人間の魂が解放される場所でもあるのです。

人を鍛える土地柄っていうのかな?

開拓地がもつ、「人をタフにする。タフな人しか生き残れない。でも優しさの本質が、最後の救いとなる」というそんな魅力のある国、モンゴル。

トラブル処理係っていう仕事だけじゃなくて、私はトラブルを通じて、モンゴルの魅力を感じて欲しいし、モンゴルで苦しんだり、悩んだりしたからこそ得られる「一生の宝」を一緒に見つけるお手伝いがしたい、そんな風に思っています。

私はいつでも、ここ「モンゴル」であなたを応援しています。
がんばりましょ!一緒に。

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