ブログネタ:バランスとれてる? 参加中世の中のバランスって、天秤ばかりのような二元論だけではないですね。
暮らしの中での決断って、YesかNoかだけでできないことが、大人になるほど多くなってきています。
だから、大人のバランス感覚っていうのは、重心がぶれないようにすることなのかなって思います。
コマの動きも、宇宙ゴマみたいなほうがおもしろいものね。
楕円みたいに中心がふたつあるっていうのもあり。
今年の第一四半期では、日本を拠点にしたいって思ってました。
愛犬を日本に連れて帰り、仕事の基盤を日本に持つことで、収入は同じ仕事でも日本ですれば10倍近く上がる、という算段もありました。
それに自分の実力をアップさせたい、情報をたくさん、より多角的に吸収したい、いろんな人と出会いたい。
20代の時は、モンゴルに行くことで、モンゴルで仕事することでチャンスをつかめたけれど、アラフォーになった今は、その逆もありかな、って思っていました。
日本には、信頼できる人も、友達も仲間も、刺激的な活動もたくさんある。自分が知らないこと、やったことのないことを経験できる。
行ったことない場所もたくさんある。
落ち着くってことも大事だな、なんて。
でも会社のごたごたが解決し、会社を作った初期のころのお客様からのご紹介や以前ご一緒させていただいた方たちから、また映像の仕事でのコーディネートを頼まれ、血が騒いでいます。
今、健康管理のために日本に短期滞在中ですが、一日、一日で吸収できること、充実感がモンゴルの数十倍。やっぱ、日本はすごい、と思ったり。
モンゴルが氷点下でない時に日本に帰ってきている、というのは、やっぱり落ち着かないところもあります。意外な健康上の問題が発覚したり、それが早期解決できたりしたこともあったので、思い切って帰ってきてよかったなぁ、と。
おいしいとこどりってわけにはいかないんだけど、パラレルワールドな暮らしが私にとってのバランスのとれた生活なんだなって。
ODAの仕事に関わって、政治や経済、法律、技術的なことや、いろんなシステムについての知識や情報や実情などに触れるというのもやりがいがあるし、自分の能力や脳みそや感覚や技術をフル活用して、国際協力の仕事のお手伝いができるって素晴らしい、ありがたいことだって感謝しているし、なんといっても収入面や生活面で安心できるのもうれしい。
でも、ODAとか政府関連の仕事、ビジネス系といった高度な通訳技能を求められる仕事は、生活に勢いというか充実感でみたされるんだけど、家族の生活にしわよせがきてしまう。
家族っていうのは、まぁ、ききわけのよい、包容力のある存在なんですが、それでも彼なりの生活ルールがあるのです。なんといっても体が大きいし、ふれあいの時間や汗をかく時間がないと、ストレスもたまっちゃうやんちゃ坊主だからね。彼との時間も私にとってはかけがえのない時間。
わんことの時間が十分にとれなくなると、やっぱり私も辛いです。
それに、自然というか野生の中に定期的に身を置かないと、私の精神バランスが落ち着かなくなるような感じになる。
社会人の皆さんは、ほんとすごい。毎日、きちんと働いて、さらに余暇を趣味やレジャーで充実させている。ちゃんと家族との時間も作って、子育てとかもしっかりしてて・・・
慣れとか妥協とかもあるだろうし、自分なりの生活リズムを築くことは大事ですね。
私の場合は、それが1日の中では全部こなしきれないので1週間や10日単位だったり、1か月ー3か月単位だったりするのです。
3週間仕事したら、1週間から10日間は遊ぶっていうか自分のテンションをゆるゆるにして、ぼーっとする。ぐーたらでのんびりする。
1か月のんびりグータラ、友達と遊びまくったら、3か月はがむしゃらに、びしばしと仕事をこなしたくなる。
自分の都合だけでそんなに都合よく、仕事が入ったり、休めたりできるわけないって昔は思っていたのですが、自分なりのバランス、自分らしい生活の理想を思い描いているうちに、なんとなく、いい感じにバランスがとれるようになってきました。
いかなる事態になっても、とりあえず自分なりに対処できるようになってきたのかなぁ?
そうはいっても、やっぱり仕事が詰まってくるとイライラしちゃってるみたい。
喧嘩ってほどではないけれど、口調がきつくなるとか、なんか態度がツンケンしちゃうみたいなのです。
これまで2年間ちかく仕事らしい仕事もできずくすぶっていた分、急にちゃんと仕事したりすると疲れちゃうのかな?
