ブログネタ:『1Q84』読んだ? 参加中モンゴルからの一時帰国が急遽決まり、発売直後から入手すらできない!とまでニュースで取り上げられるほどの爆発的な売れ行きだった久々の村上春樹作品「1Q84」を本日購入しましたよー。6月23日現在で第8刷!上下巻本の単行本としては、すさまじい勢いですよね。活字離れとか、本が売れないっていわれているこの時代に、これだけの短期間での大ヒットを記録する純文学作品ってすごい。
村上春樹さんの作品というのは、時代性があるような、ないような、でも、すごくビビッドで、いつまでも「僕」をはじめ、主人公が若々しいのです。自分がその年齢じゃなくても、「そんな気持ちになる」ことができる説得力というか不思議な力が、その文章にはあるのです。
初めての村上春樹さん作品は、「風の歌を聴け」でした。
その題名にひかれて、思わず手にとっちゃったのです。
高校生の時でした。アメリカから帰ってきたばかりで、なんとなく日本語が不自由で、ぎこちなく、アメリカでも1、2位を争うであろうくらいの過疎の田舎町から、いきなり日本の首都・東京なんかに戻ってきちゃった私が、日本語や日本の空気になじむために、「風の歌を聴け」を読む時間は、私にとってすごく必要だったのです。
村上春樹さんの文学作品はどれもそうなんだけど、日本語で読む味わいとともに、いったん、頭の中で英語に変換してから読むことでしみわたってくるというとても不思議な作品です。
英作文とも違うんだけど、英語版も数多く出ているから読み比べてみるとわかると思います。
海外小説の翻訳本を読んだときの、ちょっと不思議な日本語感覚のちょうど鏡を通した裏返しみたいな、違和感とも違う、でもまったく同じ象とはいえない、ちょっとしたズレと味わいがあり、それがとても心地よいのです。
「風の歌を聴け」に出会った時は、中味も知らず、本のあらすじも読まず、衝動的に買っちゃったけど、それ以降の作品については、新刊本で買ったことはなかったし、しかも、たいてい、文庫本で、古本屋さんで買うか、最初に図書館で読み込んでから、という買い方でした。
そんな買い方しなくたって、村上さんの作品は絶対面白いんだけど、なんとなくそうなのでした。
「1Q84」だって、ほんとは図書館で読んでから、文庫本になってから読もうって思ってたのです。
新聞の書評欄で絶賛してても、ニュースで話題になってても、別にいいやって。
天の邪鬼なところもあるのです。
どうせ本屋さんにもおいてないんじゃないのー、なんて。
でも、今日、ひさびさに出歩いて、駅ビルの本屋さんに山積みになっているのを見て、つい立ち読みしちゃって、そのまま、上下巻揃えて買っちゃいました。
「1Q84」とは、1984年の9が英語のアルファベットのQに置き換えられているんですね。
今から、25年くらい前の話?
すごいな、そんな昔の話なのに、私はしっかり人格を持ったひとりの娘だったのです。
記憶鮮明なのです。あらーって感じです。
「風の歌を聴け」とか「ノルウェイの森」がまるで昔の話をのぞいているような他人事だったのに比べると、1984年ってとってもリアルなのです。
私はその時代、ちゃんと生きてたんだっていうこと。その同時代性みたいなものがとても不思議です。
最近の村上春樹作品というのは、実験的な感じのもの、特に時間の流れや「この世」の現実世界と異次元的なパラレルワールドのつなげ方っていうのが、とても文学的だなって思ってました。
変な話だけれど、それぞれ別々の作品として読めるんだけど、一つの文や単語の使い方、構成、登場人物が、どこかで一つの水脈でつながっているのです。バラバラに作品を分解して、証拠品みたいに並べると、「ほら、この事件、とあの事件はつながってますよ」と同一犯人だった!みたいな・・・
「1Q84」はそういう要素要素の繋がりというものが、ふんだんにちりばめられている村上春樹作品の集大成、のような予感にはらんだ出だしです。
そして、主人公が二人、しかも男女で、女の方が先に登場しているっていうのは、初めてなんじゃないかしら?
