昨日の職場忘年会の詳細の続き、、、をビールのほろ酔いが抜けたガナー君から聞きました。
車はおいてけー!!って言ったのに、結局、タクシーがつかまらぬ、ということで、ラブワゴンで皆さんを運んだ模様。後部座席までつけておけばよかったね。。。

でもって、ミクロを呼んだのではなく、代行ドライバーを呼んだのだそうです。

日本でもおなじみのこのサービス、宴会にはお酒がつきもののウランバートルでもかなり大当たり!なサービスのようです。安全確保の問題や走行中の事故その他に対する補償などについての詳細規定がよくわからないのですが、ともかく、酒飲み運転の最大罰則は2年間の免停、っていうことですから、ちょっとのリスクもおっていただきたくありませんから、代行サービスを使ったのは賢明でした。

ウランバートルの東西南北の隅っこに散らばる皆さんを家まで送り届けてからのご帰還だったのですね。

行ければよかったのですが、でも、この背中の痛みとか頭痛とか、血圧とか、いろんなリスクを背負って、点滴まで受けた身の上で、仕事も職場にはいかず、携帯電話での遠隔操作状態っていう私が忘年会だけ出るっていうのも、いかがなものか、と。

で、今日、宴会用費用として私がカンパした50万トゥグルグのおつりをわたそうとしたガナー君、、、なんだか真剣な顔しておつりを数えています。

「・・・僕、お札間違えちったみたいだ。5000tg足りない・・・」と。

クリスマス、忘年会シーズン、旅行等、非日常に関する費用について何かと大盤振る舞い気質が出てくる私にとっては、ノープロブレム。

大事なことは、皆が忘年会を楽しんでくれて、モンゴル人と日本人の職場での交流が円滑になるような心からの一体感みたいなものが持てるってことでした。そのために出したカンパなので、そこから足さえでなければ、有効活用してくれればそれで良かったんです。
モンゴル人が、日本人の人たちが要求するような質のサービスを提供できるようなレストランに行くために財布の中身を気にしなきゃいけない、とか帰りのことを心配してしまう、ってことがなく、細かいことは気にせず、くつろいで楽しめれば、大成功。お祭りとかイベントであんまりケチりたくない。

昔から、そんなこと考えてたわけじゃないんです。これも、何度も、ほとんど毎日登場する、元共同経営者とその姉婿の元マネージャーの陰謀で、せっかく築いた、、、と思ってた財産、貯金、善意で貸したお金など、相当額の資産を、さんざん争った挙句、手放さなければいけなくなったことがきっかけだったのです。

つまりは、お金って使えるところで使ってこそ、その価値が有効活用できるのです。

他人に喜んでもらうため、他人の力になるために使うお金って、使い方としては、私としては、かなり満足でベストウェイなのです。
物欲があんまりなくて、けちんぼさんなのですが、唯一、自分がやってよかった!と思えるのが、モンゴルの地元の人たちが本当に取り組み、継続させている環境保全活動や村おこし事業などへの寄付です。なかなか成果は出ないけれど、私にとっての幸せのひとつに、一生懸命他人や地域の人たちのためにがんばっている人たちのプロジェクトを実施する際に、モンゴル人から頼ってもらえたり、相談をもちかけられたりして、私がその要求にちゃんと満足してもらえるレスポンスができたときの達成感、というものがあります。

結果的に、プロジェクトが失敗する、ということも計画を立てたりするのが苦手な人たちなので、多々あるし、お金に狂っちゃったり、本来の活動から軌道が外れちゃう人や団体もないわけではないんだけれど、それは私が寄付したり応援したりしたことがきっかけで、というわけではないし、寄付、という形で手放した段階で、もはやそのお金やモノは私の所有物ではないのですから、実は、ま、いいや、と片付けることができるようになったのも、会社の内紛を解決させたことで得た思考回路です。

今年はほんとにいろんなことがありました。
苦しみも決して少なくはなかったし、しかも最後の最後で体調を崩し、腎臓病を再発させてしまった、というのは自分の修行不足であり、自律神経のコントロールやテンパーコントロールが出来なかったことの報いなので、それはそれとして、来年への大きな課題として、神様からの宿題です。

家族、同僚、いろんな形でまたモンゴル人と繋がって、何かをやろう、という気持ちを持ち、また実際に信頼できる仲間やパートナーが出来た、ということも大きな収穫です。
モンゴル語のことわざで、「けちは友達をなくす」というものがあります。
また、「水草が多い湖に水鳥が集まる」というものもあります。

与える、ということを「私はいつも与えてばかり。Give and Give and Give...だわ。」と心に不満やわだかまりを持たず、「Give and taike」とは、「他人に何か貢献する」という行為を提供することで、すでに、私は「何かいいことやった」という満足感を得ることが出来た、って思って、早めに満足しちゃう、という思考回路を得ました。