車が取り戻せたおかげで、日が長くなってきた最近は、イライラしちゃったときは、ガナー君に草原に連れて行ってもらうというストレス解消ができるようになりました。
かつては愛犬ソートンの遊び場だらけだったウランバートル郊外も最近は、すっかり高級別荘地になっちゃったんだけど、それはそれで、すてきなログハウスとかを眺めるだけでも楽しい。
ちょっと森の中に入って、ふかふかのカラマツの落ち葉や青草の上に寝転んだりするだけでも、気持ちが緩むのです。
車で20kmほど移動するだけで、耳に入ってくる音がまるで違う。
鳥のさえずりやキツツキが木の幹を叩く音、木の葉のすれ合う音や風が流れる音。
せせらぎだったり、遠くで聞こえる牛が草をはむ音だったり。
ソートンがかけまわる足音や、ガナー君の天真爛漫ないびきだったり。
そういう音を聞いているだけで、自分のささくれだった気持ちが和やかになり、自分の心の音が調律されたような気がするのです。
日本だと、実家に帰るだけで、ふにゃーって子供みたいになってしまいます。
ふかふかの布団、お風呂、家族の笑い声なんてものが当たり前なのですが、モンゴルだと、家の中でもなんとなく気張ってしまう。
閑静な住宅地にある日本の実家と違って、ウランバートルの自宅は、都会のせちがらさってものがしみついているみたいで、荒廃しちゃってるんですね。忙しくなるとついつい、自分の家だからって、家事をおろそかにしてしまうからなんだけど。
バランスをとるって、規則正しく生活することに慣れるっていうことなのだろうか?
常にバランスがとれてしまっていると、私は落ち着かなくなります。
安定がとれてしまうと、その安定をぶち壊したくなる。ゆさぶりたくなる。
非日常っていうものにあこがれたりする。
自分が時折陥るハプニングやトラブルも、たぶん、自分が招いてしまっているんだと思います。
試練とか辛苦とか、そういうものをたまに自分で求めているんだって。
自分を追い詰めたくなる。ぎりぎりまで追い込んでしまう。
その先をどう乗り越えるか、進むかを自分で確かめたくなる。
そういいつつ、常に壁は乗り越えなきゃいけないってわけでもないって思ったりもするのです。
あきらめちゃってもいいや、ってどこかで自分が妥協するから、生きていけるってこともあるって。
日本で働く、日本で暮らすためには、安定的な生活を送らねばいけないし、安定的な生活基盤を作るには、自分の生活をゆさぶったり、転々と拠点を変えたりしちゃいけない気がする。
大型犬を連れての風来坊みたいな生活も難しいし、生活の体裁は整っても、モンゴル生まれで毎日のように草原や広場を駆け回って、たっぷり肉や生骨をかじって大きくなったワンコが日本でほんとに幸せに暮らせるのだろうかってことも不安で。
日本で暮らすには、やっぱりお金のことをモンゴルベースの今以上にシビアに考えなきゃいけなくなっちゃう。
といいつつも、やっぱり日本で仕事するっていうのは楽しいし。。。
うーむ・・・
安定っていうことを考えねばならぬ時期だなって、今回、意外な病気が発覚して、「あー、いつまでも若い女の子ってわけにはいかんのだな」と生物的な限界があることを知って、焦るかあきらめるか、開き直るか、、、なんてことも考えたり、まだしばらくは生きられるってことに感謝して、これからを考えていくことにするか、、、
私にとっての生活のバランスっていうのは、重心をたくさん持って、振り幅を大きく、不規則に揺れながら、その揺れを止めずに動き続けることです。
生活の場がモンゴルだったり、日本だったり、家族が犬だったり人間だったり、仕事もびしっとしたり、てれっとしたり、ガテン系だったり頭脳労働だったり、、、単独行動だったり、集団行動やら、チームワークやら、リーダーシップやら、いろいろその時、その時で変わること。
それもまた、いいじゃないって。
そういう生活が許されているっていうか、一応、年金とか健康保険とか払って日本での生活もまぁ、確保できてて、モンゴルとも自由に行き来できるビザがあってっていうのが、続けられるうちはこのままでもいっか、って。
ただ栄養摂取のバランスをとるっていう意味では、日本は圧倒的に野菜が豊富でおいしいので、こちらでの食生活はとても重要ですね。
お通じはいいほうなのですが、こっちに帰ってきてからのソレは、モンゴルでは考えられないくらい、どっかんどっかんと、それはそれは惚れぼれするように産出されているのです。デトックス?食べ過ぎ??
やっぱ、モンゴルでは肉食系になりやすい食生活なんだな。
それほど生活パターンが変わっているわけでもないのに、新鮮な無農薬有機野菜をバリバリ食べてるってだけで、とっても優しく、元気な気持ちになってるもん。
精神的なバランスも取れてきたし、金銭的にも一応立て直せそうなメドがたちつつあるし、、、あとは、このブックブクに膨らんだブヨブヨボディのバランスをよくできれば、いうことなし!
