ブログネタ:あなたの髪の色は? 染めたことある? 参加中どこの国で髪の毛切っても、髪質と日本人特有とさえ世界では思われている黒髪はほめられます。
生まれてからこのかた、染めたことはありません。
パーマもかけたこと、ありません。
チッチャイ頃は、3歳くらいまでほとんど毛が生えず、ようやく生えてきた産毛は、金髪に近い栗毛色で、しかも腰のないフワフワの天パーがちょろちょろって感じだったそうです。
産毛をそるとよい黒髪になる、という話もあったそうですが、あまりの髪の量の少なさと、生え方の頼りなさに、「これでそったら、生えてこないかも」と心配した両親が、幼稚園に上がるまで、毛糸の帽子をかぶせて、ほっといたので、子供の頃はロングヘアーでした。
栗色の髪に、アジア人もびっくりのへんぺーな顔、ちっちゃいたれ目で、それはそれは、髪の毛と顔がマッチしない、見栄えの悪い子供でした。
なんで、黒くなったのかはよくわからないのですが、多分、小学校3年生の時の担任の先生が病気療養になったためにやってきた臨時採用おじいちゃん先生が、長髪は、堕落した女の象徴、とかいうわけのわからない主義主張の人で、教室でいきなり、ざっくりばっさり、おかっぱに切られちゃってから、なのかなぁ?
当時は茶髪の子供なんてそうそういないし、おまけに巻き毛なわけですから、臨時採用の戦前のおじいちゃんの格好のターゲットです。
水泳教室でバリバリ塩素にさらされた髪は、普段の髪がさらに脱色したような感じだったから、おじいちゃん先生のいうところの「堕落の象徴」だったのでしょう。
今、こんな暴挙に出たら、多分、親がだまってない、とか教育委員会が、、、とかになるんでしょうけれど、私も唖然としたけれど、両親も、「ま、しょうがないんじゃない」という感じで、スルー。
でも、その後、しばらくして、私の髪は、腰のある黒髪に変わってきたんだから、人間のからだってわからないもんです。目の色とかも鳶色で、色素が全体に薄かったのですが、体質って変わるんですね。
大学生の時は、髪の毛を伸ばしてました。
モンゴルだとストレートロングヘアーはモテるのです。
髪の腰がしっかりしてるから、ただゴムで縛っておいても全然痛まなかったです。
テレビ製作会社に入って、仕事が忙しくなったこともあったのですが、まぁ、いろいろあって、突如、髪をばっさり切ろうッと思い立ちました。
失恋とかそういうことじゃなかったんだけど、髪を切った翌日は、会社の人、騒然でした。
男と女の色恋沙汰といったゴシップネタが大好物な人たちばかりだったので、しばらくは、どうした、こうした言われましたが、会社員時代は、ほんと、精神的な余裕もなくて恋愛モードは完全オフでした。
髪の毛切ると、シャンプーの消費量が激減することに気づいて、感動でした。
でも、会社辞める直前は、精神的ストレスで円形脱毛症で、ほとんど髪の毛、なくなって、とても哀しいというか恐怖を味わいました。会社の人にここまで追い詰められるというのは自分は弱いなぁって。
でも、帽子だけかぶって、ケロリンパと仕事してましたけど。
まぁ、そんなこんなで、髪の毛に愛着があるんだか、ないんだか、よくわからないけれど、髪の毛というのは、ほっとくのが一番健康的になるような気がしています。
黒っていっても、疲れてくるとやっぱり色がくすんでくる気がするし、ばさばさになってくる。
トリートメントを変えるとか、ヘアケアをどうのってことじゃなくって、食生活や仕事量、睡眠とか精神状態といった生活管理のほうが、よっぽど大事なんだなぁって実感するアラフォーでございます。
子供の頃、髪の毛が真っ黒になってからも、疲れたり、哀しいことが続いたりしたときに、一箇所というか一掴み分だけ金髪になってしまう場所が前頭葉あたりにあります。
最近は金髪じゃなく、白髪になるので、それもまた、よる年波ってやつなのね、って思うんだけど。
母が以前は真っ黒だったのが、今はすごい白髪が増えて、ブルーグレーみたいな感じになっています。
あこがれの女性・エッセイストで写真家の渡辺一枝さん(作家・椎名誠さんの奥様でもあります)も、ほんと、お化粧もほとんどしないスッピンで髪の毛も椿油で洗うくらいでとてもナチュラルに暮らしていらっしゃるのに、美しい自然なシルバーグレーで和服にも、旅装束にもよく似合っていらっしゃるので、私もそんな風に年を重ねられたらいいなぁ、、、って思います。
パーマも髪を染めるのも、ひとたび、そういう世界に入ると、ずーっとパーマをあて、髪を染め続けなきゃいけなくなりそうで、どうしても、チャレンジしたいって気になれません。
「なんにもしないのに、いい髪!」って美容師さんに褒められるのも嬉しいっていうこともあるけれど、髪が自分の健康バロメーターだってことも、「なんにもしない」理由のひとつかもしれません。
生まれてからこのかた、染めたことはありません。
パーマもかけたこと、ありません。
チッチャイ頃は、3歳くらいまでほとんど毛が生えず、ようやく生えてきた産毛は、金髪に近い栗毛色で、しかも腰のないフワフワの天パーがちょろちょろって感じだったそうです。
産毛をそるとよい黒髪になる、という話もあったそうですが、あまりの髪の量の少なさと、生え方の頼りなさに、「これでそったら、生えてこないかも」と心配した両親が、幼稚園に上がるまで、毛糸の帽子をかぶせて、ほっといたので、子供の頃はロングヘアーでした。
栗色の髪に、アジア人もびっくりのへんぺーな顔、ちっちゃいたれ目で、それはそれは、髪の毛と顔がマッチしない、見栄えの悪い子供でした。
なんで、黒くなったのかはよくわからないのですが、多分、小学校3年生の時の担任の先生が病気療養になったためにやってきた臨時採用おじいちゃん先生が、長髪は、堕落した女の象徴、とかいうわけのわからない主義主張の人で、教室でいきなり、ざっくりばっさり、おかっぱに切られちゃってから、なのかなぁ?