最終的な結果に対して初めて、達成感や満足感を覚える、というのが、これまでの私だったら、2009年は、「先のことまで考えてられないから、「今・ここ」での自分が「やったぜ!」という満足感を多いに満喫してしまおう、と方針転換しました。

個人対会社、という契約形式に日本側クライアントが固執するならば、残念ながら1月からプロジェクト半ばではあるけれど、ケツをまくろう、と決めました。モンゴル人スタッフには、忘年会のことがあるから内緒にしておこう、と思っていたのですが、元旦休日出勤とかいろんな問題が吹き出てしまっていたので、仕方なく打ち明けました。

通訳の皆は一生懸命やっているし、貴重な冬の収入のチャンスなので、私が撤退しても、日本人クライアントに直接契約をしてもいいよ、とも告げたのですが、彼らのこたえは嬉しいことに「私たちはモンゴルだるまに声をかけられ、あなたの会社と契約したんだから、あなたの会社と日本側の会社の契約が変更になり、あなたがおりるなら、私たちもおりる。私たちはあなたの味方だ。」と皆の意見が一致している、と言ってくれました。

そんなことにならないように、慎重に交渉はしなければいけないし、そして、何よりも、今のプロジェクトがどれほど、様々な紆余曲折を経ているといっても、援助対象の企業や機関に迷惑をかけるわけにはいかない。

でも、契約は契約です。ひとたび、双方が合意に達した上で、会社の代表者同士がはんこをついたものを、一方的に、「上からの話から、こうしたい、と思った」という一方的な理由で、私がせっかく背負った会社の看板を無視させるわけにはいかない。

プライドとは虚栄心であってはいけない。
でも、相手の尊厳を尊重できない人とは仕事はできない。


「上から」といわれても、私は「上」との交渉での前提条件で「会社として引き受ける。なぜなら自分がべったりつけない事態が想定されるから、そうであっても、プロジェクト自体は円滑に進行できるように請け負いたいから。」としたうえで、「それで結構です」といってもらってたからです。

問題ない橋を、「落ちるかもしれない」と叩いて、叩いて、叩きまくって、彼らは私との信頼関係という契約の大前提をぶち壊しにしようとしている、、、ということは、大企業でビジネスのエリート街道を闊歩していた人たちには理解できないのかもしれない。

我慢に我慢を重ね、相手の仕事が成果をあげられるように、かなり自分にとっては高いハードルも、なんとか乗り越えてここまできました。
正直、私は今年ほど、自分の仕事の環境をクライアントが快適でいられるようにということのためだけに設備投資したことはなかったです。
結果的に、私にとっては、ものすごい張り詰めた状態での決断であり、精一杯の努力だったのに、「彼らにとっては契約に書いてなくても、やってもらうのが当たり前」なことであり、さらなることを要求してきた。モンゴルでは物理的に、私的には、予算と時間的に不可能なことを。

だから、私の体と心は壊れてしまった。もしかしたら、「できません」で終わらせればよかった話なのかもしれない。だけど、私は「できません」といいながらも、「できない」自分が悔しくて仕方なかったのです。でも、悔しがる必要はなかった・・・。だって自分の身の丈+5寸くらいのことは、精一杯やってたんだから、それ以上のことは、ちびの私にはできないんだもーん、でよかったのです。

そう、自分の身の丈ってどうしようもないんです。153cmの身長はヒールをはけば+5cmくらいはのばすことができるけど、7cmヒールを履いたら私は歩けないのです。わずか+2cmの違いでも、大きな差になる。

そういうことって現実社会ではいくらでもある。
「このくらい、出来るでしょ」というお客の要求にイチイチ、カーッとなりながら「そんなこと言われても」と慌てふためいたって、「無茶ばっかりいいやがって」と憤慨したって意味はない。

今、職場に行かないのは、ひとつには体調のことがあるからだけど、その遠因として、「あいつ」がモンゴルにいる間は、正直、職場に行くことで、ムードメーカーの私が雰囲気を悪くする根源になる可能性が高いから。その心があるから、体も自分が思ってた以上のひどい状態まで私を追い込んだ。

そう病気を発動させた直接原因は「あいつ」だけれど、ここまで悪化させてしまい、透析だけは免れなきゃ、という事態で闘病することになった原因は、「私の心」にあるのです。病気を理由に職場に行かないで自宅で仕事をするため、多分、そうなんです。
しかも、仮病ではなく、ほんとに熱が出て、出るべきではない場所からの出血。正常値をは
るかに超えた血圧。これらはすべて、私自身や職場の人に納得してもらうために、心が体に働きかけて引き起こした、「私」に対するストライキなのです。

