草原生活、空っぽの4枚ハナのゲルというミニマムからスタートしています。

とげとげだらけの木がむき出しの床にキャンプ用のエアマットをしき、シュラフでねていた日々。
それが先日、家畜小屋作りの際にあまった瓦用の段ボール箱を開いたものを組み合わせて断熱マットとし、さらにカーペットを敷く、というように進化。

カーペットは、ガナー君の元妻とのあまーい新婚ゲル生活時に購入したもの。
気の毒なことに、小さなゲルで親子3人の新婚生活は、1年ちょっとで崩壊しちゃったため、カーペットは埃をかぶっていたもののほぼ新品。切ないのぉ。
ここんとこ出費が重なっているので、こういう私にとっては、けっして歓迎しがたい思い出の逸品も導入せざるをえません。ま、いいんだけどね。物には罪がないわけですし。

今のほうが、きっと幸せだよ。うん。

食器等は、国内旅行の時にもって行くキャンプ用具。これらは私が以前買ったもので、古ぼけてはいるけれど、結構使い勝手はよろしい。さらに、カフェ・アンドという私が経営していた旅人カフェを閉鎖した時に引き取ったスプーンやフォークなどの食器類もあります。

基本的に、家財道具は、すべて、ありもの。コストゼロでなんとかやろうね、って感じでした。

でも、、、私とガナー君が冬の間中、あるプロジェクトの仕事をいただけることになったため、草原移住生活は少し棚上げ状態に。

そこで張り切っているのがガナー君ママ。
市場経済化直後、まだガナー君パパが元気でご存命だった頃に新天地を求めて訪れた、今の放牧地に戻れるってことで、「私がいることにするわ」と。

でも、ママも64歳。独り暮らしってわけにはいかないのですが、まぁ、これがまた大変。

嫁・姑問題は、やはりどこの国でも同じなようです。

幼き頃、家族旅行で父の実家に行く度に、母が父方の祖母に、いろいろとキッツイことを言われたり、家事のやり方の違いとかで、ねちねちとした「指導」を受けてたりするのを、気の毒だなぁ、とか時にはむかっぱらすら立ててしまっていた私ですが、いざ、自分がそういう「嫁的」立場になってみて、母がひとっことも口答えすることなく、したがっていたことの偉大さというか辛抱強さをつくづくと思い知らされるのです。

決して、悪気はないのだろうけれど、やはり子供9人を産み育てた屈強の母。名誉お母さん1等勲章まで国から受勲している人です。くさっても母は強し。くさってないけどね。

で、すっかり草原移住にやる気マンマンで、「鏡台が必要だ!ソファベッドを持ってきて。食器棚をどうして持ってこないのよ!」とラブワゴンしか車はないというのに、引越しトラック何台分?という家財道具を持ってくるように指示するのです。

でも、今、ガナー君の実家にあるママの家具を草原に持ってきてしまうと、実家に暮らしている「出戻り娘2人」が困ってしまうのです。それに、4枚ハナの小さなゲルですから、そんなに大型家具は入らない。

そういえば、遊牧民のゲルにいくと、食器棚、鏡台、仏壇、テーブルと椅子、ベッド、ストーブ、手洗い用の手水台などは定番家具としてあるのでした。それに、最近は、風力&太陽光発電&充電器セットとテレビとパルックみたいな節約型電球がセットになってる「遊牧民応援グッズ」が導入されている。

ママが「人並みの生活をしたい」となると、そういったものを要求してくるのは当然の話といえば当然の話。

冬にむかって、日に日に暗くなるのが早くなっている昨今、ロウソクの光だけっていうのは、ムードはあっても、実際には何かと不便なのです。不便って意識しなければどってことないんだけれど、ひとたび、誰かが「ない」ということを不満として口に出した途端に、とても不自由なみすぼらしいっていう意識が人々の間に電線するのです。

あれも、これも置ききらないよなぁ、っていう思いと共に、もはやこのゲルは「私のゲルではなくなるのかなぁ」といった意識がもたげてしまいました。

私もガナー君もそれほど物欲がないほうなので、ミニマムな不便さもまた、「これからがんばる2人」的に楽しめてたのですが、長続きさせるっていうことを考えると、また考えちゃうのでした。

