新型インフルエンザ患者、ひとたび、カミングアウトしちまったら、続々と出るわ、出るわ。

今のところ、学校閉鎖まではいたらぬようですが、保育園、幼稚園などでは、一部、閉園措置を採り始めているようです。

街行く人たちも、8割方マスク着用。

マスクといっても、おしゃれへのこだわりは、もしかしたら、渋谷を闊歩する若者以上ではないか、というほどのオシャレさんのウランバートルっ子のことです。(渋谷ではなく、おばあちゃんの原宿・巣鴨っぽいラメとか紫とか極彩色とか、ちょっと私の感覚のおしゃれとはずれてるんだけど)

ただの白いガーゼのマスク、とかではないのです。

ショッキングな真紅とか、チェックとか。

日本でも、キティちゃんマスクとかいろいろデザインマスクが登場していましたが。

それにしてもマスクといえば、2003年のSARS流行時の苦い経験が甦ります。

当時は、旅行会社を立ち上げて2年目だったから、「旅行業の王道はパックツアーの団体受け入れでしょう」と張り切っていた私が、GW過ぎで早くも、大手旅行代理店の手のひら返しのすごさ、あー、こんな風に下請けはバッサリとあっさり切られてしまうのだ、と辛酸をなめるハメとなった病気がSARSでした。

なんだかよくわからんウィルス性感染症SARSに感染、発症した患者を中国側が列車でモンゴルに送り返してきた挙句の蔓延。重症患者は結局6名で、二桁にすら行かず、死亡者も出なかったのに、英国の某王手報道機関が、中国領土内の内モンゴルと、モンゴル国を勘違いして、「SARS感染者2名死亡」というとんでもない誤報をしたせいで、GWがあけた途端に、外務省の海外安全情報で、「渡航の是非検討」という危険レベルが発動され、それをうけて、王手旅行会社は「いつ解除されるかもわからないので、お互いに傷は浅いうちに・・・」とか言われて、キャリアの薄いわが社はばっさり、百名余りもの大口契約をあっさりと破棄されちゃったのでした。

悔しさとやることのなくなった手持ち無沙汰で始めたのが、養蜂とSARS情報掲示板でした。

今は、更新しようとして手続きミスで更新どころか、本来のホームページすら出せなくなっちゃってる弊社ホームページですが、当時は、ちゃんとウェブ作成につよい日本人の男性が立派なホームページをつくってくれて、しかも、更新作業が簡単な掲示板もつけてくれてたので、毎日、毎日、感染症リサーチセンターとWHOのウランバートル支部、ザミンウドなどの国境のWHO調査チームの詰め所などに電話をしては状況確認をしていたのでした。

今は、在モンゴル日本国大使館が、ホームページで最新情報を広報してくださっているので、こういうちまちました作業はしないで済んでいます。在モンゴル日本国大使館ホームページはココからどうぞ。

今となっちゃ、ちまちました作業、ですが、当時の私にとっては、来る日も来る日も、お金になる仕事はこない、ホームページでの問い合わせもない、アクセス数自体も下がってる、、、とちっとも明るいことがない日々が、掲示板情報のおかげで、1日500件ー1000件ものアクセスとなったので、感染症に対する人々の関心の高さに驚いたり、感謝したりしたのでした。

SARS流行当時、モンゴル国では、マスクが品薄になったため、ウランバートル市は、「マスク製造業の起業には助成金を出す」という異例の措置をしたため、当時、人口260万人程度、ウランバートル市の人口も60万人ぐらいと言われていたときに、数百から千軒近くの中小マスク工房が誕生したのでした。

あのマスク工場、どうしちゃったのでしょうね。

新型インフルエンザというこの国ではまだワクチンもなければ、決定的な治療法も確保できていない状況で、予防策として今こそ、あのSARS騒動で誕生したマスク工場がフル稼働できるチャンスなのに・・・。

どうも、ここのところ、再び、マスク品薄状態が続いているようです。

私は、といえば、鳥インフルエンザ調査のときにいただいたマスクだけでなく、なんか粉塵マスクとか、いろいろ大小取り揃えているので、とりあえず、この冬はガナー君、子狐の分含めても、なんとかまかなえそうなくらいのストックを確保できております。

あとは、手洗い、うがいの徹底ですね。
石鹸を使っての手洗い、うがいは、岩塩水やイソジンのうがい薬を使い、かつ加湿器の出動、掃除機をマメにかけるなどの対策をとっています。

マスクは予防の決定打というよりは、消極的な方法で、むしろ、病気にかかってしまった人が、飛沫感染を広げないためにとるエチケットみたいなもの。息苦しさでついついマスクを外しがちですが、人ごみの中ではやはりマスク着用を心がけようと思います。

これからの季節、モンゴルにお仕事やレジャーでいらっしゃる方は、たっぷりマスクをご持参くださいませ。