大統領選の選挙運動もいよいよ佳境に入ってきているようです。
各候補者とも、ウランバートルのアパート群には、一通り選挙用のアピール資料は配布し終えたようです。
知り合いの若いパパやママが最近憤慨していること。
ほんとに公正な選挙なんてできるのかな?
と選挙権がない在留外国人の身ながら心配になります。
ほんとかなぁ?って思ってたら、
Schという今年できた民放TV局のニュースでも証言特集やってました。
ほんとみたいだ・・・
なにって?
幼稚園児を「人質」に「大統領選挙は誰に投票するのか、氏名、住所、職場の連絡先、年齢を記入して教えてください」とか、子供を引き取りにきた親が「民主党支持」であることがわかった途端に、幼稚園の先生が「あなたのような人にまともに子供が育てられるわけがない。この幼稚園から子供を連れてとっとと出て行け」と罵詈雑言を浴びせられた、とか数々の逸話があるのです。
日本でも選挙投票所の出口調査、なんてありますが、まだ投票もされていないっていうのに・・・
私も人民革命党の候補者で現職のエンフバヤル氏の宣伝資料を自宅におしかけられて、配布(押し付けられた)されたのですが、その時に、「お宅には選挙権のある家族は何人いるのか?」とか「どちらに投票するつもりか?」と聞かれました。
エンフバヤル氏の資料をもってきた人に、民主党の名前は言えない・・・
しかも、町内の役場関係者みたいなんだし・・・
こういう無言の圧力が、各公立の幼稚園や保育園で、子供を預かっている教師によっても、行われているようなのです。
選挙管理委員会の構成も7割以上がなんと人民革命党の党員・・・
日本の選挙管理委員ってどうやって選ばれているんでしょうね?
社会主義国だったモンゴル国では、支持政党って、「どの宗教を信仰しているか?」に相当する思想チェックの目安なんですね。
正直、私はリベラルでありたいと思います。
外国に暮らしていて、どちらの政党や政策を支持するっていうのも肩入れするのはよくないと思っています。
でも、自分がどちらを選ぶかで、住環境自体が居心地悪くなるような選挙活動というのは、やはりよくないって思うのです。
それが善意の市民の政党に対する忠誠心から行われているとしてでもです。
警察や軍、政府官公庁でも、なんだかんだと「党員」であるかどうかが昇進の鍵になっていたりする、という慣習は未だに健在のようです。
今年はモンゴルが無血で社会主義制度を崩壊させ、民主化の道を歩み始めてからちょうど20年の節目の年にあたります。
1989年4月27日、若き民主化運動のリーダーが率いた、自由を求める一般市民がスフバートル広場を埋め尽くすほどに集結してピケが張られました。
その年には3月8日の国際婦人デーにもスフバートル広場で民主化運動の有志によってハンストが決行されました。
いずれも、無抵抗でしかし、自由を渇望する情熱だけを武器に、理路整然と敢然と国家権力に立ち向かい、最終的に、人民革命党幹部もその声に耳を傾け、多党制に変わることができました。
当時のピケの時も、スフバートル広場では、軍隊と民主化運動のグループとのにらみあいになっていました。
血気盛んな若者が、「国会議事堂粉砕ー」みたいに暴走しそうなのをカラダをはって止めていたのは、なんと、警官隊でも軍隊でもなく、同じ民主化運動の若者たちでした。
当時の映像がやはり、選挙のキャンペーンの一環で、時々流れます。
今は亡き、民主化運動の伝説となった英雄・ゾリグさんや民主化運動のテーマソングとなった「鐘の歌(ホンホニィ・ドー)」の作者でホンホというバンドのリーダーだったツォグトサイハンさんなどが、信念に満ちた光輝く瞳でがんばっていた映像を見るたびに涙があふれてきます。
当時はまるで少年のようだったエルベグドルジ氏の演説姿など。。。
留学時代、国会議事堂内にあった日刊紙「アルディンエルフ」紙のオフィスで、日曜版の子供コーナーの記事の素材を作ったりしているときに、時々、エルベグドルジさんと階段であうことがあり、背比べをしたこともあった、懐かしい民主化の夜明け。
去年の7月1日の暴動が起きたことについては、未だに引きずる感情があります。
20年前に命をかけて勝ちとった「自由」の中で育ったためにおきた若者の暴走なのか?金や権力への執着なのか?と考えたこともありました。
エンフバヤル氏の立候補演説会でも、暴動のことに触れて「私は国家元首として、暴動がおきてしまったことに対しての謝罪を表明したい。今でもあのような事態が起きてしまったことを残念に思っている。しかし、暴動を起こした側のものからは謝罪をきいていない。このことをどう思いますか?・・・私はこの民主化20年を記念して、いまも暴動に携わった反乱分子として刑務所、拘置所にいる未来ある若者達を恩赦で釈放する用意があります。彼らが自由、自由と無軌道に生きることを悔い改めるよい機会だと思っています。私は国家元首として、未来ある若者達をサポートしたいと思います。そして、大統領として、二度と去年の7月1日のような悲劇を繰り返さないために、あらゆる手段を講じ、秩序ある選挙を行いたいと思います。」といったことを発言していました。
これって・・・恩赦による釈放と交換に、自分に投票しろよっていってるのと何か違いがあるのでしょうか?
