ブログネタ:自分に絶対向かない職業 参加中自分に絶対向かない職業だ、と子供の頃から思ってたのは、「自分の自由意思がいかせない会社の歯車」みたいなサラリーマン。私が子供の頃は、大人のほとんどがサラリーマン。学校のクラスメートのお父さんもほとんどがサラリーマン、もしくは会社経営者。
我が家は、音楽家ということで、全然、会社のために働く、とか命をかける、とか会社を代表して交渉する、とかといったいわゆるビジネスっぽいことが仕事になる、という意識がぜーんぜんない環境でした。
ゆえに、サラリーマンの単身赴任とか転勤とか人事異動とかって全然理解できてませんでした。
会社経営、なーんていってる今でも、実は、会社のことってよくわからん。
スーツきて、会社の代表として、会社のために、会社の仕事をする。。。
あるいは、役所の人間として、その行政の立場で、行政の人間としてのみ言葉を使い、相手の立場と自分の立場の上下関係、縦横つながりを気遣い、、、、ってのは無理。
たとえば、モンゴル語をいかして、といって真っ先に思いつくのは、大体、外務省とかJICAなどだったけど、ぜーんぜん就職活動をしようとか思わなかった。想定外ってやつです。高給取りだとか安定的な生活とか、強い立場とかって色々あるんだねーって思いつつも、全然自分がそういう仕事につきたいとか、あこがれるとかうらやましいと思う、ということもありませんでした。
というのも、人間、向き不向きがあり、どれだけ仕事処理能力や事態の対処能力がすぐれていたとしても、やっぱり、無理!ってものはあるわけです。
自分が無理!って思ってることは、やはり相手にとっても、「こいつは駄目だ」って感じるところもあるんだろうな。
今、自分が会社を経営している、といっても、今はほとんど個人事業主状態。
仕事が忙しくなったときだけ、アウトソーシングでチームを作るけど、そのチームの構成も仕事の内容によって、全くバラバラ。私が中心にいるってだけで、ほんと千差万別。
よく「本業はなんですか?」って言われて困るのですが、1年間の中で、自分の仕事のポートフォリオを作ってみると、国際協力・援助プロジェクトのコーディネーターや通訳・資料などの翻訳、旅行手配、マスコミの取材手配、あるいは企画リサーチ、学術調査のコーディネートや調査の旅行系手配、自分自身がやってる取材、NGOのサポート、情報提供、法律関係や行政手続きのための書類作りとか翻訳とか、まぁ、とにかくバラバラです。結局、モンゴル屋ってこと?そうなんだろうなぁ。
よくモンゴル人は、個人競技は得意だけれど、団体競技に弱い、といわれますが、私もまったくそういうタイプ。
剣道にせよ、水泳にせよ、登山にせよ、カヌーにせよ、乗馬にせよ、そろばんにせよ、ピアノにせよ、基本的には個人的なものばかり。
もちろん、軟式野球、バレーボール、バスケットボール、ペップバンド、吹奏楽といったチームワークが大事なものでも勝負してたけど、要は、一人ひとりが役割が違ってて、自分の役割をきっちりとこなしながら、他人とのコラボレーションやハーモニーを楽しむという意味で、「皆と仲良く」っていう形とか「こういう方針だっていうから」ということで自分個人の考えとずれていても、大に従うっていう行動パターンはあり得なかった。
だから、よく「わが社としては」とか「我が国としては」っていう何か大きな組織なり存在の代表として何かを表明するっていうのがすごく苦手です。
通訳っていう仕事は、誰かの言葉を代理で表明しているわけですが、それとこれとは全然違う。
自分の意志がほんとうに、国の行政方針なり会社の経営方針に完全一致し、それが正しい、当たり前だと信じて、働ける人たちはすごいなぁって思います。私にはたぶん、できない。辛口な人で生意気だから。
いっくら給料が高くても、がんじがらめの規則に縛られ、時間も融通がきかないとなると、長期間はもたないと思います。長くて1年、我慢できるかどうか・・・
普段からふらふらしてるから、信念を貫くというほどの硬い信念も持ってないし、規則正しく生きることが当たり前っていうふうになれない。駄目だなぁ・・・
ストレスをためやすいし、すぐイライラってするし、、、
となると、日本で働くこと自体がもはや、無理無理ーってことか?
