昨夜、調達した資材は全部ともかく使った、ということで、冬営地の家畜小屋を建てに行っていた相棒のガナー君が我が家に戻ってきました。
私と入れ違いに彼の弟が手伝いに行く、はずが、知り合いのお母さんがなくなったとかで墓穴を掘ったり、埋葬のお手伝いに借り出される、ということで結局、ガナー君の孤軍奮闘となった土日とのこと。
手の豆が破れ、親指と人差し指のマタは両手ともにツルハシの握りすぎでボロボロ。
車のハンドルを持つのもヒリヒリと痛かったと、とっても痛々しい状況。
「15年前はぜんぜん平気だったのになー」といつまでも少年の気持ちでいますが、体は立派に三十代。
やせっぽちだし、最近、肉体労働してなかったものね。
雪が本格的になる前に、早く自分たちの羊やヤギを引き取り、種付けをせねばならない。
やらなきゃいけないこと、いっぱいです。
井戸屋さんの水源調査によると、やっぱり地下水といっても、10m程度掘れば出てくる土壌水はからからなので、岩盤ぶち抜いての60-70mの深井戸を掘らねばならないということが判明。
ひゃー、、、
深井戸の場合、ボーリングでの掘削作業があり、そしてモーターポンプで水をくみ上げねばなりません。
水質検査やポンプ、ポンプ設置など、つまりは井戸を井戸として使える状態にするところまで含めて、1mあたり80,000トゥグルグ。
60mで水が出れば、60x80,000tg=4,800,000tg。70mだと、5,600,000tg。
70m掘っても水が出なかった場合、水が出るまで掘り続けても、最大5,600,000tgでよい、という契約になり、半額を前払い。
今、日本円が強いので、最大でも35万円で70mの深井戸が作れるとのこと。
最近の掘削は結構、がんばるらしく、1-3日で井戸完成なんだそうです。
問題はそれだけの予算をためなければいけない。
そんな話をしてた朝、NHKワールドプレミアムでは、プロジェクトXの後継番組みたいな「プロフェッショナル」というその道のプロの日本人の活動やその人生哲学、プロフェッショナルとしての信条を紹介する番組で、日本のカリスマ酪農家・三友盛行さんの回をやってました。
40数年前に北海道に入植して始めた酪農。
夏の間は、乳牛は朝から晩まで自然放牧。つまりは放牧地の草を餌とする。モンゴルと同じような感じですね。
冬は干草。飼料用牧草地の草を刈り取り、乾燥させるまでに晴れ間が3日間必要なんだそうです。
腰まで伸びてるネコジャラシとかいろんな草が風にたなびいている。
いいなぁ。。。ガナー君の放牧地も13年前まではそんなだったそうです。
3m掘れば水が出るし、放牧地のここそこで泉が湧き出ていて、水が流れる小川があり、馬車のタイヤに絡まった草で動けなくなるほどだったとか。
そんな話ですが、今はからからの大地。
夏は私の目からみれば、恵まれた牧草地だったけど、ガナー君たちからすると、荒れ果てた土地に見えていた。
北海道の自然とモンゴルのそれは共通点が多いので、北海道の話題は、わりと勉強になるのです。
家畜の数を増やすのではなく、放牧地の草地力にあわせて生産力の高い家畜を飼育することで、コストダウンと共に利益率のアップを目指す。自然のおこぼれをもらう、という意識。
モンゴルでは当たり前のことでも、輸入穀物飼料でがんがん肥育したり、畜舎に閉じ込めて、ミルク生産ロボットみたいに、ただひたすら、食ってるだけ、ミルクを出すだけ、というコストが高いが生産力も高い、という近代的集約的酪農からの脱却。頭数を減らすということは、試行錯誤の末の勇気だったのですね。
高い技術を持った上で、自然と向き合って、寄り添って、共生してこその農民、、、そうだよねぇ。
モンゴルでにわか牧民を目指す私としては、厳しいけれど、そのわくわくとした生き様。
自分が当たり前に感じてたことでも、他人が、しかもカリスマ酪農家と称される人がテレビを通じて語っていることなどで、心強く感じたりして。
家畜小屋作りは、あと2-3日は続くみたいです。
囲い部分は完成したので、あとは屋根の半分を葺けば終わり。。。
屋根部分の材木は建築廃材を調達し、その上にダンボール箱など捨てられてるものを集め、さらに10年前に置き捨てたガナー一家の冬営地跡の家畜糞のピート(ボーツ)を屋根の上にのせる。
かなり低コストで家畜小屋を作れていると思います。
干草の刈り取りは、コンバイン。そして、干した草をくるくるっとロール状に集めてぽこんと出せる。
いいなぁ、この機械。
私たちは、しばらくの間は、死神の鎌みたいなもので、ひたすら手で刈り取る生活になると思います。
今年は、1塊が1,500-3,000tgの干草をトラックで1トン弱くらいと、フスマとビール用の絞り粕を厳寒期に購入する、という感じです。
