さて昨日は機嫌を直し、仲直りして、ガナー君実家とアドーチ君宅の年始周りをしてから、再び冬営地へ行ってました。
大晦日からの被害は、もう言葉にできないほどでありました。
20頭ですんだ、と思っていた被害が、昨日の夜、再び冬営地に戻ったところ、さらに広がっていました。
もともと体力がなく、放牧にも1日中出せないでいた50頭のうち、大晦日から元旦にかけて死んだのは20頭でしたが、その後、さらに20頭が死んでいました。
風に流され、お隣さんだけでは群をコントロールできなくなったまま、隣の谷筋の下まで山を越えて群が移動してしまい、大晦日から元旦にかけて夜通し、吹雪の中を歩いて私たちの冬営地まで戻したそうです。途中で力尽きてへたりこむものもいたけれど、それを奮い立たせる余裕も元気も牧民たちにも羊やヤギたちにもなく、わが子を打ち捨てて、ひたすら歩き、家畜小屋で息絶えた羊もいたのでした。
そんな家畜の死体の山があちこちで築かれているのです。
ウランバートルはぽかぽか陽気の正月日和だったのに、たった70kmはなれただけでこれほどの吹雪、ブリザードに打ちのめされていたとは、にわかには信じがたい光景でした。
結構目立つ風貌で、私が気に入っていたヤギも死骸の山に混ざっていました。
お隣のいつも気丈で毒舌をはきちらすおばさんも呆然自失、力のない目をしていました。
それでも、正月用のボーズを蒸し、私たちを招きいれてくれました。
「厳しい冬だねぇ。ゾドだねぇ。」
正月の挨拶をした後は、一言、そう言っただけで、後は誰も何も言葉を発することができませんでした。
吹雪でゲルがなぎ倒されたところもありました。
すでに子羊や子ヤギが生まれ始めていたところでは、かちんこちんになった赤おちゃんをなめている親羊がいたりしました。親羊には、自分の初めて生んだ赤子に何が起きたのか、わかっていないようでした。一度も母のおっぱいをふくむことなく凍りついて死んだ赤ちゃん羊は、よたよたとしながら踏ん張ろうとしていたかのように足をつっぱらかったまま凍っていたのです。
ゴビから1000頭もの家畜の群を連れて、秋の終わりにやってきた遊牧民たちには、周囲の遊牧民たちは、「ただでさえ放牧地の草の状態が悪いのに、あんなにたくさんの家畜が連れ込まれちゃ、たまらない」と苦々しくありました。
でも、そのゴビからの遊牧民たちの1000頭もの大群も、わずか3日間で、800頭あまりを失い、最低限でスタートさせたはずの私たちよりも生き残りの数が少なくなってしまっていたのでした。
大晦日から元旦までの間に生き残ったのは300頭あまりいたのだそうですが、餌がまったくなかったため、ウランバートルの親戚から、アイスクリームのカップコーンをトラック一台分買い集めてもらい、自分たちだけで残った家畜の餌として与えたところ、どうやらコーンカップが胃の中で膨張し、ガスがたまってしまったせいらしいのですが、また一晩で100頭あまりが家畜小屋の中で腹を上向きにしたような状態で死んでいたそうです。雪はたくさんあるのですが、体力も体温も低下していた家畜たちは、その雪をはんで口の中で溶かし、水として飲むことができなかったようです。中途半端に腹の中に入ってきた水がコーンカップをふやかし、それが腸壁などに張り付いて反芻も、吐き出すことも、排泄することもできなくなったのが原因ではないか、と皆は言っていました。
「ハンガイの吹雪はゴビの吹雪よりも厳しい」というのが彼らの声でした。
雪と風と寒さとの格闘で皆疲れきっていました。
地元行政に登録している人には、援助物資が来る、という噂もありましたが、配給手帳が配られず、結局、私たちの近所の遊牧民たちのところには、誰も救いの手を伸ばしてくれる人たちはいないのです。ウランバートルから近く、被害も目立たないばっかりに完全に見捨てられています。
今日、職場で、コンサルさんに、「それでいったいいくらぐらいの損失になったの?」ときかれたのですが、にわかに答えることができませんでした。
損失をどう計算していいのか、よくわからなかったのです。
うちの羊やヤギたちは、種オスを別として、全部メスなのです。
そして、そのほとんどが種付けをしていて、かなりおなかも大きくなっていたのです。
体力を落とした羊やヤギたちがずいぶん流産、死産したので、完全には私たちも彼女たちの妊娠状態がよくわからなくなっています。
もし、おなかの子供が無事に生まれていたら、と考えると1頭の死は二頭分の損失になるのか?
