友達と恋人、どっちが頼りやすい? ブログネタ:友達と恋人、どっちが頼りやすい? 参加中
頼りがいがある人って、自分の周りには、日本だと一杯いるけれど、モンゴルだと・・・。
いい人はたくさんいても、自分よりもこのモンゴルで頼れる存在って?


日本でだったら、困ったことがあったら、友達にも頼るし、恋人にも相談しますね。
愚痴はいいたくないけれど、困ったなぁってことを言語化することによって、その問題を整理できるし、自分なりの糸口以外に、友達や恋人ならではの視点や解決法のアドバイスだったり、慰めだったり応援だったりが期待できるもん。

実質的に何か動いて欲しいっていうことは、ほんとに切羽詰ったときだけ。

たとえば、先月。
愛犬シェパードのソートンを連れて日本に帰国したい、との意向を実家の両親に伝えたところ、大激怒され、両親は両親で私の「身勝手さ」に愛想を尽かしたんだと思うけれど、私は私で、全身全霊を尽くして、必死でがんばってきた経緯を踏まえての日本拠点計画だったのに、私の人格否定までいたった罵詈雑言にショックを受け、ついには両親の顔を忘れてしまいました。
実は今も、実家の住所や電話番号、親の名前や生年月日は覚えているのに、彼らの顔は一切思い出せません。
大掃除したときに、多分、母親のモンゴル旅行に来たときの写真とおぼしきものが出てきたんだけど、確証を持って、母親だとは言い切れないという状態。
こんな風に自分がストレスから記憶を失うとは想定外だったので、かなりショックなのですが、でも忘れちゃったものはしょうがない。そのうち思い出すんじゃないか、でも、逆に多分、実家に戻って一緒に暮らすということをこれから長期にわたってすることもないだろうし、「もう二度と頼るな」と宣言されてしまった以上、のこのこ帰るわけにもいかないし、本格的に自立するために必須の忘却なんじゃないか、と自分をなだめています。

そういう事情で親とは断絶してしまったのですが、日本拠点をもつために実家という帰る場を失ってしまった以上、賃貸物件を探さねばなりません。

そんなとき、頼ってしまったのが、バロック喫茶「平均律」の看板娘・えりささん。
おととしの秋、友達の写真個展の展示をしていた喫茶店というご縁で、あまりの居心地のよさに日本にいて、時間があるときは、常にそこを隠れ家にしている、というくらいの私の心のよりどころ。

忙しい上に、彼女自身も常人では考えられないくらいたくさんの大変なことを抱えているっていう事情は踏まえていたのに、つい頼ってしまいました。

お店の近所にペット可物件あり。間取りもなかなかいい感じで、何より庭付き!
絶対、ここ住みたい!!

えりささんに衝動的にメールしちゃったら、その翌日には不動産屋に連絡とって見に行ってくださいました。

結果的には、大型犬はNGってことで駄目だったんだけど、彼女の超多忙な時間をやりくりし、大雨の中を駅から徒歩15分という道のりを、私のためにわざわざ見に行ってくれた、というその優しさ、誠実さに大感動、大感謝でした。

自分が本気で他人に頼り、そして、私が望んだとおりに動いていただけたというのはこのえりささんが初めて。

相談に乗りますよって言われても、結局、当たり障りのない「がんばって」みたいなことで後押しされたって、どうしようもないってワジワジすることってよくあります。自分よりも年配の方だったり、取引相手だったりすれば、当然、文句の言いようもなく、ただひたすら、孤軍奮闘を続けなければいけなかった日々。

だから、えりささんとの出会いと友情は、ほんと時空を超えてかけがえのないものだって感謝しています。

恋人は今、日本にはいないから、頼りたくても頼れないもんね。

モンゴル人男性は、自分のためには動けるけれど、私のために、私が望んだように行動してくれるってことは、根本的な発想、思考回路や臨機応変な柔軟性や粘り腰っていうのがないからできないし、期待しないほうがいい。
むしろ、力仕事とか、そういうことだけですね。

壊されてもいいものを動かすときとか。

会社経営にしたって、友達同士だって、お金が絡めばモンゴル人とうまくやっていくのは難しいし、ましてや恋人とかっていう恋愛感情、きわめてプライベートな関係の人と、シビアなビジネスを動かしていくって、私にはできなさそう。

自分の発想、活動、お金を稼ぐためのシステム構築が確固たるものになり、他人にきちんとそれを伝達し、受け止めてもらえた時は、別に友達とか恋人とかじゃなくても、ちゃんとその仕事にたる能力の人にある程度はまかせても大丈夫だって思います。それが会社としての仕事のやり方だと思うし。