てなわけで、今年の夏は、このボディケアをがんばろっと。
暮らしの中での決断って、YesかNoかだけでできないことが、大人になるほど多くなってきています。
だから、大人のバランス感覚っていうのは、重心がぶれないようにすることなのかなって思います。
コマの動きも、宇宙ゴマみたいなほうがおもしろいものね。
楕円みたいに中心がふたつあるっていうのもあり。
今年の第一四半期では、日本を拠点にしたいって思ってました。
愛犬を日本に連れて帰り、仕事の基盤を日本に持つことで、収入は同じ仕事でも日本ですれば10倍近く上がる、という算段もありました。
それに自分の実力をアップさせたい、情報をたくさん、より多角的に吸収したい、いろんな人と出会いたい。
20代の時は、モンゴルに行くことで、モンゴルで仕事することでチャンスをつかめたけれど、アラフォーになった今は、その逆もありかな、って思っていました。
日本には、信頼できる人も、友達も仲間も、刺激的な活動もたくさんある。自分が知らないこと、やったことのないことを経験できる。
行ったことない場所もたくさんある。
落ち着くってことも大事だな、なんて。
でも会社のごたごたが解決し、会社を作った初期のころのお客様からのご紹介や以前ご一緒させていただいた方たちから、また映像の仕事でのコーディネートを頼まれ、血が騒いでいます。
今、健康管理のために日本に短期滞在中ですが、一日、一日で吸収できること、充実感がモンゴルの数十倍。やっぱ、日本はすごい、と思ったり。
モンゴルが氷点下でない時に日本に帰ってきている、というのは、やっぱり落ち着かないところもあります。意外な健康上の問題が発覚したり、それが早期解決できたりしたこともあったので、思い切って帰ってきてよかったなぁ、と。
おいしいとこどりってわけにはいかないんだけど、パラレルワールドな暮らしが私にとってのバランスのとれた生活なんだなって。
ODAの仕事に関わって、政治や経済、法律、技術的なことや、いろんなシステムについての知識や情報や実情などに触れるというのもやりがいがあるし、自分の能力や脳みそや感覚や技術をフル活用して、国際協力の仕事のお手伝いができるって素晴らしい、ありがたいことだって感謝しているし、なんといっても収入面や生活面で安心できるのもうれしい。
でも、ODAとか政府関連の仕事、ビジネス系といった高度な通訳技能を求められる仕事は、生活に勢いというか充実感でみたされるんだけど、家族の生活にしわよせがきてしまう。
家族っていうのは、まぁ、ききわけのよい、包容力のある存在なんですが、それでも彼なりの生活ルールがあるのです。なんといっても体が大きいし、ふれあいの時間や汗をかく時間がないと、ストレスもたまっちゃうやんちゃ坊主だからね。彼との時間も私にとってはかけがえのない時間。
わんことの時間が十分にとれなくなると、やっぱり私も辛いです。
それに、自然というか野生の中に定期的に身を置かないと、私の精神バランスが落ち着かなくなるような感じになる。
社会人の皆さんは、ほんとすごい。毎日、きちんと働いて、さらに余暇を趣味やレジャーで充実させている。ちゃんと家族との時間も作って、子育てとかもしっかりしてて・・・
慣れとか妥協とかもあるだろうし、自分なりの生活リズムを築くことは大事ですね。
私の場合は、それが1日の中では全部こなしきれないので1週間や10日単位だったり、1か月ー3か月単位だったりするのです。
3週間仕事したら、1週間から10日間は遊ぶっていうか自分のテンションをゆるゆるにして、ぼーっとする。ぐーたらでのんびりする。
1か月のんびりグータラ、友達と遊びまくったら、3か月はがむしゃらに、びしばしと仕事をこなしたくなる。
自分の都合だけでそんなに都合よく、仕事が入ったり、休めたりできるわけないって昔は思っていたのですが、自分なりのバランス、自分らしい生活の理想を思い描いているうちに、なんとなく、いい感じにバランスがとれるようになってきました。
いかなる事態になっても、とりあえず自分なりに対処できるようになってきたのかなぁ?
そうはいっても、やっぱり仕事が詰まってくるとイライラしちゃってるみたい。
喧嘩ってほどではないけれど、口調がきつくなるとか、なんか態度がツンケンしちゃうみたいなのです。
これまで2年間ちかく仕事らしい仕事もできずくすぶっていた分、急にちゃんと仕事したりすると疲れちゃうのかな?