当時は茶髪の子供なんてそうそういないし、おまけに巻き毛なわけですから、臨時採用の戦前のおじいちゃんの格好のターゲットです。
水泳教室でバリバリ塩素にさらされた髪は、普段の髪がさらに脱色したような感じだったから、おじいちゃん先生のいうところの「堕落の象徴」だったのでしょう。
今、こんな暴挙に出たら、多分、親がだまってない、とか教育委員会が、、、とかになるんでしょうけれど、私も唖然としたけれど、両親も、「ま、しょうがないんじゃない」という感じで、スルー。
でも、その後、しばらくして、私の髪は、腰のある黒髪に変わってきたんだから、人間のからだってわからないもんです。目の色とかも鳶色で、色素が全体に薄かったのですが、体質って変わるんですね。
大学生の時は、髪の毛を伸ばしてました。
モンゴルだとストレートロングヘアーはモテるのです。
髪の腰がしっかりしてるから、ただゴムで縛っておいても全然痛まなかったです。
テレビ製作会社に入って、仕事が忙しくなったこともあったのですが、まぁ、いろいろあって、突如、髪をばっさり切ろうッと思い立ちました。
失恋とかそういうことじゃなかったんだけど、髪を切った翌日は、会社の人、騒然でした。
男と女の色恋沙汰といったゴシップネタが大好物な人たちばかりだったので、しばらくは、どうした、こうした言われましたが、会社員時代は、ほんと、精神的な余裕もなくて恋愛モードは完全オフでした。
髪の毛切ると、シャンプーの消費量が激減することに気づいて、感動でした。
でも、会社辞める直前は、精神的ストレスで円形脱毛症で、ほとんど髪の毛、なくなって、とても哀しいというか恐怖を味わいました。会社の人にここまで追い詰められるというのは自分は弱いなぁって。
でも、帽子だけかぶって、ケロリンパと仕事してましたけど。
まぁ、そんなこんなで、髪の毛に愛着があるんだか、ないんだか、よくわからないけれど、髪の毛というのは、ほっとくのが一番健康的になるような気がしています。
黒っていっても、疲れてくるとやっぱり色がくすんでくる気がするし、ばさばさになってくる。
トリートメントを変えるとか、ヘアケアをどうのってことじゃなくって、食生活や仕事量、睡眠とか精神状態といった生活管理のほうが、よっぽど大事なんだなぁって実感するアラフォーでございます。
子供の頃、髪の毛が真っ黒になってからも、疲れたり、哀しいことが続いたりしたときに、一箇所というか一掴み分だけ金髪になってしまう場所が前頭葉あたりにあります。
最近は金髪じゃなく、白髪になるので、それもまた、よる年波ってやつなのね、って思うんだけど。
母が以前は真っ黒だったのが、今はすごい白髪が増えて、ブルーグレーみたいな感じになっています。
あこがれの女性・エッセイストで写真家の渡辺一枝さん(作家・椎名誠さんの奥様でもあります)も、ほんと、お化粧もほとんどしないスッピンで髪の毛も椿油で洗うくらいでとてもナチュラルに暮らしていらっしゃるのに、美しい自然なシルバーグレーで和服にも、旅装束にもよく似合っていらっしゃるので、私もそんな風に年を重ねられたらいいなぁ、、、って思います。
パーマも髪を染めるのも、ひとたび、そういう世界に入ると、ずーっとパーマをあて、髪を染め続けなきゃいけなくなりそうで、どうしても、チャレンジしたいって気になれません。
「なんにもしないのに、いい髪!」って美容師さんに褒められるのも嬉しいっていうこともあるけれど、髪が自分の健康バロメーターだってことも、「なんにもしない」理由のひとつかもしれません。