でも、金銭的なこと、稼ぐシステムに関わる部分をモンゴル人に任せてできる仕事は今の私の手持ちにはありません。

働くっていうのは、「傍」を「楽」にするってことだから。
私自身が誰かを頼って楽をしたいって思えないと駄目ですね。人を雇うっていうのはもう。
それは裏切られたからっていうことも大きく影響しているし、そもそも、自分が他人を雇い、使うっていう状態が苦手。日本人なら、自分なりの仕事のやりがいなりを見出して、自分なりのシステムを作りながら、利益を上げるために力を尽くすことができるけれど、モンゴル人でほんとに、長期にわたって、公私混同せずに、会社の利益のために、会社の名誉のために、業績をあげるために、仕事を誠実に達成できるって人、未だお会いしたことありません。
もちろん、「自分の仕事」って思って自分の利益に直結しているっていう人は別ですよ。
私と仕事をするっていう意味で、私が望む形でっていう前提だと皆無。
だから妥協するか、一切、人を頼るってことをやめるかどっちかなんだと思う。

そして私はプライベートな人間関係では妥協できるけれど、仕事で妥協はできないから、友達も恋人も仕事に関与して欲しくない。友達だから、恋人だからって甘えられて、いい加減な仕事されたら困る。
友達でも恋人でも、私じゃなくて、仕事を見て欲しいし、仕事を依頼してくださった方の意向が全てだと思う。だから、仕事のパートナーは本気で仕事しようっていう人がいいし、みつからないなら、独りで仕事すればいいって腹をくくりました。

頼りたいから恋人を作るんじゃなくて、恋に落ちたから、思いを伝えたくって、想いが伝わったから恋人になれたのだから、それならば、私は彼を頼るんじゃなくて、むしろ頼りにしてほしい。支えたいって思うタイプです。

仕事のこととかは、恋人にはちゃんと自分の中で解決してほしい。私も仕事のことを恋人に愚痴ったりしたくない。プライベートのことだったら、頼るっていうか、一緒に分かち合って欲しいとは思うけど。

なんていうかな、のんきに全面的に他人まかせにした結果として、全財産をモンゴル人に騙し取られてしまったという大失態は、やっぱり、反省しなきゃいけないし、その反省には、「他人を頼るな」という戒めが含まれています。

金銭的なことは、どれだけ忙しくても、どれだけめんどくさくても、やっぱりモンゴルでは自分でお金を握り、自分で書類を作り、担当者に会い、手続きに納得した上で進めていかなければ、誰かを頼れば、その頼られた相手は、「お駄賃」的に中間搾取することも「ま、許されるだろう」ってどこかで甘くなっていくのが仕方ない国の事情っていうのがあります。

なにもかもがなあなあで、恋人っていったところで所詮は他人。ましてや友達だったら、今のモンゴルは誰だってお金を必要としているから、逆に「だるまは友達だから許してくれるだろう」って考えて、ちょろまかしをしたりするのです。

そういうことにイチイチ目くじらを立ててれば、モンゴルでは友達はできないし、恋人は去っていく。
ま、そういうろくでなしは去っていっていただいて結構ですが。

私的には、モンゴルで他人に頼るくらいなら、あきらめるか大損こいてでも自分で成し遂げるべしって思ってます。

日本でならば、友達に相談します。恋人にも相談します。いろんな人に支えてもらって、自分自身が踏み出す一歩は最終的には自分で決めるにしても、頼ります。最後の最後で自分の責任って思ってても、日本の友達は私にとって不利益になることをするなんてことはありえないから。
ほんとに私のためって思って、親身になって、無私・私利私欲を捨てて、本気で自分のことのように悩み、苦しみ、一緒に考えてくれる人たちだから。

自分が日本人だからっていうことだけじゃなく、自分が出会った仲間達が素晴らしい、独立独歩の人たちであり、孤軍奮闘をすべきとき、他人が手を差し伸べて、支えるべきときっていうのをちゃんと見極めることができるたくましい人たちだって尊敬し、信じられるから、私は友達を頼ります。

そして、私も頼ってほしいって思うし、もし頼られたなら、何をおいても、その人のために全力で尽くします。

恋人もかけがえのない友達の一人であり、同志であり、仲間です。

私が誰かに頼るっていうのはよっぽどの時です。
そして、そのよっぽどの時に、ほんとに頼ってみて、頼ってよかったって思える人も友達だけです。

私、七転八倒でモンゴルでのた打ち回りながら、ストレスと怒りで内臓をぼろぼろに蝕み、全財産を失い、それでも、生きる希望を失わずに日本に生きて帰り、自分を立て直すことができたのは、母親のおかげだって感謝しています。でも、モンゴルであきらめずに、まだがんばっていられるのは、地平線会議の仲間や、弊社の初期のお客さんであり、今はかけがえのない愛すべき存在となっている人が支えてくれているから、日本からエールを送ってくれているからです。

そして、どれだけ離れていても、物理的な援助が何もなくても、思い起こすだけでわきあがる力に変わる、そんな仲間の存在をもてたってことが、私にとっては最高の幸せなんだってかみ締めています。