自分が謝罪する、といっておきながら、結局、民主化運動にあの暴動の責任をなすりつけているのではないでしょうか?
ぐるぐると遠回りしながら、思想統制をもう一度しようとしているのではないでしょうか?
秩序という一見正しいような言葉で「締め付け」や「思想統制」が再びあるのではないか、と自由の国、基本的人権を生まれたときから享受している日本人の私には空恐ろしい気がするのです。
私はモンゴル国が民主化する黎明期にモンゴル語を学び始めました。
先輩や先生方は、モンゴルでのモンゴル人との自由な交流ができないことや自由に田舎にいけないことのジレンマ、いつも公安のチェックがあったり、寮のルームメートが実は監視員だった、なんてことを話してくださいましたが、民主化で盛り上がっている時期からモンゴルと付き合った私には、実は「御伽噺」みたいにピンと来るものはありませんでした。
でも、最近、いろいろな手続き等々で、なにか「追い込まれる」ような圧迫感を感じるのです。
絞れるところから絞りつくそうという感じがあって、えもいわれぬ不安感もあるのです。
先行きがないような、そんな感じ。
取り越し苦労であることを心から切実に望んでいます。
選挙のたびに、支持政党によって「敵味方」にわかれるような空気も、なんだか気持ち悪いし。
ノンポリの無気力っぽさ、浮動票だらけの日本って、そういう意味では健全なのかもしれないですね。
各候補者とも、ウランバートルのアパート群には、一通り選挙用のアピール資料は配布し終えたようです。
知り合いの若いパパやママが最近憤慨していること。
ほんとに公正な選挙なんてできるのかな?
と選挙権がない在留外国人の身ながら心配になります。
ほんとかなぁ?って思ってたら、
Schという今年できた民放TV局のニュースでも証言特集やってました。
ほんとみたいだ・・・
なにって?
幼稚園児を「人質」に「大統領選挙は誰に投票するのか、氏名、住所、職場の連絡先、年齢を記入して教えてください」とか、子供を引き取りにきた親が「民主党支持」であることがわかった途端に、幼稚園の先生が「あなたのような人にまともに子供が育てられるわけがない。この幼稚園から子供を連れてとっとと出て行け」と罵詈雑言を浴びせられた、とか数々の逸話があるのです。
日本でも選挙投票所の出口調査、なんてありますが、まだ投票もされていないっていうのに・・・
私も人民革命党の候補者で現職のエンフバヤル氏の宣伝資料を自宅におしかけられて、配布(押し付けられた)されたのですが、その時に、「お宅には選挙権のある家族は何人いるのか?」とか「どちらに投票するつもりか?」と聞かれました。
エンフバヤル氏の資料をもってきた人に、民主党の名前は言えない・・・
しかも、町内の役場関係者みたいなんだし・・・
こういう無言の圧力が、各公立の幼稚園や保育園で、子供を預かっている教師によっても、行われているようなのです。
選挙管理委員会の構成も7割以上がなんと人民革命党の党員・・・
日本の選挙管理委員ってどうやって選ばれているんでしょうね?
