ブログを書く理由は? ブログネタ:ブログを書く理由は? 参加中
小学生の頃は、やたらとダラダラと長く、訓戒の多い、小生意気でいい子ぶりっ子で頭のよさそうな小難しい理屈を捏ね回した、二度と読み返したくない日記を書き連ね、その冊数、200冊を超えていました。読めば読むほど小憎らしく、言ってることは正論なんだけど、「あんた、他人を批判しすぎだよ!」と30年前にタイムマシンで戻って、自分にゴツンと拳固をくらわしてやりたいよ。

このブログでも、時々、思考回路が突っ走りすぎて、小難しく「上から目線」でモンゴルを語ってしまうことがありますが、、、たまにだよね、多分。

それというのも、「ハタチ過ぎればタダの人、三十路過ぎればダメな人」の言い習わしの通り、ティーンエイジャーまでは、多分、かなり優れた頭脳の持ち主であったワタクシも、今じゃあ、ただの人生の落伍者。頭も鈍くなっているし、生き馬の目を射抜くような、この狂乱のマネーゲームやらビジネスやらというのには、とんと疎くなりました。おまけに、モンゴルでビジネスの失敗ではなく、大成功したかなぁ、となった挙句の果てに、ちょっとコバカにしていたモンゴル人の経営パートナーにがっつり裏切られ、全財産を失ったとあっちゃあ、えらそうなことはかけませぬ。

とはいえ、こういう大波乱があったおかげで見えてきたモンゴルの顔っていうのもあるし、同胞に、この屈辱を味わっていただきたくない、あるいは、「自分よりも馬鹿で、ひどい目にあっている奴がいる」とほくそえんだり、「いい気味だ」と溜飲を下げたりする人も読者の中にはいるであろうから、まぁ、笑いものになるのも悪くないという自虐的な気持ちもあるわけです。

反省っていうか。

私もまた悔しい、屈辱だ、といいつつも、まぁ、めったにできない経験ができたので、現在進行形で自分の内から湧き出る言葉をつづる楽しさを堪能しているんですね。

シビアな闘いの当時は、実家の両親や友達への「生存報告」であり、更新が途絶えたときは、死んでいるか、動けなくなっている大変な事態であろうから、警察への連絡、遺産の確保と保護、遺体の処理についての指示記事を友人に出してもらうことになっていました。
奴らに殺されたときは、証拠の全てをブログで動画も含めてさらけ出し、奴らを地獄に引きずり込む覚悟をしていました。
壮絶ですねー、今思うと。
ろくなこと考えませんね、生死をかけた切ったはったをやってると。

でも、なるべく壮絶にならないように、フィルターはかけて、明日への希望をつづろうって思ってました。
なんで、こんなことになっちゃったのか、といえば、やはり餓鬼の頃の小生意気な日記にもあるように、私の中にある「批判精神」や「頑固な正義感」と「他人とは違いすぎる発想・思考回路」が引き金をひいて、モンゴル人たちを狂わせてしまったのです。なまじ、彼らの手の内に私個人の財産、会社の回転資金の現金やら車両やらが入ってしまうやり方に対して、疑問を持ちつつも、「ま、いっか」と根拠のない信用をしてゆだねてしまったウツケ者だったから、金が欲しくて欲しくて仕方がない時に、けちんぼに、「まだまだ」って蓄積していた私に我慢ならなくなっちゃったのでしょうね。

その辺のところも痛みをこらえて過去ブログを読み返すと、自分なりに、「おだっていた」ことに気づかされます。確かに仕事がゲットできていたのも、コーディネートできていたのも、「私一人の采配」にかかっていたわけだけれども、実際の仕事は、どれだけスペックに満足できない烏合の衆だったとしても、モンゴル人の寄せ集めスタッフなしではなしえなかった仕事。その中に、裏切り者達がどれだけ貢献してたかっていうと、ちょっぴり疑問だけれど、自分対モンゴルっていう視点で考えれば、やっぱ、モンゴル人ならむかつくでしょうね。

とまぁ、そういうようなことも、自分の率直すぎる言動の行間からうっすらとモンゴル人の当時の行動を読み解くことができるのです。

醜く、ひどい収奪者のモンゴル人、というだけでなく、ユーモラスで素直で、楽観的でたくましいモンゴル人の素顔も、私との交流から感じていただけることもあると思います。

何でもかんでも自分の生活からモンゴル全般の一般論に膨らますことはできないとはいえ、一応、大学院まで通ったわけですから、それなりの論理的思考とか分類・分析などはしつつ、現象から導き出される要因や因果関係、ストーリーや論理、結論などを意識して書いている記事もないわけではありません。