そして、あまりの数にお金で計算する気力も残っていなかったのです。
2回目の元旦にはだいぶ吹雪はおさまっていました。
家畜小屋の雪かきをし、寝床を温かい乾いた糞にしなければ、まだまだ家畜が流産、死産をしてしまいます。
ほんとはこのまま残って、毎日家畜を自分たちで世話しなければいけないのはわかっていても、結局プロジェクトがあと10日間残っている、ということでウランバートルに戻ってきたところだったのです。背中の痛みがとまらないので、血圧には関係ない、と思いつつも痛み止めを大量に飲んできたため、それがきいてきてフラフラな状態だったので、計算なんかしたくなかったのです。
でも、体調が戻ったら、そういう損失計算もしなければいけませんね。
計算よりも個体一頭一頭が共に100kmあまりを歩いて引っ越した仲なため、そういう思い入れで、単純にお金だけで計算しきれない部分もあるけれど、彼らはライブストック。つまりは生きた資産なのです。家畜の命、人生を全うさせることができなかったことへの自分たちの無力感や自然の脅威に打ちのめされています。
260頭からスタートしたものの、現在200頭ほどになってしまいました。
とにかくこれから生まれてくる子供たちをちゃんと育てなければいけません。
毎日、直接世話をしていたわけではないので、まだその損失の実感がわきません。
ただただ、その死体の山に圧倒され、家畜小屋の入り口で凍りついた死体を持ち上げたときの軽さにさえ無感動になり、作業を続ける自分がいました。
1000頭もの家畜をひきつれ、周囲の顰蹙をかいながら、それでも慣れない土地で、家畜と共に生き延びようとしていたゴビの遊牧民たちの胸中はいかばかりか。
それでも泣き言を口にせず、淡々と今を生きているたくましさ、ツァガンサルの掟の伝統に、私はモンゴルのモンゴルたる所以を感じ、これから自分はこんなゾドを何度も経験しながら、今よりタフになれるだろうか?と考えながら、家畜小屋をあとにしました。
雪深いオフロードから、舗装道路に出た時、なんだか別世界に入り込んだような錯覚を受けました。
職場もまた現実だし、舗装道路もまた現実であり、そして、モンゴル各地の遊牧生活もまた現実なのです。

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大晦日からの被害は、もう言葉にできないほどでありました。
20頭ですんだ、と思っていた被害が、昨日の夜、再び冬営地に戻ったところ、さらに広がっていました。
もともと体力がなく、放牧にも1日中出せないでいた50頭のうち、大晦日から元旦にかけて死んだのは20頭でしたが、その後、さらに20頭が死んでいました。
風に流され、お隣さんだけでは群をコントロールできなくなったまま、隣の谷筋の下まで山を越えて群が移動してしまい、大晦日から元旦にかけて夜通し、吹雪の中を歩いて私たちの冬営地まで戻したそうです。途中で力尽きてへたりこむものもいたけれど、それを奮い立たせる余裕も元気も牧民たちにも羊やヤギたちにもなく、わが子を打ち捨てて、ひたすら歩き、家畜小屋で息絶えた羊もいたのでした。
そんな家畜の死体の山があちこちで築かれているのです。
ウランバートルはぽかぽか陽気の正月日和だったのに、たった70kmはなれただけでこれほどの吹雪、ブリザードに打ちのめされていたとは、にわかには信じがたい光景でした。
結構目立つ風貌で、私が気に入っていたヤギも死骸の山に混ざっていました。
お隣のいつも気丈で毒舌をはきちらすおばさんも呆然自失、力のない目をしていました。
それでも、正月用のボーズを蒸し、私たちを招きいれてくれました。
「厳しい冬だねぇ。ゾドだねぇ。」
正月の挨拶をした後は、一言、そう言っただけで、後は誰も何も言葉を発することができませんでした。
吹雪でゲルがなぎ倒されたところもありました。
すでに子羊や子ヤギが生まれ始めていたところでは、かちんこちんになった赤おちゃんをなめている親羊がいたりしました。親羊には、自分の初めて生んだ赤子に何が起きたのか、わかっていないようでした。一度も母のおっぱいをふくむことなく凍りついて死んだ赤ちゃん羊は、よたよたとしながら踏ん張ろうとしていたかのように足をつっぱらかったまま凍っていたのです。
ゴビから1000頭もの家畜の群を連れて、秋の終わりにやってきた遊牧民たちには、周囲の遊牧民たちは、「ただでさえ放牧地の草の状態が悪いのに、あんなにたくさんの家畜が連れ込まれちゃ、たまらない」と苦々しくありました。