去年、一時帰国中に買った村上春樹さんのエッセイみたいな「遠い太鼓」を読んで、彼自身のきわめてリアルな文学的な生活感や、その南欧滞在中の出来事が「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」に反映されている様子などがわかって、一段と作品に対する愛着や味わい、深みが増しました。
同じ村上でも、村上龍さんがいろんな別業界、異業種の人たちとの交流を公開していたり、テレビなどにも積極的に出て(ご自身の看板番組だって持ってる!)、自分の口で語るのとは違って、村上春樹さんは、その素顔も私はほとんど知らなかったし、マラソンやってるとか旅好きだとかっていっても、その旅が実にプライベートで、ほんとに旅行者的に取材をしているってことがとても不思議でした。
モンゴルにも「ノモンハン事件」の繋がりで、いらっしゃったけれど、その感想はむしろ・・・って感じだったけれど、とても簡潔でリアルなモンゴル旅の感想でした。味もそっけもないっていうか・・・
でも行った人にしか書けない感想なわけで。そういう意味でとてもリアルでしたね。
作品に自分の実体験が反映されているようでも、それはストレートに実体験なのではなく、村上春樹という生身のファクターを通して行われた行動が、村上春樹という人格、感覚によって熟成され、パラレルワールドで純文学的な発酵することによって作品となるということなんだろうなぁ。。。
彼自身の年の重ね方は、実にまっすぐで、じいさん臭くなるわけでも、若者ぶってるわけでもなく、実直に村上春樹的である、ということなんだろうなぁ、とエルサレムでの受賞会見のコメントで感じました。
歴史に残る名言だったと思います。
ノーベル文学賞の候補者リストに村上さん、載っているそうです。
ノーベル文学賞受賞作家の作品でも川端康成さんのは読めるけれど、なぜか私は大江健三郎さんの作品を完読できません。1冊として読破できないのです。読み進められない。なぜか?よくわからないけれど、そうなのです。面白くないわけではないと思うんだけれども、世界観がちっとも自分の中にしみこんでこない。
好き嫌いっていうのがあると思うのですが、村上春樹さんの作品は、実に日本的な日本人なんだけど、その文体、文章構成、単語、その他村上春樹的な要素によって、世界の人々と感覚を共有しながらも、「そういうもんかなぁ?」という村上春樹的な独自視点や独特の比喩、暗喩、記号論的な謎かけが秘められている気がします。
読み応えがあるっていうのは、すでに最初の30ページで確信しました。
なので、こっから先は我慢して、モンゴルでじっくり読む、のんびり旅の友にするためにとっておくことにします。
MIATモンゴル航空の重量制限は厳しいし、今回、ビデオカメラだの三脚だの夏用の衣類だの資料だのといろいろ持ち帰らねばならぬものが多く、決して気軽にってわけにはいかないんだけれど、ともかくもこの2冊は旅行鞄に入れて、長い長い海外滞在のおともにすべきほんである、と思うのです。
モンゴルに帰ってから読むのがとても楽しみです。待ちきれないなー。
あと4日だ・・・。
名残惜しいような気もするけれど、7月の仕事のこととか、愛犬のこととか、いろんなことを考えると早く戻りたい気もしています。
1Q84 BOOK 1/村上春樹村上春樹さんの作品というのは、時代性があるような、ないような、でも、すごくビビッドで、いつまでも「僕」をはじめ、主人公が若々しいのです。自分がその年齢じゃなくても、「そんな気持ちになる」ことができる説得力というか不思議な力が、その文章にはあるのです。
初めての村上春樹さん作品は、「風の歌を聴け」でした。
その題名にひかれて、思わず手にとっちゃったのです。
高校生の時でした。アメリカから帰ってきたばかりで、なんとなく日本語が不自由で、ぎこちなく、アメリカでも1、2位を争うであろうくらいの過疎の田舎町から、いきなり日本の首都・東京なんかに戻ってきちゃった私が、日本語や日本の空気になじむために、「風の歌を聴け」を読む時間は、私にとってすごく必要だったのです。
村上春樹さんの文学作品はどれもそうなんだけど、日本語で読む味わいとともに、いったん、頭の中で英語に変換してから読むことでしみわたってくるというとても不思議な作品です。
英作文とも違うんだけど、英語版も数多く出ているから読み比べてみるとわかると思います。
海外小説の翻訳本を読んだときの、ちょっと不思議な日本語感覚のちょうど鏡を通した裏返しみたいな、違和感とも違う、でもまったく同じ象とはいえない、ちょっとしたズレと味わいがあり、それがとても心地よいのです。
「風の歌を聴け」に出会った時は、中味も知らず、本のあらすじも読まず、衝動的に買っちゃったけど、それ以降の作品については、新刊本で買ったことはなかったし、しかも、たいてい、文庫本で、古本屋さんで買うか、最初に図書館で読み込んでから、という買い方でした。
そんな買い方しなくたって、村上さんの作品は絶対面白いんだけど、なんとなくそうなのでした。
「1Q84」だって、ほんとは図書館で読んでから、文庫本になってから読もうって思ってたのです。
新聞の書評欄で絶賛してても、ニュースで話題になってても、別にいいやって。
天の邪鬼なところもあるのです。
どうせ本屋さんにもおいてないんじゃないのー、なんて。
でも、今日、ひさびさに出歩いて、駅ビルの本屋さんに山積みになっているのを見て、つい立ち読みしちゃって、そのまま、上下巻揃えて買っちゃいました。
「1Q84」とは、1984年の9が英語のアルファベットのQに置き換えられているんですね。
今から、25年くらい前の話?