草とフスマのような穀物飼料、野菜くず、そしてミネラル分として岩塩。
あとは水の問題。
この水が出なかったおかげで、比較的、草の状態がよいにもかかわらず、多くの人がいつかなかった私たちの牧場。
早くもお隣さんに、去年越冬した家族が家畜をつれて引っ越してきました。
「水がないから、ここには来たくはなかったけれど、家畜小屋を作ってしまったから」なんて言っています。
1998年にガナー一家がゲットした15年間の放牧地占有権の権利証は、放牧地の占有権にかかわる法律改正があったから、「そんなの無効だ」とハナでせせら笑ったお隣さん。
あー、こんな奴らとお隣さん。しかも、今年はずっと私もガナー君もウランバートルでの仕事がびっちりになりそうなので、報酬を払って、放牧管理をまかせなければいけなくなっている。
水がないから、いつかない、と思ってたけど、私たちが井戸を掘ってしまったら、なんだかんだと居座ってしまうのではなかろうか。私が出したお金で作った井戸を、当たり前のように彼らが使う・・・うーん、納得しきれない。
けちんぼ、と思うかもしれないけれど、5,600,000tgという額は私にとっては、気軽にぽんと出せる額ではない。そして、放牧地を使っていながら、ちっとも維持管理のための努力を払わず、家畜にとって危険なワイヤーやら鉄くずなんかを平気であちこちに捨てっぱなしにしている人たちに、私たちが骨折りして工面したお金で作る井戸を我が物顔で使われたくないというのは人情ではなかろうか。
どれだけ水源のポテンシャルがあるかもわからないし。
とはいえ、正直言ってしまえば、これから3年間ぐらいは家畜の生産力だけに頼って暮らすことは不可能だから、私は都会での仕事で稼がなければいけませんから、「自分のもの」と独り占めで意地を張っていては家畜の維持ができないのです。
のんびり、といいつつも、そこには様々な経験を積み重ね、収支バランスもそれなりの生活レベルを保てるだけのものにしてからじゃないと、そういう境地には至らないだろうな。
自然と向き合うということは、いいことばかりじゃなくて、厳しさや攻撃的な自然現象にも立ち向かい、くじけないだけの知恵と勇気と体力と、そしてインフラを確保してこそできる、すごく全身全霊的な生産活動なのだなぁ、とガナー君のボロボロになった手に抱かれながら思ったのでした。
私と入れ違いに彼の弟が手伝いに行く、はずが、知り合いのお母さんがなくなったとかで墓穴を掘ったり、埋葬のお手伝いに借り出される、ということで結局、ガナー君の孤軍奮闘となった土日とのこと。
手の豆が破れ、親指と人差し指のマタは両手ともにツルハシの握りすぎでボロボロ。
車のハンドルを持つのもヒリヒリと痛かったと、とっても痛々しい状況。
「15年前はぜんぜん平気だったのになー」といつまでも少年の気持ちでいますが、体は立派に三十代。
やせっぽちだし、最近、肉体労働してなかったものね。
雪が本格的になる前に、早く自分たちの羊やヤギを引き取り、種付けをせねばならない。
やらなきゃいけないこと、いっぱいです。
井戸屋さんの水源調査によると、やっぱり地下水といっても、10m程度掘れば出てくる土壌水はからからなので、岩盤ぶち抜いての60-70mの深井戸を掘らねばならないということが判明。
ひゃー、、、
深井戸の場合、ボーリングでの掘削作業があり、そしてモーターポンプで水をくみ上げねばなりません。
水質検査やポンプ、ポンプ設置など、つまりは井戸を井戸として使える状態にするところまで含めて、1mあたり80,000トゥグルグ。
60mで水が出れば、60x80,000tg=4,800,000tg。70mだと、5,600,000tg。
70m掘っても水が出なかった場合、水が出るまで掘り続けても、最大5,600,000tgでよい、という契約になり、半額を前払い。
今、日本円が強いので、最大でも35万円で70mの深井戸が作れるとのこと。
最近の掘削は結構、がんばるらしく、1-3日で井戸完成なんだそうです。
問題はそれだけの予算をためなければいけない。
そんな話をしてた朝、NHKワールドプレミアムでは、プロジェクトXの後継番組みたいな「プロフェッショナル」というその道のプロの日本人の活動やその人生哲学、プロフェッショナルとしての信条を紹介する番組で、日本のカリスマ酪農家・三友盛行さんの回をやってました。
40数年前に北海道に入植して始めた酪農。
夏の間は、乳牛は朝から晩まで自然放牧。つまりは放牧地の草を餌とする。モンゴルと同じような感じですね。
冬は干草。飼料用牧草地の草を刈り取り、乾燥させるまでに晴れ間が3日間必要なんだそうです。