でも、そのゴビからの遊牧民たちの1000頭もの大群も、わずか3日間で、800頭あまりを失い、最低限でスタートさせたはずの私たちよりも生き残りの数が少なくなってしまっていたのでした。
大晦日から元旦までの間に生き残ったのは300頭あまりいたのだそうですが、餌がまったくなかったため、ウランバートルの親戚から、アイスクリームのカップコーンをトラック一台分買い集めてもらい、自分たちだけで残った家畜の餌として与えたところ、どうやらコーンカップが胃の中で膨張し、ガスがたまってしまったせいらしいのですが、また一晩で100頭あまりが家畜小屋の中で腹を上向きにしたような状態で死んでいたそうです。雪はたくさんあるのですが、体力も体温も低下していた家畜たちは、その雪をはんで口の中で溶かし、水として飲むことができなかったようです。中途半端に腹の中に入ってきた水がコーンカップをふやかし、それが腸壁などに張り付いて反芻も、吐き出すことも、排泄することもできなくなったのが原因ではないか、と皆は言っていました。
「ハンガイの吹雪はゴビの吹雪よりも厳しい」というのが彼らの声でした。
雪と風と寒さとの格闘で皆疲れきっていました。
地元行政に登録している人には、援助物資が来る、という噂もありましたが、配給手帳が配られず、結局、私たちの近所の遊牧民たちのところには、誰も救いの手を伸ばしてくれる人たちはいないのです。ウランバートルから近く、被害も目立たないばっかりに完全に見捨てられています。
今日、職場で、コンサルさんに、「それでいったいいくらぐらいの損失になったの?」ときかれたのですが、にわかに答えることができませんでした。
損失をどう計算していいのか、よくわからなかったのです。
うちの羊やヤギたちは、種オスを別として、全部メスなのです。
そして、そのほとんどが種付けをしていて、かなりおなかも大きくなっていたのです。
体力を落とした羊やヤギたちがずいぶん流産、死産したので、完全には私たちも彼女たちの妊娠状態がよくわからなくなっています。
もし、おなかの子供が無事に生まれていたら、と考えると1頭の死は二頭分の損失になるのか?
そして、あまりの数にお金で計算する気力も残っていなかったのです。
2回目の元旦にはだいぶ吹雪はおさまっていました。
家畜小屋の雪かきをし、寝床を温かい乾いた糞にしなければ、まだまだ家畜が流産、死産をしてしまいます。
ほんとはこのまま残って、毎日家畜を自分たちで世話しなければいけないのはわかっていても、結局プロジェクトがあと10日間残っている、ということでウランバートルに戻ってきたところだったのです。背中の痛みがとまらないので、血圧には関係ない、と思いつつも痛み止めを大量に飲んできたため、それがきいてきてフラフラな状態だったので、計算なんかしたくなかったのです。
でも、体調が戻ったら、そういう損失計算もしなければいけませんね。
計算よりも個体一頭一頭が共に100kmあまりを歩いて引っ越した仲なため、そういう思い入れで、単純にお金だけで計算しきれない部分もあるけれど、彼らはライブストック。つまりは生きた資産なのです。家畜の命、人生を全うさせることができなかったことへの自分たちの無力感や自然の脅威に打ちのめされています。
260頭からスタートしたものの、現在200頭ほどになってしまいました。
とにかくこれから生まれてくる子供たちをちゃんと育てなければいけません。
毎日、直接世話をしていたわけではないので、まだその損失の実感がわきません。
ただただ、その死体の山に圧倒され、家畜小屋の入り口で凍りついた死体を持ち上げたときの軽さにさえ無感動になり、作業を続ける自分がいました。
1000頭もの家畜をひきつれ、周囲の顰蹙をかいながら、それでも慣れない土地で、家畜と共に生き延びようとしていたゴビの遊牧民たちの胸中はいかばかりか。
それでも泣き言を口にせず、淡々と今を生きているたくましさ、ツァガンサルの掟の伝統に、私はモンゴルのモンゴルたる所以を感じ、これから自分はこんなゾドを何度も経験しながら、今よりタフになれるだろうか?と考えながら、家畜小屋をあとにしました。
雪深いオフロードから、舗装道路に出た時、なんだか別世界に入り込んだような錯覚を受けました。
職場もまた現実だし、舗装道路もまた現実であり、そして、モンゴル各地の遊牧生活もまた現実なのです。
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