ママの気持ちもよくわかるのですが、いかんせん、経済的な余裕もないし、あっても、スペースがないし、そして、何よりも、私自身が、なんとなく、「ずーっとこの人と嫁・姑的関係を円満で波風たたない状態で継続しながら、ガナー君との幸せを築いていくことは難しい」という考えを持ってしまっているのです。

お年寄りでも、そうでなくても、ある程度の暮らしレベルになっていると、それをいきなり落とすのは難しいと思います。そこでないものねだり、ではなく、あるべきものをあるようにしたい、という欲求が自己主張という形で出てきちゃうのです。とはいえ、ママも年金生活の人だし、その年金も「出もどり娘」の長女の子供たちの教育費とかなんやかんやと働いていない長女の家族のために使っちゃってるから、実質収入ゼロの状態。

つまりは、私がお姑さんもガナー君のお姉さんである長女とその子供3人の生活費を捻出しなければいけない事態が、こんご半永久的に続いてしまう、ということを意味するのです。

それは勘弁、というのが本音。

いっくらいい人を貫こう、と思ったところで、できる我慢とできない我慢があり、するべきでない我慢というのがある、というのが現実です。

私は長い間、独りで築き上げてきた生活ペースを、ガナー君と彼の連れ子の子狐によって、すでに十分すぎるほどにかき乱され、なんとかかんとか順応しようと必死で試行錯誤をしている最中。

さらに姑さんまで、ずっとベッタリで、家事の一切、子育てのあれこれ全てに「指導」の口や手が伸びるだけでなく、その伸びる範囲が私の会社の仕事にまで広がる、というのは、耐え難い状況なのです。

収入があろうがなかろうが、ある程度の分相応、幸せを築くのに適正な生活レベルにあわせたコストというのがあります。
入ったら入った分だけ、家族なりその親族なりに使うのが当然、という考え方はまっぴらごめんです。

結婚してようがしていなかろうが、結局、私は自分の老後の経済は自分で面倒みなきゃいけない。
それに私だって長女なのだから、日本の実家の両親になにかあったら、日本に飛んでいく覚悟です。

家族みんな、というのはもちろん、ガナー君のママや兄弟も含まれますが、経済的なところまでカバーするのが、当然、と寄生虫のように私にぶらさがれたら、きっと私はガナー君のかけがえのない愛情も何もかも投げ捨ててしまうでしょう。

どうすれば、いいのか?というベストアンサーはまだみつかっていません。

でも、ガナー君もここ数日の私とママとのやり取りを眺めてて、感じるところはあったようです。
ガナー君としても一度は崩壊し、全てを失った結婚生活に、再びチャレンジするってことで、いろいろ考えていることもあり、またママのあれも、これもというのが、財源一切が私独りを当てにしてる感じになってきちゃってることに懸念も覚えてきているから、ママに草原に行ってもらうのはやめて、何か別の方法を考えようか、とにかく兄弟会議にかけてみる、といってくれています。

草原での遊牧民生活というのは独りぼっちでは何も出来ない。
何よりも家族の一致団結と、それぞれが自分の役割をきっちりとまっとうすることがとても大事なのです。

そして、ないものねだりはしない、ということ。これも大事です。

半農半Xというのは、大体が、地方の田舎暮らしの中で、農牧業と兼業で別の現金収入源も確保することで生活を安定していくタイプのライフスタイルだと思うのですが、我が家の場合、拠点も生業も複数抱えることになってしまい、いざ、スタートしてみると、いろいろな無理やひずみが生じています。

ケチンボになるってことではなく、おさえるところはきっちろおさえ、出すべきコストにきっちりお金をかける、ということがとても大事で、冬の準備が万全ではない私達にとっては、家具を充実させることよりも、とにかく、家畜の越冬費を確保することに全力をかたむけなければいけない、という感じ。

ママ激怒の反応は容易に予想されるので、とにかくガナー君にうまいこと兄弟の間で根回しをして、いい塩梅に物事を調整してね、と外様になりはてた外国人は、ちょっぴり逃げ腰状態です。