腰まで伸びてるネコジャラシとかいろんな草が風にたなびいている。
いいなぁ。。。ガナー君の放牧地も13年前まではそんなだったそうです。
3m掘れば水が出るし、放牧地のここそこで泉が湧き出ていて、水が流れる小川があり、馬車のタイヤに絡まった草で動けなくなるほどだったとか。
そんな話ですが、今はからからの大地。
夏は私の目からみれば、恵まれた牧草地だったけど、ガナー君たちからすると、荒れ果てた土地に見えていた。
北海道の自然とモンゴルのそれは共通点が多いので、北海道の話題は、わりと勉強になるのです。
家畜の数を増やすのではなく、放牧地の草地力にあわせて生産力の高い家畜を飼育することで、コストダウンと共に利益率のアップを目指す。自然のおこぼれをもらう、という意識。
モンゴルでは当たり前のことでも、輸入穀物飼料でがんがん肥育したり、畜舎に閉じ込めて、ミルク生産ロボットみたいに、ただひたすら、食ってるだけ、ミルクを出すだけ、というコストが高いが生産力も高い、という近代的集約的酪農からの脱却。頭数を減らすということは、試行錯誤の末の勇気だったのですね。
高い技術を持った上で、自然と向き合って、寄り添って、共生してこその農民、、、そうだよねぇ。
モンゴルでにわか牧民を目指す私としては、厳しいけれど、そのわくわくとした生き様。
自分が当たり前に感じてたことでも、他人が、しかもカリスマ酪農家と称される人がテレビを通じて語っていることなどで、心強く感じたりして。
家畜小屋作りは、あと2-3日は続くみたいです。
囲い部分は完成したので、あとは屋根の半分を葺けば終わり。。。
屋根部分の材木は建築廃材を調達し、その上にダンボール箱など捨てられてるものを集め、さらに10年前に置き捨てたガナー一家の冬営地跡の家畜糞のピート(ボーツ)を屋根の上にのせる。
かなり低コストで家畜小屋を作れていると思います。
干草の刈り取りは、コンバイン。そして、干した草をくるくるっとロール状に集めてぽこんと出せる。
いいなぁ、この機械。
私たちは、しばらくの間は、死神の鎌みたいなもので、ひたすら手で刈り取る生活になると思います。
今年は、1塊が1,500-3,000tgの干草をトラックで1トン弱くらいと、フスマとビール用の絞り粕を厳寒期に購入する、という感じです。
草とフスマのような穀物飼料、野菜くず、そしてミネラル分として岩塩。
あとは水の問題。
この水が出なかったおかげで、比較的、草の状態がよいにもかかわらず、多くの人がいつかなかった私たちの牧場。
早くもお隣さんに、去年越冬した家族が家畜をつれて引っ越してきました。
「水がないから、ここには来たくはなかったけれど、家畜小屋を作ってしまったから」なんて言っています。
1998年にガナー一家がゲットした15年間の放牧地占有権の権利証は、放牧地の占有権にかかわる法律改正があったから、「そんなの無効だ」とハナでせせら笑ったお隣さん。
あー、こんな奴らとお隣さん。しかも、今年はずっと私もガナー君もウランバートルでの仕事がびっちりになりそうなので、報酬を払って、放牧管理をまかせなければいけなくなっている。
水がないから、いつかない、と思ってたけど、私たちが井戸を掘ってしまったら、なんだかんだと居座ってしまうのではなかろうか。私が出したお金で作った井戸を、当たり前のように彼らが使う・・・うーん、納得しきれない。
けちんぼ、と思うかもしれないけれど、5,600,000tgという額は私にとっては、気軽にぽんと出せる額ではない。そして、放牧地を使っていながら、ちっとも維持管理のための努力を払わず、家畜にとって危険なワイヤーやら鉄くずなんかを平気であちこちに捨てっぱなしにしている人たちに、私たちが骨折りして工面したお金で作る井戸を我が物顔で使われたくないというのは人情ではなかろうか。
どれだけ水源のポテンシャルがあるかもわからないし。
とはいえ、正直言ってしまえば、これから3年間ぐらいは家畜の生産力だけに頼って暮らすことは不可能だから、私は都会での仕事で稼がなければいけませんから、「自分のもの」と独り占めで意地を張っていては家畜の維持ができないのです。
のんびり、といいつつも、そこには様々な経験を積み重ね、収支バランスもそれなりの生活レベルを保てるだけのものにしてからじゃないと、そういう境地には至らないだろうな。
自然と向き合うということは、いいことばかりじゃなくて、厳しさや攻撃的な自然現象にも立ち向かい、くじけないだけの知恵と勇気と体力と、そしてインフラを確保してこそできる、すごく全身全霊的な生産活動なのだなぁ、とガナー君のボロボロになった手に抱かれながら思ったのでした。