といいつつ、ハードルが高く、試練や困難が多ければ多いほど、自分の成長材料っていうとらえ方でファイトを燃やしちゃうっていうのも、自分のキャラの一部なのです。
普通の事務職やルーティーンな仕事っていうのも向かないって思うんだけど、案外やってみれば、作業効率をあげるためのデスクワークの秘訣とかを見出して、バリバリがんばっちゃうかもしれません。
でもね、変化がない職場はたぶんだめ。お互いがお互いを批判し合っているような職場も耐えられないかな。表面上はにこにこして、内心ストレスが充満してくすぶっている人が多い職場も、やっぱり厳しいなぁ。
仕事自体は、どういうものであったとしても、基礎を教えてもらえれば大抵のことはできるって思うんだけど、職場環境の雰囲気や一緒に働く人の人生哲学や価値観が自分とまるで違ってる場合、じわじわとストレスがたまって、いつかトンデモナイ壊滅的な形で爆発しちゃうと思います。
自分がそういう向かない職業を選ばずに済んだこと、それなりにのんびりとモンゴルで自分の能力を最大限に生かそうって奮闘できる仕事が与えられていること、取り組める課題があることに感謝です。
仕事自体があまり多くないので、なるたけ「自分には無理」って自分からせっかく投げかけられた球をかたくなに跳ね返さず、まずは受け止めて、全力投球できるような柔軟さやしなやかさ、たくましさをもうちょっとグレードアップしてもいいかなあ、って思ってます。
モンゴルで活動するだけなら、今の私のバイタリティで十分って気もするけれど、今後はやはり、日本にも拠点がある状態って大事だろうなぁって思ったり、せっかく英語も不自由してないんだから市場範囲を限定せずに世界を相手にする、ぐらいの気構えでビジネスに取り組めるようになったら、今よりもっと楽しいかもしれぬ。
そうはいっても、今のままで十分楽しいんだけどね。
結局、仕事も恋も「縁」って大事。私が望んでいれば、それは必ず、実現するし、チャンスを引き寄せることができるけれど、「無理」って思ってしまったら、そういうことは実現しないものなのです。
今やってることが、今の私にとっての最高であり、それ以外は多分、今の私には向いていない、あるいは必要のない職業、仕事ってことになるのかな?
ともあれ、なんでも試してみたい、チャレンジしてみたいっていう気持ちも、まだまだたっぷり残っているから、来年はもっと違ったことに取り組んでるかもしれません。。。
我が家は、音楽家ということで、全然、会社のために働く、とか命をかける、とか会社を代表して交渉する、とかといったいわゆるビジネスっぽいことが仕事になる、という意識がぜーんぜんない環境でした。
ゆえに、サラリーマンの単身赴任とか転勤とか人事異動とかって全然理解できてませんでした。
会社経営、なーんていってる今でも、実は、会社のことってよくわからん。
スーツきて、会社の代表として、会社のために、会社の仕事をする。。。
あるいは、役所の人間として、その行政の立場で、行政の人間としてのみ言葉を使い、相手の立場と自分の立場の上下関係、縦横つながりを気遣い、、、、ってのは無理。
たとえば、モンゴル語をいかして、といって真っ先に思いつくのは、大体、外務省とかJICAなどだったけど、ぜーんぜん就職活動をしようとか思わなかった。想定外ってやつです。高給取りだとか安定的な生活とか、強い立場とかって色々あるんだねーって思いつつも、全然自分がそういう仕事につきたいとか、あこがれるとかうらやましいと思う、ということもありませんでした。
というのも、人間、向き不向きがあり、どれだけ仕事処理能力や事態の対処能力がすぐれていたとしても、やっぱり、無理!ってものはあるわけです。
自分が無理!って思ってることは、やはり相手にとっても、「こいつは駄目だ」って感じるところもあるんだろうな。
今、自分が会社を経営している、といっても、今はほとんど個人事業主状態。
仕事が忙しくなったときだけ、アウトソーシングでチームを作るけど、そのチームの構成も仕事の内容によって、全くバラバラ。私が中心にいるってだけで、ほんと千差万別。
よく「本業はなんですか?」って言われて困るのですが、1年間の中で、自分の仕事のポートフォリオを作ってみると、国際協力・援助プロジェクトのコーディネーターや通訳・資料などの翻訳、旅行手配、マスコミの取材手配、あるいは企画リサーチ、学術調査のコーディネートや調査の旅行系手配、自分自身がやってる取材、NGOのサポート、情報提供、法律関係や行政手続きのための書類作りとか翻訳とか、まぁ、とにかくバラバラです。結局、モンゴル屋ってこと?そうなんだろうなぁ。