私は、私と私を取り巻く環境との調整・調和をはからなければいけません。
点滴を受けたり、マッサージとか吸盤治療とか西洋医学の薬やモンゴル漢方の処方とか、それは緊急処置でしかない。
最終的に、自分が自分の世界と「融和」するために「折り合い」をつけなければ、病気は直らない。

「あいつ」がいるかぎり、治らないのかもしれない。無理はしたくない。悪い人ではない、のかもしれない。だけど、今の私は「あいつ」を大嫌いで憎んでいる。その状態をまず受け入れなければいけない。そのうえで、なぜ?ということに対してつきつめています。なぜ?なぜ?というのは、問題の核心をさぐりあてるための、キーワードです。なぜ、という言葉は、果てしなく続く道のない雪原を書き分けるためのシャベルです。

最終的には、雪を溶かす春がくればいいんだけれど、春を待っていられないのです。
だから、私は病床で一生懸命、かきわけました。まだ全部を探り当ててはいないんだけど。

でも、私は自分が怒りをそれほど長期間維持できない性分だってこともわかっています。
許せない、ってことはないってこともわかっています。

だって、散々、「我々だけが、このモンゴル国でお前の味方だ」みたいな善人面で私を取り込み、陰謀を企て、何年もかかって、私個人や会社に考えられる限り最大のダメージを与えたやつらですら、私は、「世の中にそういう人もいるってことを勉強した。お金の使い方や財産管理に対する意識を変えるエポックメーキングになった」とプラス思考で許すことが出来るようになったのですから、「あいつ」ごときを許せぬわけがない。

そもそも、「あいつ」なんか、職場から離れてしまえば、私の生活にとって、台所を這いずり回るゴキブリ以下の存在でしかないのです。

そう、離れている今、自分ひとりで考える時間を得られた今、そんな風に、「Take it easy」を自分に浸透させています。

2009年の総括を、こんなゴキブリ以下な「あいつ」の暴挙に憤り、それを乗り越えるだけで費やしてはもったいない。

2009年はとても大きな転機だったのです。
家族っていうものが奇跡的な社会構成だってこと。良くも悪くも受け入れていく、なんでもなかったって、問題をなるべくさらりと流して、一度蓋をした問題は、封印をとかずにおいておくこと。

子育て。子供がいることの幸せとストレス。
幸福の反対語は不幸だけれど、子供を持つことでの幸福の反対語は不幸ではない。
不幸だと思ったことは一度もないのです。めんどくさいなぁ、とかイライラするなぁ、ってことはたくさんあるけれど。
失い、そのことで得られた奇跡もありました。

会社が再興できた、法律上も100%きっかり裏切りモノたちを排除し、自分ひとりの責任でがんばるしかない、っていう自分がビジネス上、本来歩くべきだった道に軌道修正が完了しました。

いろんなことで繋がっていくことの感謝。
自分を発見する喜び。
それらは、すべて、自分の中の好奇心によって引き起こされている。

体を壊さなければ、自分の時間を得ることはできなかった。
ストレスにより腎臓病が再発したことで、自分の時間ができた。
仕事をしたことで、ごちゃごちゃしてると働きづらい、というニーズが発生し、
寝たきりでデブな身体が床ずれになったりしないように、適度に運動するために、頭をすっきりさせるために大掃除ができた。
大掃除をしたことで、発掘された必要なものたち。例えば点滴セット。
すっきりすると家人もすっきり、うきうきになってくれる。

いろんな人に憤ったりもしましたが、そうした、ひとつひとつの問題で得られた自分の解決策の核心はかけがえのない宝物。永遠に失うことがない財産です。

2009年の嫌なこと、問題は総括した上で、ようやく箱に収められた感じです。これに蓋をして封印をしたら、2009年のドアを閉め、2010年へと入る準備を始めます。

起きてしまった事に「なぜ」と問いかけても意味はない。
でも、起きてしまった問題を「どうやって」解決させるか、ということのために問題に対する全ての「なぜ」は必要ない。
ならば、私は、「問題」のこじれて、救いがたくもつれた糸をほぐす作業、つまり「原因」と「結果」に固執するのではなく、「どうやって」という経過、どんなルートがあるのか、というルーとファインディングに時間を費やし、その捜索作業を楽しむことにしよう。

ともかく、2010年のドアノブは、2009年よりさらに可能性が広がったという手ごたえがあります。

にほんブログ村 海外生活ブログ モンゴル情報へ
にほんブログ村2010年が読者の皆様全てにとって、幸福と満足感、達成感に満ち溢れた1年になりますように。