社会主義国だったモンゴル国では、支持政党って、「どの宗教を信仰しているか?」に相当する思想チェックの目安なんですね。
正直、私はリベラルでありたいと思います。
外国に暮らしていて、どちらの政党や政策を支持するっていうのも肩入れするのはよくないと思っています。
でも、自分がどちらを選ぶかで、住環境自体が居心地悪くなるような選挙活動というのは、やはりよくないって思うのです。
それが善意の市民の政党に対する忠誠心から行われているとしてでもです。
警察や軍、政府官公庁でも、なんだかんだと「党員」であるかどうかが昇進の鍵になっていたりする、という慣習は未だに健在のようです。
今年はモンゴルが無血で社会主義制度を崩壊させ、民主化の道を歩み始めてからちょうど20年の節目の年にあたります。
1989年4月27日、若き民主化運動のリーダーが率いた、自由を求める一般市民がスフバートル広場を埋め尽くすほどに集結してピケが張られました。
その年には3月8日の国際婦人デーにもスフバートル広場で民主化運動の有志によってハンストが決行されました。
いずれも、無抵抗でしかし、自由を渇望する情熱だけを武器に、理路整然と敢然と国家権力に立ち向かい、最終的に、人民革命党幹部もその声に耳を傾け、多党制に変わることができました。
当時のピケの時も、スフバートル広場では、軍隊と民主化運動のグループとのにらみあいになっていました。
血気盛んな若者が、「国会議事堂粉砕ー」みたいに暴走しそうなのをカラダをはって止めていたのは、なんと、警官隊でも軍隊でもなく、同じ民主化運動の若者たちでした。
当時の映像がやはり、選挙のキャンペーンの一環で、時々流れます。
今は亡き、民主化運動の伝説となった英雄・ゾリグさんや民主化運動のテーマソングとなった「鐘の歌(ホンホニィ・ドー)」の作者でホンホというバンドのリーダーだったツォグトサイハンさんなどが、信念に満ちた光輝く瞳でがんばっていた映像を見るたびに涙があふれてきます。
当時はまるで少年のようだったエルベグドルジ氏の演説姿など。。。
留学時代、国会議事堂内にあった日刊紙「アルディンエルフ」紙のオフィスで、日曜版の子供コーナーの記事の素材を作ったりしているときに、時々、エルベグドルジさんと階段であうことがあり、背比べをしたこともあった、懐かしい民主化の夜明け。
去年の7月1日の暴動が起きたことについては、未だに引きずる感情があります。
20年前に命をかけて勝ちとった「自由」の中で育ったためにおきた若者の暴走なのか?金や権力への執着なのか?と考えたこともありました。
エンフバヤル氏の立候補演説会でも、暴動のことに触れて「私は国家元首として、暴動がおきてしまったことに対しての謝罪を表明したい。今でもあのような事態が起きてしまったことを残念に思っている。しかし、暴動を起こした側のものからは謝罪をきいていない。このことをどう思いますか?・・・私はこの民主化20年を記念して、いまも暴動に携わった反乱分子として刑務所、拘置所にいる未来ある若者達を恩赦で釈放する用意があります。彼らが自由、自由と無軌道に生きることを悔い改めるよい機会だと思っています。私は国家元首として、未来ある若者達をサポートしたいと思います。そして、大統領として、二度と去年の7月1日のような悲劇を繰り返さないために、あらゆる手段を講じ、秩序ある選挙を行いたいと思います。」といったことを発言していました。
これって・・・恩赦による釈放と交換に、自分に投票しろよっていってるのと何か違いがあるのでしょうか?
自分が謝罪する、といっておきながら、結局、民主化運動にあの暴動の責任をなすりつけているのではないでしょうか?
ぐるぐると遠回りしながら、思想統制をもう一度しようとしているのではないでしょうか?
秩序という一見正しいような言葉で「締め付け」や「思想統制」が再びあるのではないか、と自由の国、基本的人権を生まれたときから享受している日本人の私には空恐ろしい気がするのです。
私はモンゴル国が民主化する黎明期にモンゴル語を学び始めました。
先輩や先生方は、モンゴルでのモンゴル人との自由な交流ができないことや自由に田舎にいけないことのジレンマ、いつも公安のチェックがあったり、寮のルームメートが実は監視員だった、なんてことを話してくださいましたが、民主化で盛り上がっている時期からモンゴルと付き合った私には、実は「御伽噺」みたいにピンと来るものはありませんでした。
でも、最近、いろいろな手続き等々で、なにか「追い込まれる」ような圧迫感を感じるのです。
絞れるところから絞りつくそうという感じがあって、えもいわれぬ不安感もあるのです。
先行きがないような、そんな感じ。
取り越し苦労であることを心から切実に望んでいます。
選挙のたびに、支持政党によって「敵味方」にわかれるような空気も、なんだか気持ち悪いし。
ノンポリの無気力っぽさ、浮動票だらけの日本って、そういう意味では健全なのかもしれないですね。