車が取り戻せたおかげで、日が長くなってきた最近は、イライラしちゃったときは、ガナー君に草原に連れて行ってもらうというストレス解消ができるようになりました。
かつては愛犬ソートンの遊び場だらけだったウランバートル郊外も最近は、すっかり高級別荘地になっちゃったんだけど、それはそれで、すてきなログハウスとかを眺めるだけでも楽しい。
ちょっと森の中に入って、ふかふかのカラマツの落ち葉や青草の上に寝転んだりするだけでも、気持ちが緩むのです。
車で20kmほど移動するだけで、耳に入ってくる音がまるで違う。
鳥のさえずりやキツツキが木の幹を叩く音、木の葉のすれ合う音や風が流れる音。
せせらぎだったり、遠くで聞こえる牛が草をはむ音だったり。
ソートンがかけまわる足音や、ガナー君の天真爛漫ないびきだったり。
そういう音を聞いているだけで、自分のささくれだった気持ちが和やかになり、自分の心の音が調律されたような気がするのです。
日本だと、実家に帰るだけで、ふにゃーって子供みたいになってしまいます。
ふかふかの布団、お風呂、家族の笑い声なんてものが当たり前なのですが、モンゴルだと、家の中でもなんとなく気張ってしまう。
閑静な住宅地にある日本の実家と違って、ウランバートルの自宅は、都会のせちがらさってものがしみついているみたいで、荒廃しちゃってるんですね。忙しくなるとついつい、自分の家だからって、家事をおろそかにしてしまうからなんだけど。
バランスをとるって、規則正しく生活することに慣れるっていうことなのだろうか?
常にバランスがとれてしまっていると、私は落ち着かなくなります。
安定がとれてしまうと、その安定をぶち壊したくなる。ゆさぶりたくなる。
非日常っていうものにあこがれたりする。
自分が時折陥るハプニングやトラブルも、たぶん、自分が招いてしまっているんだと思います。
試練とか辛苦とか、そういうものをたまに自分で求めているんだって。
自分を追い詰めたくなる。ぎりぎりまで追い込んでしまう。
その先をどう乗り越えるか、進むかを自分で確かめたくなる。
そういいつつ、常に壁は乗り越えなきゃいけないってわけでもないって思ったりもするのです。
あきらめちゃってもいいや、ってどこかで自分が妥協するから、生きていけるってこともあるって。
日本で働く、日本で暮らすためには、安定的な生活を送らねばいけないし、安定的な生活基盤を作るには、自分の生活をゆさぶったり、転々と拠点を変えたりしちゃいけない気がする。
大型犬を連れての風来坊みたいな生活も難しいし、生活の体裁は整っても、モンゴル生まれで毎日のように草原や広場を駆け回って、たっぷり肉や生骨をかじって大きくなったワンコが日本でほんとに幸せに暮らせるのだろうかってことも不安で。
日本で暮らすには、やっぱりお金のことをモンゴルベースの今以上にシビアに考えなきゃいけなくなっちゃう。
といいつつも、やっぱり日本で仕事するっていうのは楽しいし。。。
うーむ・・・
安定っていうことを考えねばならぬ時期だなって、今回、意外な病気が発覚して、「あー、いつまでも若い女の子ってわけにはいかんのだな」と生物的な限界があることを知って、焦るかあきらめるか、開き直るか、、、なんてことも考えたり、まだしばらくは生きられるってことに感謝して、これからを考えていくことにするか、、、
私にとっての生活のバランスっていうのは、重心をたくさん持って、振り幅を大きく、不規則に揺れながら、その揺れを止めずに動き続けることです。
生活の場がモンゴルだったり、日本だったり、家族が犬だったり人間だったり、仕事もびしっとしたり、てれっとしたり、ガテン系だったり頭脳労働だったり、、、単独行動だったり、集団行動やら、チームワークやら、リーダーシップやら、いろいろその時、その時で変わること。
それもまた、いいじゃないって。
そういう生活が許されているっていうか、一応、年金とか健康保険とか払って日本での生活もまぁ、確保できてて、モンゴルとも自由に行き来できるビザがあってっていうのが、続けられるうちはこのままでもいっか、って。
ただ栄養摂取のバランスをとるっていう意味では、日本は圧倒的に野菜が豊富でおいしいので、こちらでの食生活はとても重要ですね。
お通じはいいほうなのですが、こっちに帰ってきてからのソレは、モンゴルでは考えられないくらい、どっかんどっかんと、それはそれは惚れぼれするように産出されているのです。デトックス?食べ過ぎ??
やっぱ、モンゴルでは肉食系になりやすい食生活なんだな。
それほど生活パターンが変わっているわけでもないのに、新鮮な無農薬有機野菜をバリバリ食べてるってだけで、とっても優しく、元気な気持ちになってるもん。
精神的なバランスも取れてきたし、金銭的にも一応立て直せそうなメドがたちつつあるし、、、あとは、このブックブクに膨らんだブヨブヨボディのバランスをよくできれば、いうことなし!
てなわけで、今年の夏は、このボディケアをがんばろっと。