よくモンゴル人は、個人競技は得意だけれど、団体競技に弱い、といわれますが、私もまったくそういうタイプ。
剣道にせよ、水泳にせよ、登山にせよ、カヌーにせよ、乗馬にせよ、そろばんにせよ、ピアノにせよ、基本的には個人的なものばかり。
もちろん、軟式野球、バレーボール、バスケットボール、ペップバンド、吹奏楽といったチームワークが大事なものでも勝負してたけど、要は、一人ひとりが役割が違ってて、自分の役割をきっちりとこなしながら、他人とのコラボレーションやハーモニーを楽しむという意味で、「皆と仲良く」っていう形とか「こういう方針だっていうから」ということで自分個人の考えとずれていても、大に従うっていう行動パターンはあり得なかった。
だから、よく「わが社としては」とか「我が国としては」っていう何か大きな組織なり存在の代表として何かを表明するっていうのがすごく苦手です。
通訳っていう仕事は、誰かの言葉を代理で表明しているわけですが、それとこれとは全然違う。
自分の意志がほんとうに、国の行政方針なり会社の経営方針に完全一致し、それが正しい、当たり前だと信じて、働ける人たちはすごいなぁって思います。私にはたぶん、できない。辛口な人で生意気だから。
いっくら給料が高くても、がんじがらめの規則に縛られ、時間も融通がきかないとなると、長期間はもたないと思います。長くて1年、我慢できるかどうか・・・
普段からふらふらしてるから、信念を貫くというほどの硬い信念も持ってないし、規則正しく生きることが当たり前っていうふうになれない。駄目だなぁ・・・
ストレスをためやすいし、すぐイライラってするし、、、
となると、日本で働くこと自体がもはや、無理無理ーってことか?
といいつつ、ハードルが高く、試練や困難が多ければ多いほど、自分の成長材料っていうとらえ方でファイトを燃やしちゃうっていうのも、自分のキャラの一部なのです。
普通の事務職やルーティーンな仕事っていうのも向かないって思うんだけど、案外やってみれば、作業効率をあげるためのデスクワークの秘訣とかを見出して、バリバリがんばっちゃうかもしれません。
でもね、変化がない職場はたぶんだめ。お互いがお互いを批判し合っているような職場も耐えられないかな。表面上はにこにこして、内心ストレスが充満してくすぶっている人が多い職場も、やっぱり厳しいなぁ。
仕事自体は、どういうものであったとしても、基礎を教えてもらえれば大抵のことはできるって思うんだけど、職場環境の雰囲気や一緒に働く人の人生哲学や価値観が自分とまるで違ってる場合、じわじわとストレスがたまって、いつかトンデモナイ壊滅的な形で爆発しちゃうと思います。
自分がそういう向かない職業を選ばずに済んだこと、それなりにのんびりとモンゴルで自分の能力を最大限に生かそうって奮闘できる仕事が与えられていること、取り組める課題があることに感謝です。
仕事自体があまり多くないので、なるたけ「自分には無理」って自分からせっかく投げかけられた球をかたくなに跳ね返さず、まずは受け止めて、全力投球できるような柔軟さやしなやかさ、たくましさをもうちょっとグレードアップしてもいいかなあ、って思ってます。
モンゴルで活動するだけなら、今の私のバイタリティで十分って気もするけれど、今後はやはり、日本にも拠点がある状態って大事だろうなぁって思ったり、せっかく英語も不自由してないんだから市場範囲を限定せずに世界を相手にする、ぐらいの気構えでビジネスに取り組めるようになったら、今よりもっと楽しいかもしれぬ。
そうはいっても、今のままで十分楽しいんだけどね。
結局、仕事も恋も「縁」って大事。私が望んでいれば、それは必ず、実現するし、チャンスを引き寄せることができるけれど、「無理」って思ってしまったら、そういうことは実現しないものなのです。
今やってることが、今の私にとっての最高であり、それ以外は多分、今の私には向いていない、あるいは必要のない職業、仕事ってことになるのかな?
ともあれ、なんでも試してみたい、チャレンジしてみたいっていう気持ちも、まだまだたっぷり残っているから、来年はもっと違ったことに取り組んでるかもしれません。。。