すごいな、そんな昔の話なのに、私はしっかり人格を持ったひとりの娘だったのです。
記憶鮮明なのです。あらーって感じです。
「風の歌を聴け」とか「ノルウェイの森」がまるで昔の話をのぞいているような他人事だったのに比べると、1984年ってとってもリアルなのです。
私はその時代、ちゃんと生きてたんだっていうこと。その同時代性みたいなものがとても不思議です。
最近の村上春樹作品というのは、実験的な感じのもの、特に時間の流れや「この世」の現実世界と異次元的なパラレルワールドのつなげ方っていうのが、とても文学的だなって思ってました。
変な話だけれど、それぞれ別々の作品として読めるんだけど、一つの文や単語の使い方、構成、登場人物が、どこかで一つの水脈でつながっているのです。バラバラに作品を分解して、証拠品みたいに並べると、「ほら、この事件、とあの事件はつながってますよ」と同一犯人だった!みたいな・・・
「1Q84」はそういう要素要素の繋がりというものが、ふんだんにちりばめられている村上春樹作品の集大成、のような予感にはらんだ出だしです。
そして、主人公が二人、しかも男女で、女の方が先に登場しているっていうのは、初めてなんじゃないかしら?
去年、一時帰国中に買った村上春樹さんのエッセイみたいな「遠い太鼓」を読んで、彼自身のきわめてリアルな文学的な生活感や、その南欧滞在中の出来事が「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」に反映されている様子などがわかって、一段と作品に対する愛着や味わい、深みが増しました。
同じ村上でも、村上龍さんがいろんな別業界、異業種の人たちとの交流を公開していたり、テレビなどにも積極的に出て(ご自身の看板番組だって持ってる!)、自分の口で語るのとは違って、村上春樹さんは、その素顔も私はほとんど知らなかったし、マラソンやってるとか旅好きだとかっていっても、その旅が実にプライベートで、ほんとに旅行者的に取材をしているってことがとても不思議でした。
モンゴルにも「ノモンハン事件」の繋がりで、いらっしゃったけれど、その感想はむしろ・・・って感じだったけれど、とても簡潔でリアルなモンゴル旅の感想でした。味もそっけもないっていうか・・・
でも行った人にしか書けない感想なわけで。そういう意味でとてもリアルでしたね。
作品に自分の実体験が反映されているようでも、それはストレートに実体験なのではなく、村上春樹という生身のファクターを通して行われた行動が、村上春樹という人格、感覚によって熟成され、パラレルワールドで純文学的な発酵することによって作品となるということなんだろうなぁ。。。
彼自身の年の重ね方は、実にまっすぐで、じいさん臭くなるわけでも、若者ぶってるわけでもなく、実直に村上春樹的である、ということなんだろうなぁ、とエルサレムでの受賞会見のコメントで感じました。
歴史に残る名言だったと思います。
ノーベル文学賞の候補者リストに村上さん、載っているそうです。
ノーベル文学賞受賞作家の作品でも川端康成さんのは読めるけれど、なぜか私は大江健三郎さんの作品を完読できません。1冊として読破できないのです。読み進められない。なぜか?よくわからないけれど、そうなのです。面白くないわけではないと思うんだけれども、世界観がちっとも自分の中にしみこんでこない。
好き嫌いっていうのがあると思うのですが、村上春樹さんの作品は、実に日本的な日本人なんだけど、その文体、文章構成、単語、その他村上春樹的な要素によって、世界の人々と感覚を共有しながらも、「そういうもんかなぁ?」という村上春樹的な独自視点や独特の比喩、暗喩、記号論的な謎かけが秘められている気がします。
読み応えがあるっていうのは、すでに最初の30ページで確信しました。
なので、こっから先は我慢して、モンゴルでじっくり読む、のんびり旅の友にするためにとっておくことにします。
MIATモンゴル航空の重量制限は厳しいし、今回、ビデオカメラだの三脚だの夏用の衣類だの資料だのといろいろ持ち帰らねばならぬものが多く、決して気軽にってわけにはいかないんだけれど、ともかくもこの2冊は旅行鞄に入れて、長い長い海外滞在のおともにすべきほんである、と思うのです。
モンゴルに帰ってから読むのがとても楽しみです。待ちきれないなー。
あと4日だ・・・。
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