「モンゴルまるかじり」っていうタイトルは気に入っています。言い得て妙、というか、私の中では、「ナイス、タイトルセンス!」と思っています。

友達には、もう少しテーマを絞って、会社の宣伝になるように、旅行客や取材者などの集客、仕事に繋がる導引的な要素を意識してスッキリさせろ、とか生生しいプライベートは書かないほうがいい、とか助言をもらって、一生懸命集客しよう、とかモンゴルの宣伝をしよう、とか考えたこともありました。

アメブロって重い、重いといわれるわりに、モンゴルのインターネット環境も改善されたおかげか、モンゴル在住者でアメブロで書いている人って結構多いんですよ。

んでもって、「モンゴル、知ってます」的な書き方でモンゴルを紹介していらっしゃる人も結構いるから、「ワシのほうが知っとるのに」とか「モンゴル人の定説鵜呑みにしちゃっていいのかなぁ?」とか、例の「批判的な見方」=意地悪ばばぁな感情が鎌首をもたげなかったわけでもない。

でも、それはそれとして、「モンゴル経験の浅い人のほうが、モンゴルを語れる」とおっしゃってた、我が恩師の言は、まっこと正しかったのだなぁ、ということで。

私は深くまで絡まりすぎてて、語れないこともたくさんあるし、ひとたび語ろうとすると、こういう切り口もあるけれど、ああいう切り口もあるし、、、と話が長くなり、さらに方向性が一貫しない記事になっちゃうのです。

だから、それぞれのモンゴルがあって、いいじゃん、と思います。

私が始めた当初に比べると、モンゴルの日常が多くの口から語られるっていうのはとてもよいことだって、今は思っています。庶民中の庶民で、あんまりエリートとか金持ちとかビジネス成功者とのお付き合いに興味のない私にとっては、面白いなぁっていうブログもたくさんあるしね。モンゴル人で日本語ができる人たちのブログなどは、とっても楽しいです。教え子とか知り合いのブログもあるから。

自分がブログを書いているのは、はけ口だったり、記録の共有がしたいからだったり、コメントが欲しいとかいうコミュニケーションツールとしてだったりします。

モンゴルを紹介したい、といっても、自分の深度まで深入りするのは、一般的な日本人にとっては無意味というか無理というか、別にいいんじゃないっすか、って気もしていますが、でも、モンゴルという1つのつながり要素から、いろんな人の意見に触れることができるのは、モンゴルのように情報が偏りガチな環境ではとても大切なチャンスなんです。

最近は、口コミ番付を中心に書いているのは、まさにそういう、いろんなテーマをモンゴルっていう支点から考察してみるっていう自分なりの試みを楽しんでいるからです。

ピグワールドで出会った人のブログと繋がってみたり、口コミ番付で繋がってみたり、モンゴルつながりでつながってみたり。
自分でドメインとってホームページを作るよりも、きっと間口は広いと思います。

面白い人だなって思っていただければ光栄だし、困難で、どん底にいるって思い込んで、息が詰まりそうになってたり、おぼれそうになっている時にコメントで励ましてくださる方がいるというのもブログならでは、です。

面識がなかったはずの人が、激しく親身になってくださったり、出会うきっかけになったり、ネットというオンラインの繋がりだけじゃなくなる魅力やパワーがブログにはあるんですね。

特にアメーバブログには、そういう「繋がる」っていうキーワードがしっくりくる機能がたくさんついているから、ここで書かせていただいているんだと思います。

私はもっともっと孤独になったほうがよかったのかもしれないけれど、悲惨だなぁってときでも客観的に自分を見たり、励ましたりできたのは、ブログっていうツールが、自分が書いたものとしてではなく、なんか普通の読み物みたいに読み返せるから。広告が入ったり、レイアウトがかっこよくなってたり、公開した時点で、自分だけのものじゃなくなっている感じがします。

今はH系とか怪しげな広告サイトばかりがトラックバックされちゃうからTBは基本的になし、コメントも承認制にしていますが、記事だけじゃなく、それに対するコメントや私のレスコメなども含めて、「モンゴルまるかじり」なんだって思っているので、読者登録してくださる方や、コメント、ペタをしてくださる方あってのブログだし、これからも続けていこうってがんばれるんです。

うっわー、また優等生っぽく長くなったぞ。最後まで読んでくださった方、いるのだろうか?
もし、ここまで読んでいただけているならば、、、大感謝です。
愛してますよー、ちゅっ。

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